大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸に残る大名屋敷表門~旧因州池田屋敷表門(黒門)~

2012年01月31日 17時31分04秒 | 台東区・歴史散策
お江戸・東京に現存する大名屋敷の中で、その保存の良さと規模から最も貴重な文化財の一つとしてあげられるのが上野の東京国立博物館の敷地縁に移設されている「旧因州池田屋敷表門(黒門)」でしょう。

旧因州池田屋敷表門

博物館正門の前の道を東京藝術大学方向へほんの少し歩いたところに堂々とした姿で構えています。文化財として保存されているため博物館への入場門としては使われていないのですが、個人的な希望としては大名屋敷の表門をくぐって博物館へ向かうのも博物館見学らしくていいのではないかと思うのですが…。

さて、この大名屋敷の表門は江戸時代に因州と呼ばれていた鳥取藩池田家の江戸表の屋敷にあったものです。池田藩の江戸上屋敷(拝領屋敷)は旧丸の内(馬場先門辺り)の大名小路に構えていました。その因州32万石の大大名の江戸上屋敷はそれはそれは大きな敷地をもち、その敷地を取り囲む塀にはいくつもの門があったのでしょう。

幕末から明治へと時代が移り、廃藩置県、版籍奉還を経て封建時代の大名が姿を消すと旧丸の内に軒を連ねた大名屋敷も取り壊されてしまいます。そしてその跡地には近代化の象徴ともいうべき煉瓦造りの西洋建築がとって変わるのです。

大名屋敷はことごとく取り壊されてしまうのですが、この池田屋敷表門は明治に入り当時の東宮御所の正門として活路をみいだすこととなります。現在まで関東大震災と東京大空襲等に遭いながらもかつての姿を残していることに感動すると同時に、当時の建築技術の高さを思い知らされます。この場所に移築されたのはおよそ60年前の昭和28年(1953)に遡ります。

旧因州池田屋敷表門

江戸時代の大名屋敷にあった門は現在、寺院の門などに転用されていることが多いのですが、現存する武家の門としてまず思い浮かぶのは、かつて加賀前田家へ嫁いだ将軍家斉公の姫君である「溶姫」の屋敷の御守殿門として構えた「赤門」ではないでしょうか。この東大の赤門に対し、ここ池田屋敷の表門は「上野の黒門」と呼ばれています。





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