大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸一の塩の町・行徳は下総一の寺の町(其の一)~将軍家所縁の徳願寺~

2011年10月12日 12時31分39秒 | 地方の歴史散策・千葉県市川
江戸時代を通じて江戸湾岸で最大の塩の名産地として知られていた行徳は、家康公の開幕当初から「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」という考えから幕府直属の天領の地位を与えられ、塩業が厚く保護された場所だったのです。

徳願寺山門

開幕後、30年後の寛永九年(1632)に塩を江戸に運ぶための水路として府内の中川と隅田川を結ぶ小名木川が完成したことで行徳の塩は江戸城内へ直接船で運ぶことが可能となったのです。江戸時代はここ本行徳村と江戸を結ぶ船着場が旧江戸川岸に造られ、ここからは塩だけでなく、様々な海産物やたくさんの旅人が往来する港町として大いに栄えていました。

特に江戸時代に流行った「成田山詣で」の経由地として行徳は船場、宿場として更に活況を呈していきます。こんな歴史を歩んだからこそ、ここには塩に携わる人、船舶の運航、宿屋や岡場所の楼閣経営に携わる人など多くの人たちが生活をしていたのです。行徳は俗に「行徳千軒、寺百軒」といわれるほど繁栄を謳歌していたのです。

私の住む江東区は東京の東側に位置し、すぐそばを荒川が流れています。その荒川を渡ると江戸川区となり、その江戸川区と境をなして行徳のある千葉県の市川市が接しています。自宅から至近の駅から行徳までは駅の数で5つ目という近さです。そんな近い場所にある行徳ですが、今回初めて訪れてみることにしました。

目指す寺町の散策はルート上、行徳駅の次の駅である妙典駅から始まります。というのはこの妙典駅から旧江戸川方向へ延びる「寺町通」には寺院が密集していることと、その寺町通から分岐するように「権現道」という細い散策路が住宅街をクネクネと延び、その細い道に沿って次から次へと寺院、神社そして大小の稲荷の祠が現れるという、まさに寺社巡りにはもってこいのルートに思えたからです。

妙典駅から歩き始めて5分ほどで「寺町通」入り口にさしかかります。綺麗に整備された道で、電柱がないのでスッキリとしています。

徳願寺正門

そして寺町通の右手に長い塀に囲まれ、ものすごく立派な山門と鐘楼がやたらと目立つお寺が現れます。行徳の寺の中では最も寺格が高いと言われる浄土宗派の徳願寺です。なぜ徳川将軍家と関わりがあるかというと、慶長十五年(1610)家康公の帰依により徳川の徳と、もともとの寺号であった勝願寺の願をとって、改めて『徳願寺』の名をつけたことで将軍家から厚い保護を受けていたと言います。

山門

さらに当寺の本尊阿弥陀如来像は、かつて源頼朝の室政子が仏師運慶に命じて造らせたものといわれ、家康公が二代将軍秀忠夫人(お江)のため、鎌倉から江戸城に遷しましたが、夫人の逝去後、当山二世忠残上人が請けて本尊とした由緒正しきものなのです。

幕府天領のこの地で、将軍家の帰依をいただいていたわけですから、それなりの寺格と寺領は安堵されていたのでしょう。今、目の前に現れた伽藍は江戸府内に残るあまたある寺院と比較してもけっして引けを取るものではありません。

広い境内にその存在感を示すどっしりとした山門(仁王門)とその脇に立つ鐘楼は当寺の最古の建造物で共に安政4年に建立され市川市の指定文化財になっています。山門の左右に置かれた仁王像は江戸時代中期に彫られたもので、明治になってからの神仏分離令により葛飾八幡宮の別当寺であった法漸寺から移されたものです。

仁王像(右)
仁王像(左)


この山門の脇に袴腰の整った美しい姿の鐘楼が控えています。

鐘楼

この徳願寺には宮本武蔵筆と伝えられている書画や円山応挙筆と伝える幽霊の絵などが寺宝として保管されているとのことです。境内には宮本武蔵供養碑が置かれています。

宮本武蔵供養碑
ご本堂
ご本堂前の蓮
ご本堂前の天水桶

また当寺の3つ目の文化財である経蔵堂の中には巨大な輪堂式のマニ車が安置されています。

経蔵堂
経蔵堂の輪堂式のマニ車
境内俯瞰

江戸時代の寺格を継承したかのような広い敷地とその境内に配置された伽藍と堂宇の素晴らしさには目を見張るものがありました。ただ一つ物足りなさを感じるのは木々の緑があまりにも少ないことです。その訳について勝手な想像を巡らしてみたのですが、ここ行徳はかつては江戸湾の波が打ち寄せる海岸線に面していた場所であることから、度々の津波や高波に襲われ、その都度寺院の建物が流され、同時に境内の木々も根こそぎ流されてしまったと考えます。そして寺院再建の際に新たに植樹することなく現在にいたったのではないかな、と思ったりしています。尚、木々が少ないことはこの徳願寺だけでなく、行徳の寺社すべてにあてはまることです。

お江戸一の塩の町・行徳は下総一の寺の町(其の二)~寺町通りの寺社~
お江戸一の塩の町・行徳は下総一の寺の町(其の三)~権現道の寺社~




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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (豆人)
2011-10-12 13:19:51
ドイツから旅行へきた友達をここへ案内したことがあります。とても喜んでました。なつかしくてついコメント・・!
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Unknown (【ダンディ松】)
2011-10-12 18:07:08
灯台下暗しの通り、私が住んでいる場所からこんな至近にお江戸を感じる素晴らしい寺社地がありました。晴れ渡った秋空の下、一人気ままに行徳を楽しみました。隠れた歴史の宝庫だと思います。
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Unknown (しずか)
2011-10-12 20:06:19
またこちらも立派なお寺ですね。
源氏にも徳川家にも縁があるということなので
一度は参拝に訪れたいと思います。
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