本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

未来を開く鍵を今握る

2024-05-04 20:30:47 | 十地経

結果主義と言うのか

「いずれにしても結果が

大事です」

ということをよく聞きます

特にスポーツの世界とか

まあ経済、商売の世界でも

儲けたか、損したか

そういうことが価値基準の

ようです。

 

ところが、精神の世界

心の世界においては

結果よりも因の世界を

大事にします。

原因結果というように

因の中に果が含まれている

もっと詳しくいえば

因があっても結果が生まれ

るわけでもなく、そこには

縁ということも大事です。

 

風邪うつされた、

といいますけど

因はうつした人にあるかも

しれませんが

うつされた人は

もし元気だったら

うつらないかもしれません

たまたま、体が弱っていた

それで、風邪を引いた

ともいえます

だから、原因があって

それがすぐに結果になる

わけではありません。

縁ということも大事です。

 

「必至滅度」ヒッシメツド

という言葉があります。

滅度は涅槃ということです

ですから、

必ず涅槃に至る、と

そこを講義では

 

「涅槃は、至るというから

未来ですね。

しかしその必ず至ると、

必ずは、

これは未来になるとは

いえんのじゃないか。

 

威たるべき滅度(涅槃)は

未来にあっても、その、

至ることを今、

鍵を今握ったと。

子の鍵がないと必という

ことがいえんです。

 

それを押さえるのが

現在ですね。

こういうことがありまして、

 

果というもの、

果というものはこの因の

中に、因を押さえれば、

因というものを押さえれば

果はその中にあるんだ。

因果必然というのは

それですね。

 

因を押さえれば、

もう果は自然にその中に

あるんだ。

問題は果を、

いたずらに果を追っかけて

も果にならん。

急がば回れだ。

因を押さえる。

因を押さえればもう果は

ちゃんと来るべくして、

いまだ現れん未来を現在に

押さえるんだ。

 

それさえできれば

いいじゃないか。

行けるとき行ったらいい。

そう急ぐ必要はない。

鍵を握っておれば…。」

 

弘法大師の『十住心論』

やはり、

もとは『十地経』でしょう

その内容を簡略化した

ものを『秘蔵宝鑰』と

いいます。

鑰(やく)

この字も鍵という意味です

秘されている宝の蔵を

開ける鑰(かぎ)

それをつかめというのです

 

多分ここでは、

菩薩の位は因です

それで仏の位は果です。

『十地経』でも第七地は

大きな転換点にあたります

菩薩から仏へという転換点

なにかしら

ほとけ、とか、さとり、

ということを

急ぎたがるのですが

 

転換点になる鍵をつかめと

いっているのでしょう

鍵さえ握れば

ほとけになるのはいつでも

行けるじゃないかと

 

やはり、

精神の世界においては

仏という果も大事ですが

仏になる因を大切にする

そっちの方が大切だと

どこかのお寺に

「五劫思惟の仏」

(ごこうしゆい)

という仏があります

頭がとても大きな仏です

五劫思惟というのですから

とてもとても長い間

思惟(考え続けた)という

ことを表現している

ようです。

 

急いで結果を求めず

なぜ自分はこうあるのか

という、問いを持ち続ける

そういう因を大切にする

ことがかえって

さとりとかいうことが

明かになるよう気がします

 

 

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