東日本大震災の翌年から始まった「忘れない3.11展」が中央公民館で3/8から3/13まで開催されました。
小平井戸の会やこだいらソーラー、環境の会など市内の21団体の展示、東日本大震災、障がいのある人と支援者の物語「星に語りて」などの上映会や講演会、コンサートなどが開かれました。
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私が展示会場を訪ねた時は丁度小平ビデオクラブが石巻市大川小学校のあの日のビデオを流していました。
なぜ大川小学校の生徒、先生に多数の犠牲者が出たのか・・・の説明にあの日の記憶がまざまざと蘇りました。
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ホールでは福島キッズプロジェクトが福島県大熊町の物語伝承会を招いて、「絵おと芝居」の上演がありました。
福島キッズプロジェクトは2011年から福島の子どもたちを夏休みや5月の連休などに小平に招き、保養プロジェクトを行っている市民活動団体です。代表の細江さんは震災直後からチーム小平としてボランティアで現地入りしていた方で、福島と小平をつないでいらっしゃいます。
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おおくま町物語伝承の会のメンバーは、東日本大震災と原発事故で大熊町から会津若松市に避難している方々です。
大熊町の現状は町の大川原地区の復興が進み、帰ってきた町民もいるけれど、未だ立入禁止の地区があり、人が住んでいない家はイノシシに荒らされているそう。
新しい役場や駅、交流センターができたものの、線が結ばれず面になっていないとのことです。
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絵おと芝居というのは紙芝居に、声をつけてそれぞれの役を演じるもの。
なまりが温かいです。
小学生や中学生が避難の実体験の作文を絵おと芝居したものが披露されました。
「おほしさまになったおまわりさん」は転勤の辞令をもらって、津波の前に転勤先に出向くはずだったおまわりさんが
津波が来て、命がけで人命救助にあたり犠牲になった本当の話。
1年生の作文で内閣総理大臣賞を受賞したそうです。
もう一つは原発事故後三春に避難し、とても温かく迎えてもらったこと。
それから東京に避難したけれど、「原発被災者は帰れ」と言葉を浴びせられたこと。
東京の人は冷たい、と感じたという話を聞き恥ずかしくなりましたが、その後銀行でたまたま隣に座った女性からは
「家に使わない机やイスがあるので、どうぞ使ってほしい」と親切に声をかけられたと聞き、ホッとしました。
現在のウクライナの避難民の人々と重なり、胸が突かれました。
哀調を帯びた「ふるさとの空」という歌にもウルウルで、メモしました。
着の身着のまま追い出され 除染がいつになったら終わるやら
戻れる見込みはないけれど ふるさと恋しや懐かしや
私にゃ父母すでになく 生まれ育った家もなし
老いた私の行く先は~(メモが不明)
いつになったらふるさとの空で 生きて花見ができるやら
ウクライナの人々も今、同じ思いではなかろうかと・・・
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総勢12人の方々が絵おと芝居に白虎隊の踊りなど、見事に披露してくださいました。
参加者には大熊町産のイチゴと会津のお米をおみやげに戴きました。
手づくりの菖蒲の花とともに。
イチゴが甘くて、とても美味しかったです。