ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

西神吉町をゆく(2) 赤山(あかやま)

2024-02-09 08:27:12 | 加古川市歴史探訪・西神吉町

 

                西神吉町をゆく(2) 赤山(あかやま)

 写真をご覧ください。

 照明塔のある施設は、加古川市陸上競技場(加古川市西神吉町鼎1050)です。

 そして右の山は、神吉八幡宮のある宮山です。

 かつて、陸上競技場のトラックの場所に、標高54メートルばかりの小さな丘「赤山」がありました。

 少し古い地図に、赤山採土場とあります。文字どおり赤土の山でした。

 加古川陸上競技場は、この赤山を削ってつくられました。

 話題は、陸上競技場ではありません。この赤山のことです。

 日岡山から稲美町に続く土も、赤から赤橙色をしています。

 この「赤い土」の原因は、なんでしょうか。

 神戸大学の名誉教授・田中眞吾氏は、次のように説明しておられます。



 ・・・・もともと玄武岩は風化すると赤くなります。ブラジルのテラ・ロッシャもインドのイグールの赤土もこのためです。

 加古川辺りの台地は玄武岩の風化したものではない。とすると、他の原因を考えなければならない。

 これは、今から12・3万年前頃から始まった最終間氷期という温暖な気候下で、現在の、熱帯で見られるような風化作用を受けて、今見るような赤い色になった・・・・



 「赤山」の赤い土もこの時期にできています。

*『加古のながれ(市史余話)』(加古川市史編さん室)参照

 写真をご覧ください。

 照明塔のある施設は、加古川市陸上競技場(加古川市西神吉町鼎1050)です。

 そして右の山は、神吉八幡宮のある宮山です。

 かつて、陸上競技場のトラックの場所に、標高54メートルばかりの小さな丘「赤山」がありました。

 少し古い地図に、赤山採土場とあります。文字どおり赤土の山でした。

 加古川陸上競技場は、この赤山を削ってつくられました。

 話題は、陸上競技場ではありません。この赤山のことです。

 日岡山から稲美町に続く土も、赤から赤橙色をしています。

 この「赤い土」の原因は、なんでしょうか。

 神戸大学の名誉教授・田中眞吾氏は、次のように説明しておられます。



 ・・・・もともと玄武岩は風化すると赤くなります。ブラジルのテラ・ロッシャもインドのイグールの赤土もこのためです。

 加古川辺りの台地は玄武岩の風化したものではない。とすると、他の原因を考えなければならない。

 これは、今から12・3万年前頃から始まった最終間氷期という温暖な気候下で、現在の、熱帯で見られるような風化作用を受けて、今見るような赤い色になった・・・・



 「赤山」の赤い土もこの時期にできています。

*『加古のながれ(市史余話)』(加古川市史編さん室)参照

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1 コメント

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Unknown (明子)
2024-09-06 10:33:22
赤山周辺は私が子供の頃は「プリン山」と呼ばれてました。
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