三世ということから、
過去現在未来という三世
講義では
「二世というものはひとつの
この、『世』というのが世界
つまり世界という概念も
いろいろあるけど、
この場合の世界というのは
世の中という意味の世界です
真理の世界とか、
文章の調子でいっとるだけの
話しで、
世界という概念は
二義も三義もある。
その時その時に応じて
世界概念は吟味せんならん」
ということが出てきました。
世界ということも
仏教辞書にあるように
仏教語としても重要な意味を
もっています。
普通には世界ということも
「世界は一つ」とか
いっていますが、
英語では World ワールド
もともとの意味は
人の一生とか寿命という
そこから人の住む土地
ということになったようです
しかし、世界は一つ
ということも
よくよく考えないと危険な
言葉のようです。
世界は一つ
というのはいいのですが
その中心は誰になるのか
そういうことで
今、世界はいろいろ混乱を
きたしているのでしょう。
仏教でいう世界は
本来の意味は
「壊れるべき場所」
ということです。
「世」というのは三世と
いわれるように
過去・現在・未来という
時間を表すものでしょう
「界」は東西南北上下と
空間を表しています。
世界ということで
人間の住む時間と空間を
表現しています。
仏教は凄い世界観があって
一世界が千個集まって
小千世界、
小千世界が千個集まって
中千世界、
中千世界が千個集まって
大千世界、
この大千世界を三千大千世界
ともいいます
「三千大千世界」
この言葉は
よくお経にでてきます。
よく似た言葉で
「世間」ということがあります
略して「世」ともいいます
やはり、壊れるべきもの
という意味です。
こういう意味があるのは
世の中というのは
煩悩につなぎとめられて
存在しているもの
ということで、
壊れるべきもの
というのでしょう。
それで、
「世」ということには
否定され滅ぼされねば
ならない(対治)
うつろいゆく(不静住)
真理に背いたそらごとである
という(虚妄)の
意味があるといわれています
聖徳太子の
「世間虚仮・唯仏是真」
という言葉は
こういうとこらから
出てきたのでしょう。
世間は虚仮(うそいつわり)
である、
仏のみ真実であると、
これは
ほんの一部の解釈ですが
「世界」ということも
単なる空間と時間はなく
もっと人の精神面にも関係
してくる言葉なのです。
「三世」という
過去・現在・未来
「現在というものは、
過去に対する答えであり
未来に対する約束である」
という言葉のように
過去世・現在世・未来世
去来現とも已今当イコントウ
ともいわれ、
最近は「不透明な未来」
ということを言いますが
未来という言葉も別には
当来トウライともいいます
当マサに来るべき、
ということで、
未来は偶然に不透明に
やってくるものではなく
現在の中に内包されている
ということで、
当来ともいうのです。
現在の中に未来がある
そう考えると
あだや疎かに今という時を
過ごしてはいけないような
気がしてきます。