大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

甲州道中・内藤新宿のお地蔵様~太宗寺の江戸六地蔵~

2012年05月07日 17時34分49秒 | 新宿区・歴史散策
開幕まもない慶長6年(1601)に家康公は江戸を基点する街道の整備に着手しました。その当時、日本橋を起点とする甲州街道の最初の宿場は日本橋から約4里の距離にある「高井戸」に設けられていました。

江戸四宿の品川、千住、板橋の各宿は日本橋から約2里の距離にあったのですが、甲州道中の高井戸宿だけが4里と遠く離れていました。そのためさまざま不便さを強いられていたのですが、江戸の中心から4里も離れている高井戸宿はその後90約100年にわたり、江戸からの第一宿として栄えていました。

その不便を解消するべく元禄の10年(1697)に浅草の商人たちが日本橋と高井戸間に新しい宿場の開設を幕府に請願することとなったのです。そして翌年の元禄11年(1698)に宿場の開設を許可し、日本橋から2里弱の距離で、青梅街道との分岐点付近に新たな宿場が設けられることになりました。正式には元禄12年(1699)に内藤新宿が開設されました。

江戸六地蔵三番

そんな内藤新宿にお堂を構えるのが浄土宗の寺である「太宗寺」です。当寺は内藤新宿の真ん中に位置する中町にお堂を構える寺で、創建は古く慶長年間(1596~1614)の頃といわれています。歴史を遡ると寛永6年(1629)に内藤家四代の正勝が没して、はじめて太宗寺に葬られ、五代重頼が開基となっています。墓域の一画に内藤家の大きな墓所があります。山門を入ると最初に目に付くのが右手にある大きな地蔵尊です。

江戸六地蔵三番

これが金銅大地蔵尊と呼ばれる地蔵で、俗に言う「江戸六地蔵」の三番目にあたります。江戸の六地蔵とは江戸の出入り口にあたる街道筋に置かれた地蔵で、旅人の安全を祈願するために造立されたものです。ここ太宗寺の地蔵は甲州道中を旅する人たちの安全を長く見守ってきたもので、江戸時代の正徳2年(1712)に造られました。

閻魔堂

大きなお地蔵様の左手に江戸の三閻魔の一つである太宗寺の閻魔堂があります。都内最大の閻魔像は高さが5.5mもあります。お堂の中は薄暗いのですが、一眼レフのデジカメの絞りを全開しフラッシュなしでお堂の中を撮ってみました。すると色鮮やかな閻魔様が現れました。

閻魔様

閻魔堂と対峙するように建つのが不動堂です。この不動堂と稲荷神社の間にところどころ白くなっている像が安置されている祠があります。これが太宗寺の「塩かけ地蔵」です。足立区の西新井大師の境内にも似たような地蔵さんがありましたが、ここ太宗寺にも同様の地蔵さんが鎮座しています。

不動堂
塩かけ地蔵

この塩かけ地蔵は「おでき」にご利益があると言われ、地蔵さんにかけられた塩を持ち帰り、患部に塩を擦り込むとおできが治るそうです。まあ、塩には消毒作用があるのでおできにも効果があるのかもしれませんが、傷口に塩を擦り込むこと自体かなり痛そうですが…。

喧騒渦巻く新宿にあって、ここ太宗寺の境内だけは古刹の佇まいと静かな空気が流れていました。

浄土宗霞関山本覚院太宗寺
新宿区新宿2-9-2
03-3356-7731

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