ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

神野町をゆく(55) 石守廃寺

2022-04-05 09:04:33 | 加古川市歴史探訪・神野町編

    神野町をゆく(55) 石守廃寺

 日本へ仏教が伝えられて比較的はやい白鳳時代(645710)に、加古川地方に仏教が伝わりました。

 神野町の西条と石守に当時の寺院跡があります。

  *西条にあった寺院(西条廃寺)は、後日紹介しましょう。

 石守廃寺について『加古川市史(第一巻)』の説明の一部を読んでみます。



 ・・・(石守廃寺は)加古川下流の左岸の城山より二キロメートルあまり下った南東に隣接して、日岡山があり、その南方には日岡古墳群が立地する。

 石守廃寺は、その東方に当たる台地周辺部に位置し、西条廃寺から南西1.4キロメートルを隔てているにすぎない。

 198384年にわたる発掘調査により・・・法隆寺式伽藍配置を基準とし、寺域はおそらく方一町を占めていたものと推察されている。

 ・・・・8世紀の前葉に創建されたものであり、終末は9世紀に入ってからと考えられのである。

 また、南面する法隆寺式伽藍配置、瓦積基壇や回廊代用の柵列、古瓦など、隣接する西条廃寺との数々の類似点も見逃しがたいところである・・・



 詳しくは、『加古川市史(第一巻)』をご覧ください。

 現在、石守廃寺跡がみつかりません。近所の人に訪ねてみても分かりません。それもそのはずです。

 市教委に問い合わすと、「保存が難しくなったので、現在少し南の宝塔寺の境内に移転保存されている」(写真)とのことでした。

 基壇部等の保存はなかったのですが、塔の礎石が境内の隅に保存されています。



 

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