大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

駿府・旧東海道筋の名刹「金剛山寶泰寺」の佇まい~駿河三刹の一つ~

2012年06月23日 13時34分06秒 | 地方の歴史散策・静岡市内
かつての旧東海道の道筋である現在の伝馬通りから駅よりに入ったところに山門を構えるのが、かつて二十八もの末寺を抱えた臨済宗妙心寺派の名刹「寶泰寺」です。

寶泰寺の通常門
寶泰寺の正門

路地に面して「通常門」と「正門」が並び、それなりの格式と規模を今に伝えています。通常門から境内へと進むと立派な「客殿」が目に飛び込んできます。なかなかの建造物で京都の妙心寺の大庫裡を模して建てられたと言います。

客殿

ここ寶泰寺は江戸時代には東海道を旅して江戸へ下る朝鮮通信使や琉球使節団の正副司が宿泊や休憩に利用した寺で、朝鮮通信使たちからは「綺麗第一」と称賛された庭があります。そんな庭を代表するのが通常門を入って左手に造られた枯山水の石庭です。

枯山水の庭

その石庭に対峙して「上池」と「下池」の美しい2つの池が置かれています。おそらく前述の枯山水の庭やこの池を見た外国の使節団はその美しさに驚嘆したのでしょう。

上池
下池

上池と下池の間に架けられた石橋を渡るとご本堂が構えています。当寺はそもそも真言密教の道場として開かれた歴史を持っています。永徳元年(1381)に後醍醐天皇の皇子である無文天選禅師により、禅宗の寺となり、1557(永禄10)年、雪峰禅師により臨済宗妙心寺派の寺となりました。その当時の寺領はなんと1万平方メートルの広さを持ち、現在のJR静岡駅あたりまで含んでいたそうです。

ご本堂

そして寺勢は盛んとなり、巨龜山清見興国禅寺、駿府市内の臨済時と並んで「駿河三刹」と呼ばれるほどの名刹となったのです。

長い歴史の中で当寺も度重なる災難から逃れることができなかったのでしょう。境内の伽藍は比較的新しく、歴史を感じさせるようないぶし銀の輝きはありません。しかし、江戸時代には幕府直轄地としてのご威光を背景に駿府城下の禅宗寺院としてその寺勢を如何なく発揮していた名残りをわずかながら感じることができたひとときでした。

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