ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(64) 山角(やまかど)廃寺

2024-05-20 08:24:35 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

     平荘町・上荘町をゆく(64) 山角(やまかど)廃寺

 平荘小学校の校庭の隅に、塔の心礎(写真)があります。中心に円形の孔が彫りこまれています。

*昨日、山角廃寺の礎石(写真)を撮影に平小学校へ出かけました。残念なことに同校は今年から小中一貫の義務教育学校「両荘みらい学園」になり校門には鍵がかかっており入ることはできませんでした。写真は数年前に撮った一枚です。

 かつて、山角(やまかど)に寺があったことを物語っています。
 この寺の元の位置についてははっきりしませんが、近くに古瓦の散布が見られたという報告があり、おそらく、この付近にあったのでしょう。
 仏教は6世紀に朝鮮より伝わり、白鳳時代(645~710)に、非常な勢いで全国各地にひろがりました。
 山角にある古代寺院もその一つです。
 加古川市には、同時期の寺院として、野口・西条・中西(西神吉町)・石守(神野町)等でも確認されています。
 時代は仏教文化が、古墳文化にとって変わろうとする時期でした。とすると、この寺院を建設したのは、それまで古墳を築いていたこの地域の豪族であったとも想像できます。
 平荘は、古墳の発達した地域でした。
 荘園時代、山角辺りは、印南荘屏村と呼ばれていた。屏は塀であり、西と北を山(塀)で囲まれた地形です。
 慶長時代の絵図では、山角は山門の字を当てており、村の名前は、山(塀)の前にある村の意から来ているのかもしれません。
 加古川市史(第一巻)は「・・今後における資料増加に期待するとして、ここでは7世紀末から8世紀はじめのころに創建された山角廃寺の存在を推測することにとどめておきたい・・・」としています。

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