旧東海道はまもなく京浜急行の「青物横丁駅」へ通ずるプラタナスの並木(ジュネーブ平和通り)へとさしかかります。なぜジュネーブ平和通りかと言うのは、品川寺とスイス・ジュネーブ市がある理由で深い関係があることからなのですが、この理由は後ほど述べる事として品川寺へと歩を進めていきましょう。
お地藏様と山門
この品川寺ですが読み方として品川にあるので、つい「しながわでら」と読んでしまいがちなのですが、実は「ほんせんじ」と読むのが正解なのです。
旧東海道の道筋に面して品川寺の入口が構えています。この品川寺には大きな青銅の地蔵菩薩座像が鎮座しているのですが、実はこの地蔵は「江戸六地蔵」に一つに数えられています。江戸に出入りする六つの街道の入口にれぞれ一体ずつ安置され、品川寺にはその第一番東海道の尊像として、「天下安全、仏法繁栄(ぶっぽうはんえい)、衆人快楽(しゅうじんけらく)」の祈願のもと奉安されています。このお地蔵さまが当寺に寄進されたのは開幕からおよそ100年余り経った宝永5年(1708)のこと。その後、現在まで300余年に渡って街道を行き来する人たちの旅の安全を見守ってくれていたんですね。
お地蔵さま
実は私自身、江戸六地蔵と呼ばれ、現存している5体の地蔵さまの内、4体のお地蔵様にすでにお参りしていました。そして5体目にあたる品川寺のお地蔵様にやっと巡り合うことができました。
お地蔵様は旧街道からほんの少し奥まった場所に鎮座していました。江戸名所図絵を見ると、ほぼ現在の位置と変わらない場所に鎮座しており、お江戸の時代からその位置が変わっていないことがわかります。
柔和なお顔立ちのお地蔵様としばし対面した後、街道から奥まったところに構える山門へとすすんで行きます。境内は新緑の葉に覆われた木々がうっそうと繁り、梅雨の晴れ間の陽射しも遮られ、ひやっとした感覚が肌に伝わってきます。
山門
境内はそれほど広く感じないのですが、訪れる人もなく静かな空気が境内を包んでいます。その境内に梵鐘を吊り下げた鐘楼が立っています。この梵鐘こそが冒頭に記した「スイス・ジュネーブ」と深い関係があるのです。
鐘楼
実はこの鐘は幕末の慶応3年(1867)にパリ万国博覧会に出品されたのですが、日本に返される途中になんと行方不明となってしまうのです。その後、大正8年にこの鐘がスイスのジュネーブにあるアリアナ美術館に保管されていることがわかり、昭和5年(1930)にここ品川寺にめでたく返還されたという嘘のような本当の話が伝わっています。このような話からこの鐘は「洋行帰りの鐘」と呼ばれています。
これをきっかけに品川区とジュネーブ市は平成3年に友好都市提携を結びました。だからジュネーブ平和通り、と名付けたり、この通りには「しながわ・ジュネーブ友好の花時計」が置かれています。
またこの梵鐘はあの振袖火事が起こった明暦3年(1657)に徳川三代の将軍、家康公・秀忠公・家光公の供養のために鋳造されたもので、徳川三代の将軍のそれぞれの号、東照宮、台徳院殿、大猷院殿と6体の観音像が浮き彫りにされ、さらに観音経一巻が陰刻されており、江戸の時代には「世にもまれなる梵鐘」と呼ばれていました。
残念ながら梵鐘の側にまで行く事ができないため、遠目から眺めるしかありません。境内にはもう一つ目をみはるような大きな銀杏の木が聳え立っています。なんと樹齢400年を数えるというほどの大銀杏です。
ご本堂
大銀杏
山門
当寺、品川寺は幕末の頃は荒れるがままに荒廃していたといいます。品川寺の復興は大正初期まで待たなければなりませんでした。現在ある堂宇はすべて大正以降に建立されたものです。ただ門前のお地蔵さまと大銀杏だけが物言わぬ証人として、品川寺の歴史を語ってくれているような気がします。
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この品川寺ですが読み方として品川にあるので、つい「しながわでら」と読んでしまいがちなのですが、実は「ほんせんじ」と読むのが正解なのです。
