前日のおわら風の盆から午後11時過ぎにホテルに戻り、また温泉に入って就寝。
翌日は快晴、五箇山へ向かって出発です。
車窓から見える砺波平野の散居村風景は黄金色の稲穂に彩られ、富山の農業の豊かさを感じました。
屋敷林に囲まれた家屋がとても重厚な造りです。
五箇山の合掌造り集落は白川郷とともに、もう23年も前に世界文化遺産に登録されたのですね。
五箇山には「相倉」と「菅沼」の合掌造り集落があるのですが、今回は相倉集落を訪ねました。
タイムスリップしたかのような茅葺屋根の家々。
観光のための家並みではなく、現在も住んでいて民宿を営んでいる家もあります。
洗濯物干しに生活感があって、いい風景です。
そのまま時代劇のロケ地になりそうな、山間の里です。
五箇山では加賀藩政時代、屋根裏で養蚕をし、地下では火薬の原料となる塩硝(えんしょう)が製造されていたそうです。
塩硝の材料となるヨモギや麻などが採取しやすい環境だったからだとか。
こんな小さな山里が加賀藩を蔭で支えていたのです。
小平は丸ポストの街ですから、赤いポストを見つけるとビビッと反応してしまいます。
33度の暑さでしたが、ススキが風に揺れ山里は秋の気配でした。
日本の原風景、もっとゆっくり見たかったなぁ~
五箇山から30分足らずで白川郷、富山県から岐阜県に入りました。
20年近く前に白川郷には来たことがありますが、ずい分観光地化されたようです。
添乗員さんが展望台行のシャトルバス乗り場まで案内してくれました。
以前は展望台まで行けませんでしたが、この風景を見るだけでも白川郷へ来た甲斐があるというものです。
ライトアップされた雪の白川郷が有名ですが、黄金色の田園と青空、庄川と山間の集落の風景も得も言われぬものでした。
帰りはシャトルバスには乗らず、周りの景色を楽しみながら近道を歩いて下りました。
茅葺屋根は10~15年の間隔で吹き替えなければならないとか。
片方の屋根だけでも1千万以上かかると聞きましたが、景観を維持するのは大変なことですね。
壁にこんなかかし風の人形がズラリと並んでいる家も。
観光客へのサービスなのでしょうね。
中国人(あるいは台湾から)の団体さんがホントに多いです。
合掌造りのお寺、明善寺(みょうぜんじ)。
見事な鐘楼門は江戸時代の創建時に飛騨匠(ひだのたくみ)の手で造られたもの。
総欅造り寄棟造りの2階建ての優美な茅葺構造。
本堂と調和した風格ある風情。清々しい気持ちになりました。
名物の蕎麦を食べて、駆け足の白川郷でありました。
帰途はサービスエリアで休憩を取りながらのバスツアーでしたが、平湯近くの足湯があるエリアでのこと。
若い外国人女性二人が足湯に浸かっていました。
声をかけたところ、シアトルから来て前日は上高地に行ったとのこと。
「日本大好き!」を連発して「アンゼン」と日本語で嬉しそうに言っていました。
よく見ると飲んでいるのは日本酒の小瓶ではありませんか。
だから上機嫌だったのかも?
足湯に浸かって一杯、日本人も負けるヨ~。
休憩15分間のうちの5分位の出来事。
翌日は台風21号で大荒れだったので、「彼女たち無事に避難できたかしら?」と夫とともに案じた次第です。