大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

見つけた!上野桜木・浄名院に鎮座する六番目の江戸六地蔵

2011年12月09日 12時49分30秒 | 台東区・歴史散策
先日、秋色に染まる上野桜木の寛永寺の裏通りの寺町の散策を楽しみました。寛永寺境内の銀杏の木は今を盛りと黄金色の葉でおおわれ、去り行く秋を惜しむように色付いた葉が木漏れ日の中を一枚、また一枚と舞い落ちていきます。

そんな寛永寺境内からさほど離れていない場所に静かに佇むのが東叡山三十六坊の古刹・浄名院なのです。言問通りに面して寺領が広がっているのですが、山門は通りから石段を降りた位置に構えています。ちょうど上野の山の北側にあたる場所で、この辺りから根津、千駄木の谷あいへと下り始める地勢となっています。

言問通りから見る山門

この浄名院は寛文6年(1666)創建の古刹ですが、もともとは浄円院という院号でしたが享保8年(1823)に現在の浄名院に改称しています。歴史を感じる山門は享保年間に建立されたものです。

浄名院山門
浄名院山号

当院は地蔵信仰の聖地として知られており、境内には夥しい数の地蔵が祀られています。当院の由緒書によると、明治9年の頃、当院の三十八世妙運大和尚がインドの阿育王が建立した八万四千体の石宝塔に習い、これと同数の石地蔵建立の発願を行い、和尚はなんと八万四千体分の地蔵尊の真影を拝写し、八万四千人に授与したのです。そしてこの真影を授けられた人は地蔵一体を建立できるよう誓願されたのです。地蔵を奉納した方々の中には近衛、一条、小松の各宮家に始まり徳川、毛利の旧殿上人、更には陸奥宗光、大山元帥、三井や安田の財閥、梨園の花形などが名を連ねています。

夥しい数の石地蔵

境内の左手一帯にそれはそれは夥しい数の石地蔵が並んでいます。実際に八万四千体の地蔵が並んでいるのかは定かではありませんが、奉納された方々のなみなみならぬ仏への帰依を肌で感じます。

総本尊地蔵

そんなお地蔵様が並ぶ中にひときわ高みに鎮座する大きな地蔵一体があります。このお地蔵様こそ江戸六地蔵第六番の生まれ代わりなのですが、実は江戸六地蔵六番は深川にあった富岡八幡宮の別当寺の永代寺に鎮座していました。しかし明治の神仏分離令によって永代寺が廃寺となり、その際に永代寺に鎮座していた六番地蔵尊も破壊されてしまったのです。その後、明治39年に日露戦争の戦没者を慰霊するために、ここ浄名院境内に新たに建立されたものです。現在残る他の五体に比べ、やや小振りに造られたお地蔵様です。

江戸六地蔵六番
江戸六地蔵六番
台座に刻まれた六番の文字

江戸時代に建立された六地蔵はすべて、街道筋(東海道、甲州街道、日光奥州街道、中仙道、千葉街道)の寺院の境内に鎮座しています。これは街道を往来する旅人の安全を祈願するものだったのですが、ここ浄名院の地蔵六番は街道筋とはいっても言問通りで、本来の目的とは異なりその役割も薄れてしまっているような気がします。廃棄されてしまった江戸六地蔵六番の生まれ変わりのお姿を拝見できたことは個人的に喜ばしいことなのですが……。





日本史 ブログランキングへ

神社・仏閣 ブログランキングへ

お城・史跡 ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