旧東海道の道筋に面して品川寺の入口が構えています。この品川寺には大きな青銅の地蔵菩薩座像が鎮座しているのですが、実はこの地蔵は「江戸六地蔵」に一つに数えられています。江戸に出入りする六つの街道の入口にれぞれ一体ずつ安置され、品川寺にはその第一番東海道の尊像として、「天下安全、仏法繁栄(ぶっぽうはんえい)、衆人快楽(しゅうじんけらく)」の祈願のもと奉安されています。このお地蔵さまが当寺に寄進されたのは開幕からおよそ100年余り経った宝永5年(1708)のこと。その後、現在まで300余年に渡って街道を行き来する人たちの旅の安全を見守ってくれていたんですね。
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実は私自身、江戸六地蔵と呼ばれ、現存している5体の地蔵さまの内、4体のお地蔵様にすでにお参りしていました。そして5体目にあたる品川寺のお地蔵様にやっと巡り合うことができました。
お地蔵様は旧街道からほんの少し奥まった場所に鎮座していました。江戸名所図絵を見ると、ほぼ現在の位置と変わらない場所に鎮座しており、お江戸の時代からその位置が変わっていないことがわかります。
柔和なお顔立ちのお地蔵様としばし対面した後、街道から奥まったところに構える山門へとすすんで行きます。境内は新緑の葉に覆われた木々がうっそうと繁り、梅雨の晴れ間の陽射しも遮られ、ひやっとした感覚が肌に伝わってきます。
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境内はそれほど広く感じないのですが、訪れる人もなく静かな空気が境内を包んでいます。その境内に梵鐘を吊り下げた鐘楼が立っています。この梵鐘こそが冒頭に記した「スイス・ジュネーブ」と深い関係があるのです。
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実はこの鐘は幕末の慶応3年(1867)にパリ万国博覧会に出品されたのですが、日本に返される途中になんと行方不明となってしまうのです。その後、大正8年にこの鐘がスイスのジュネーブにあるアリアナ美術館に保管されていることがわかり、昭和5年(1930)にここ品川寺にめでたく返還されたという嘘のような本当の話が伝わっています。このような話からこの鐘は「洋行帰りの鐘」と呼ばれています。
これをきっかけに品川区とジュネーブ市は平成3年に友好都市提携を結びました。だからジュネーブ平和通り、と名付けたり、この通りには「しながわ・ジュネーブ友好の花時計」が置かれています。
またこの梵鐘はあの振袖火事が起こった明暦3年(1657)に徳川三代の将軍、家康公・秀忠公・家光公の供養のために鋳造されたもので、徳川三代の将軍のそれぞれの号、東照宮、台徳院殿、大猷院殿と6体の観音像が浮き彫りにされ、さらに観音経一巻が陰刻されており、江戸の時代には「世にもまれなる梵鐘」と呼ばれていました。
残念ながら梵鐘の側にまで行く事ができないため、遠目から眺めるしかありません。境内にはもう一つ目をみはるような大きな銀杏の木が聳え立っています。なんと樹齢400年を数えるというほどの大銀杏です。
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当寺、品川寺は幕末の頃は荒れるがままに荒廃していたといいます。品川寺の復興は大正初期まで待たなければなりませんでした。現在ある堂宇はすべて大正以降に建立されたものです。ただ門前のお地蔵さまと大銀杏だけが物言わぬ証人として、品川寺の歴史を語ってくれているような気がします。
私本東海道五十三次道中記~品川宿」の名刹・古刹巡り(その一)
私本東海道五十三次道中記~品川宿」の名刹・古刹巡り~荏原神社~(その二)
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