本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

止観の病的現象

2021-07-09 20:20:16 | 十地経

「止観の病的現象」

この言葉も面白い表現です

ここのところは特に念入りに

話されていました

 

講義では

「第七地は、

双行という字があるでしょう。

たとえてみたら、

止というのは静かなことですし、

観というのは

はたらくことでしょう。

止は静止的です。

あらゆる考えを止めて見よと

ものとなってものを見ると、

ものとなるんだから

非常に静止的です。

 

観は活動的でしょう。

だからこれはなかなか

一致せんのです。

止が強いけども観が強くなると

観は強いけど止が弱いと。

 

止観の病的現象、

そういう煩悩が惛沈コンジン

といって、

それから掉挙ジョウコ。

 

惛沈、なにするのも面倒くさい

という気持ち。

気力が起こってこん。

沈滞やね。

それはつまり止があるけど

観ができない。

それが沈滞だ。

 

掉挙、これはじっとしとれん。

じっとして本がよんどれん。

何でも浮き立つ。

スキーに行くとか、

弁当は忙しいから急行列車の

中ばかりで食っとる。

部屋に落ち着いて

弁当食ったことがないというんだ

えらい騒がしいじゃないか

というと、

そうじゃないんというんだ。

急行列車で弁当食うと、

それがうまいという。

だから忙しければ忙しいほど

調子がいいという。

 

こういうのは観はあるけど

止がない。

ばたばたしとる。

これは一つの煩悩です。

 

煩悩ですけど、

貪・瞋・痴とか腹が立つとか

物が欲しいとかという煩悩と違う

もっと上等の煩悩だ。

つまり精神生活に関する煩悩だ。」

 

掉挙と惛沈

うきうきするのと

暗く沈んでしまう

こういう煩悩もあります

しかし、

人間の気持ちをよく押さえている

ようです

私たちは

ちょっといいことがあると

心がうきうきして

落ち着かない

反対に、

何をやってもダメ、と

思うようにいかない時

そんな時は気持ちは沈んでしまい

暗く落ち込んでしまいます

 

止観という

ものごとを静かに集中力をもって

考えるということは

うきうきしても出来ないし

暗く沈んでも出来ない

 

講義ではよく話され

言葉自体も面白いので

何かしら心に残っている言葉です

 

「掉挙(じょうこ)

 惛沈(こんじん)」

 

この二つの煩悩が止観を妨げる

ということで、

止観の病的現象

といわれたのでしょう。

その前のところで

フッサールの現象学の話を

されていたので

こういう病的現象という言葉が

生まれてきたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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