暖かくなってきました。
そういえば、もうすぐお彼岸です。
もう寒の戻りはないと思うのですが、
自然のことはわかりません。
今話題の 「 Nature 」 とい雑誌、
最も権威ある科学雑誌のようです。
「 Nature 」 自然、という意味です。
東洋の方では 「 自然 」 と書いて
( じねん ) という読み方もします。
お経のなかにも 「 自然 」 という言葉は
よく出てくるものです。
なじみの言葉では 『 自然法爾 』 じねんほうに
という言葉があります。
「 はくほどに 風がもて来る 落ち葉かな 」
という歌もあります。
自然法爾、ということを表した歌です。
「 然 」 という文字は本来は
燃える、という意味のようです。
そして、「 しかるに 」 という意味も出てきました。
仏教的には 「 自然 」 というと、
存在というものの根源的な一つの在り方、
何かがあるというのではなく、
あること自身というものの在り方、
自ずから然 ( しかるに ) ある。
東洋と西洋のとらえ方でも
「 自然 」 ということはずいぶん違うと思います。
西洋では、自然と人間、というように
相対立した概念として用いるようです。
自然を克服する、というように、
ここにヨーロッパの精神があるように思うのですが、
ですから、 「 NATURE 」 という雑誌も
とても大きい権威を持ったものとしているのです。
東洋では自然は克服するものではなく、
人間を生産するもの、人間というものは自然の展開
というようにとらえていたようです。
仏教の根本の教えに 「 縁起 」 というものがあります。
「 縁起 」 縁より生ずる、
ということは自然ということを表しています。
作るものがあって作られるんではなく、
作るものなくして自然につくられる。
昔の映画に 「 慕情 」 というものがありました。
この歌は好きでよく歌ったのですが、
その歌いだしが、
「 Love is a many-splemdored thing 」
という文句で始まります。
そして、
「 Love is Nature’s way of living 」
と続くのですが、
外国の友人が 「 Nature 」 のところを
「 愛は神さまがくれたもの 」
というように訳していたのです。
「 恋は自然に芽生える … 」
というようには訳さずに、
やはり、西洋と東洋の大きな違いは
すべてのものは神によってつくられたもの、
とするか、
作るものなくしてつくられた、
すべては縁起によって生じたもの、
とする東洋の考え方に
根本的に違っているものがあるようです。
この 「 縁起 」 という考え方は
西洋にはないようです。
縁によって生じ、縁によって滅する、
このことが本当の自然 ( じねん )
なのでしょう。