『 お鉢が回る 』 とか、
今ではあまり使われなくなったのかもしれませんが?
私は勘違いしていました。
… …
明日の 「 お不動さま 」 を控えて、その準備に
深良さんがやってきました。
一応の準備も終わり、ティータイム
そして、御経の稽古です。
「 よし ! 明日は声明の頭 ( とう ) をしましょう 」
ということで、猛特訓です。
シンバルのような、仏具の一つなんですが、
『 妙鉢 』 ( みょうはち ) といいます。
ちょっとしたコツで、ジャンジャラジャ~ン といっていた音が、
本当に 「 妙なる 」 音に変ってくるのです。
本山にいる時も、法要の時 「 讃頭 」 ( さんとう )
をお願いします。
と、言われることがあります。
これは声明の最初の声を出して、皆をリードしていくのですが、
そして、最後に 「 妙鉢 」 をたたくのです。
全員が、一番苦手な役目でして、
お互いに譲り合うのです。
しかし、どうしても引き受けなければならなくなってきます。
「 妙鉢 」 のことをお寺では
簡単に 「 鉢 」 と呼んでいます。
そこで、
嫌なことが回って来ることを
『 お鉢が回ってくる 』 ???
と、思っていたのです。
ところが、辞書を調べてみると、どうも違うようです。
『 鉢 』 とは 「 米櫃 」 のことのようで、
本来は、やっと米櫃が回ってきて
というような意味で使っていたようです。
しかし、修行時代は 『 お櫃 』 当番になると、
皆が、次々と 「 お代わり 」 といって、茶碗を出してきて
当番に当たると、自分が食べる暇が無いのです。
そして、最後には 『 お櫃 』 にお茶を注いで、お櫃の周りに付いた
ご飯粒を全部流して頂くのです。
ですから、極力、おひつの周りにご飯粒が付かないように、
ご飯を注ぐ技、が大変なのです。
このことからも、
『 お鉢が回ってくる 』
ということは、あまりいい意味ではないようにも思っていたのです。
『 お櫃 』 ( おひつ )
という言葉も死語になってしまいました。
今では、ほとんど見ることはありません。
今使われているのは 「 お寿司屋さん 」 ぐらいでしょう。
ジャーのようなもので、ご飯を入れておくものなのです。
木で出来ていますので、ちょうどいい水分調節が出来て
ご飯がとても美味しくいただける、優れもので、
なのですが、
なにせ、手入れが大変で、今ではほとんど使われなくなってしまいました。
話がそれてしまいましたが、
深良さんと稽古しているときに、
この話題で、
「 そうだったのか 」
ということになったのです。
『 深良さん 』 明日の 讃頭と妙鉢
楽しみにしています。
今ではあまり使われなくなったのかもしれませんが?
私は勘違いしていました。
… …
明日の 「 お不動さま 」 を控えて、その準備に
深良さんがやってきました。
一応の準備も終わり、ティータイム
そして、御経の稽古です。
「 よし ! 明日は声明の頭 ( とう ) をしましょう 」
ということで、猛特訓です。
シンバルのような、仏具の一つなんですが、
『 妙鉢 』 ( みょうはち ) といいます。
ちょっとしたコツで、ジャンジャラジャ~ン といっていた音が、
本当に 「 妙なる 」 音に変ってくるのです。
本山にいる時も、法要の時 「 讃頭 」 ( さんとう )
をお願いします。
と、言われることがあります。
これは声明の最初の声を出して、皆をリードしていくのですが、
そして、最後に 「 妙鉢 」 をたたくのです。
全員が、一番苦手な役目でして、
お互いに譲り合うのです。
しかし、どうしても引き受けなければならなくなってきます。
「 妙鉢 」 のことをお寺では
簡単に 「 鉢 」 と呼んでいます。
そこで、
嫌なことが回って来ることを
『 お鉢が回ってくる 』 ???
と、思っていたのです。
ところが、辞書を調べてみると、どうも違うようです。
『 鉢 』 とは 「 米櫃 」 のことのようで、
本来は、やっと米櫃が回ってきて
というような意味で使っていたようです。
しかし、修行時代は 『 お櫃 』 当番になると、
皆が、次々と 「 お代わり 」 といって、茶碗を出してきて
当番に当たると、自分が食べる暇が無いのです。
そして、最後には 『 お櫃 』 にお茶を注いで、お櫃の周りに付いた
ご飯粒を全部流して頂くのです。
ですから、極力、おひつの周りにご飯粒が付かないように、
ご飯を注ぐ技、が大変なのです。
このことからも、
『 お鉢が回ってくる 』
ということは、あまりいい意味ではないようにも思っていたのです。
『 お櫃 』 ( おひつ )
という言葉も死語になってしまいました。
今では、ほとんど見ることはありません。
今使われているのは 「 お寿司屋さん 」 ぐらいでしょう。
ジャーのようなもので、ご飯を入れておくものなのです。
木で出来ていますので、ちょうどいい水分調節が出来て
ご飯がとても美味しくいただける、優れもので、
なのですが、
なにせ、手入れが大変で、今ではほとんど使われなくなってしまいました。
話がそれてしまいましたが、
深良さんと稽古しているときに、
この話題で、
「 そうだったのか 」
ということになったのです。
『 深良さん 』 明日の 讃頭と妙鉢
楽しみにしています。