お浄土を求める心に お浄土がある
( 自己自心にある )
今日から彼岸の入りです。
「 国民の祝日に関する法律 」 で 「 春分の日 」 「 秋分の日 」
と決まってから、『 彼岸 』 というより、
休日という意味合いが強くなったようです。
それが、敬老の日が動くようになり、国民の休日も加わって、
ゴールデンウィークにたいして、『 シルバーウィーク 』 となってきました。
祝日法では、
「 春分の日 」 は
「 自然をたたえ、生物をいつくしむ 」
「 秋分の日 」 は
「 祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ 」
ということを趣旨に制定されたようです。
『 お浄土 』 という言葉も死語かもしれません。
「 極楽浄土 」 ともいいますように、 「 極楽 」 といってもいいかも、
昔は、温泉とかに浸かったりすると、
「 おー ゴクラク、ゴクラク 」 と
お年寄りの口から漏れていました。
生きることに必死だった昔は、実りもあり、季節もほどよく
暑くもなく、寒くもない、この時期を、自然に感謝をし、
亡くなった方々へのご恩に報いる、という
そういう心静かなひと時を過ごしたのでしょう。
今週の言葉は 「 お浄土を求める心に … 」
ということは 「 浄土 」 ということを
遥かかなたにある、ということではなく、
「 お浄土 」 ということを心に思い浮かべた時、
心には 「 お浄土が来てる 」 ということなのですが、
… …
( ものは思いよう、ということではありません )
花を見て、「 美しい 」 と思う、
という心があります。 そのことの事実をさらに深く見ていくと、
「 花をうつくしいと、思える心が美しい 」
という、心があるといえるのではないでしょうか。
今週の言葉も 厳密には
「 願生心 ( ねがい ) の向こうに
お浄土があるのではない
願いの心が願生心自身を荘厳する
お浄土を求める心にお浄土がある
ここを去ること遠からず 」
ということになります。
難しい文ですが、やわい言葉もいいですけど、こういう
咬み応えのある文に、たまには接してみるのもいいのではないでしょうか。
お彼岸でもありますので、ご一考ください。!!
( 自己自心にある )
今日から彼岸の入りです。
「 国民の祝日に関する法律 」 で 「 春分の日 」 「 秋分の日 」
と決まってから、『 彼岸 』 というより、
休日という意味合いが強くなったようです。
それが、敬老の日が動くようになり、国民の休日も加わって、
ゴールデンウィークにたいして、『 シルバーウィーク 』 となってきました。
祝日法では、
「 春分の日 」 は
「 自然をたたえ、生物をいつくしむ 」
「 秋分の日 」 は
「 祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ 」
ということを趣旨に制定されたようです。
『 お浄土 』 という言葉も死語かもしれません。
「 極楽浄土 」 ともいいますように、 「 極楽 」 といってもいいかも、
昔は、温泉とかに浸かったりすると、
「 おー ゴクラク、ゴクラク 」 と
お年寄りの口から漏れていました。
生きることに必死だった昔は、実りもあり、季節もほどよく
暑くもなく、寒くもない、この時期を、自然に感謝をし、
亡くなった方々へのご恩に報いる、という
そういう心静かなひと時を過ごしたのでしょう。
今週の言葉は 「 お浄土を求める心に … 」
ということは 「 浄土 」 ということを
遥かかなたにある、ということではなく、
「 お浄土 」 ということを心に思い浮かべた時、
心には 「 お浄土が来てる 」 ということなのですが、
… …
( ものは思いよう、ということではありません )
花を見て、「 美しい 」 と思う、
という心があります。 そのことの事実をさらに深く見ていくと、
「 花をうつくしいと、思える心が美しい 」
という、心があるといえるのではないでしょうか。
今週の言葉も 厳密には
「 願生心 ( ねがい ) の向こうに
お浄土があるのではない
願いの心が願生心自身を荘厳する
お浄土を求める心にお浄土がある
ここを去ること遠からず 」
ということになります。
難しい文ですが、やわい言葉もいいですけど、こういう
咬み応えのある文に、たまには接してみるのもいいのではないでしょうか。
お彼岸でもありますので、ご一考ください。!!