『 50代と60代 』 この違い、しみじみと感じました。
50代のころですと、自分なりには年を忘れて、30代の人たちと
一緒みたいな気分で話をしておりました。
今日のお盆の棚経のお参りで、7月は時間もあり、一人住まいの方とかと
ゆっくり話すことが出来ました。
80を少し過ぎた一人住まいの男性、
とても大変そうです。でも、話を聞いていくと、頷くこと、しきりです。
「 昼間はさほどではないのですが、夜の寂しさは、堪りません。! 」
「 最近はテレビも見るものがなくて、昔のテープを聴いたのです。
ディックミネ、ばたやん、藤山一郎 …
聞いてたら、昔のことが手に取るように思い出します。
あそこの塀を曲がると柿の木があって、…
ビデオでも見てるようにでてくるとです。」
50代のころは、聞いていても、どこか人事のような感じでした。
しかし、!!
今年の 『 お盆の棚経 』 のお参りでは、
とても身に沁みて聞かさせていただきました。
お参りしながら 『 諸行無常 … 』 という言葉が
浮かんできます。
軽く考えると、どことなく、悲しいような、哀れなような
寂しいような、ま~ 仕方がないか !
お釈迦さまにとっては 感動的な発見だったのでしょう。
「 そうか、諸行は無常なんだ! 」
「 だから、今、を如何に大切に生きるか。」
よく考え直してみると、
私たちは 『 今 』 を生きていないのです。
年をとってくると、昔の楽しかったことに思いをはせて、
過去に生きているようです。
若いときは、「 明日があるさ! 」 と未来に夢見て、
お互いに 『 今 』 を生きていないのです。
『 諸行無常 』 という、世の中の真実の相の発見は
『 今を生きる 』 ということの確信ではないでしょうか。
このことの続きは
二つのアカデミー賞
『 スラムドッグ・ミりオネア 』 と 『 おくりびと 』
ともに、仏教の生まれた国と最後に花開いた国、
ということにもつながってくると思います。
50代のころですと、自分なりには年を忘れて、30代の人たちと
一緒みたいな気分で話をしておりました。
今日のお盆の棚経のお参りで、7月は時間もあり、一人住まいの方とかと
ゆっくり話すことが出来ました。
80を少し過ぎた一人住まいの男性、
とても大変そうです。でも、話を聞いていくと、頷くこと、しきりです。
「 昼間はさほどではないのですが、夜の寂しさは、堪りません。! 」
「 最近はテレビも見るものがなくて、昔のテープを聴いたのです。
ディックミネ、ばたやん、藤山一郎 …
聞いてたら、昔のことが手に取るように思い出します。
あそこの塀を曲がると柿の木があって、…
ビデオでも見てるようにでてくるとです。」
50代のころは、聞いていても、どこか人事のような感じでした。
しかし、!!
今年の 『 お盆の棚経 』 のお参りでは、
とても身に沁みて聞かさせていただきました。
お参りしながら 『 諸行無常 … 』 という言葉が
浮かんできます。
軽く考えると、どことなく、悲しいような、哀れなような
寂しいような、ま~ 仕方がないか !
お釈迦さまにとっては 感動的な発見だったのでしょう。
「 そうか、諸行は無常なんだ! 」
「 だから、今、を如何に大切に生きるか。」
よく考え直してみると、
私たちは 『 今 』 を生きていないのです。
年をとってくると、昔の楽しかったことに思いをはせて、
過去に生きているようです。
若いときは、「 明日があるさ! 」 と未来に夢見て、
お互いに 『 今 』 を生きていないのです。
『 諸行無常 』 という、世の中の真実の相の発見は
『 今を生きる 』 ということの確信ではないでしょうか。
このことの続きは
二つのアカデミー賞
『 スラムドッグ・ミりオネア 』 と 『 おくりびと 』
ともに、仏教の生まれた国と最後に花開いた国、
ということにもつながってくると思います。