お寺さんぽ Ver.03

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稲荷神社 後編(全国各地)

2006年03月16日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
「おいなりさま」で親しみ深い稲荷神社の後編をお届け
します。

お寺、ではないですが、全国各地、いたるところにある
ので、前々から気になっていたんです。
例によってひでるさんはさほど知識ない世界ですが、
なるたけ分かりやすく提供したいと思います。

えっと前の話で、奇跡的な展開で稲が生えたところを祭っ
たのが稲荷神社の始まり。
…というところまで書きました。
この「稲が生えた」で想像つくかと思いますが、稲荷の神
はもともと穀物神、農耕神として信仰されていたんですね。

ちなみに、稲荷神というのは穀物神の尊称(注1)で、特定
した一人の方を指しているんではないそうです。

※以下の神様(抜粋)
宇迦之御魂(うかのみたま)五穀と養蚕を司る穀物神。
             秦氏の氏神。
豊受媛神(とようけびめ)稲の生霊。食物・穀物の女神
宣都比売神(おおげつひめ)食物の女神

ほか、保食神(うけもち)さんという神様も稲荷神の一人
になります。
この保食神さんは「日本書紀」によると、口から吐き出した
食物を月夜見尊(つくよみのみこと:月の神)に出し、それを
汚いと怒った月夜見尊は保食神を斬ってしまいます。
なんじゃそりゃ、な話ですが本当です。で、これには続きが
あり、事件を聞いた天照大神は「もう月夜見尊とは会わない!」
と言い、それがために朝と夜が交互にでるようになったそうです。

ギリシャ神話などでも、こうした神様の子供じみた喧嘩があります
が、こちらもまったく変わんないですね。

とまぁ、そんな五穀・食物の神様はいつの間にやら、時代の流れも
あるのか、商売繁盛をサポート。
ついでに、家内安全までをも担当するようになっていくのです。

そして稲荷…と言えば神社前におわすお狐さまですね。
このお狐さまが稲荷さんではありませんよー。

このお狐さまは稲荷さまの眷属(注2)になります。
それなのに、なぜか供え物の中にはちゃっかり狐の好物「油揚げ」
が加えられており、それから油揚げ料理には”稲荷”をつけるよう
になりました。
稲荷寿司とかいいですね。(愛知県豊川稲荷が発祥地)



※ややこしい言い回しは辞書ひきました。[goo国語辞典より]
(注1)尊称(そんしょう):尊敬の気持ちをこめて呼ぶ呼称。
(注2)眷属(けんぞく) :従者とか家来のこと。  


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お寺と神社

2006年03月15日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は知っているようで知らないシリーズ、
コメントでいただきました「神社とお寺」についてです。

「えー、神社とお寺の違いを説明して下さい」
そう街頭インタビューかなんかでマイク突き付けられたら
…喋れないでしょ?
なんとなく分かるけど、説明できないこの話題。
今回は万が一そんな状況となった場合(←ないよ)に
きっちり言えるよう、軽く勉強しときましょう。

ちなみに、「稲荷神社・後編」は明日やります。
期待してた方すみません。(まぁ、いないと思うけど)
一応関連してるでしょ?
毎度のことながら、難解なものには拒否反応を示す
ひでるさんなんで、なるたけ簡単に書きます。
興味もった方は専門サイトへどうぞ。

まず、イマイチ皆知らない(と思う)神社から。
これは日本古来よりの神様が祭られている所を指し
ます。
世界各地であった自然崇拝は日本にもあり、自然
万物全てには神様がいるんだよー、という考えがあ
りました。
(※それこそ太陽から土、そこらの物に至るまで。
八百万(やおよろず)の神、と言われるほど多い)

本来なら、漫画・映画でよくあるような、
「あの人は…私の心の中で生き続けている……」
みたいに、偶像だの場所だのは不要だったんです。
例えば、月の神様に祈りたいなら夜に顔上げればい
いんですから。
だから経典とかややこしい類のものはなく、それぞれ
地域によって様々であったようです。

社(やしろ)というのも、本来は儀式のため一時的に
作る祭壇だったんですね。
だから、社に入るのも一時的なもので、常にそこにいる
訳ではなかったんです。
でも、伝来した仏教がお寺を作りはじめると、神道も
それに対抗するべく神社(お社)を作っていった。
そんな感じらしいです。
神社に神様がおわすようになるのも、それからのこと
です。

お寺は仏教ですね。
仏教は”仏陀の教えを広める宗教団体”です。
こちらも過去には寺というものはありませんでしたが、
僧侶の宿泊施設、祭壇の暑さよけの傘(らしい)が
合わさって、今のような形になっていったそうです。
寝てる間とか、うっかり地面の虫を殺さないため、
という説もあるようです。

…そんな感じ。
ようはテニスとバトミントンみたいなもんで、よく似てい
るんですが、全然違うものなんですね。
でね、いまそこで↑ひでるさんは例え話をしましたが、
僧侶はこれと同じことをして自然崇拝だった日本人に
仏教を広めていくのです。

ほら、いきなり何も知らない人に「大日如来が~」とか
言っても「誰だそれは?」で終わってしまうでしょ。
そのため、これを説明するのに、
「天照大御神いるでしょ、ほらお天道様ぁ。カレ仏教界
では大日如来って言うスゴイ方なんよ。そう、同じ同じ、
言い方違うだけー。でね、こんな感じの方でさぁ…」
という流れ。 (※路上ナンパ風)
で、仏像でも見せようものならビジュアル的にも受け入れ
やすく、「ありがたや~」となると。
たぶんそんな感じ。

仏教は伝来と共に各地で地元神を取り入れたり、融合
したりするんですが、そんなこんなで神社とお寺の区別
がつきにくくなるんです。
特に七福神の紅一点、弁天さまになると、
仏教:弁才天
古代インド:サラスヴァティー (※ヒンドゥー教)
日本:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと:水神)
…という具合です。
ちなみに弁天様は神道色が強かったらしく、たいてい
神社として残ったようです。

明治時代になると、政府の方針で仏教と神道を分ける
こととなる(神仏分離令)んですが、あまりに融合がうま
くいったもんで民衆にまで伝わらず、今のような感じで
残っていったようです。
どっちだかわかんない、というのはその頃もさして変わり
なかったんですね。
お寺にお社があったり、狛犬がいたりするのはその名残
であるようです。


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稲荷神社 前編(全国各地)

2006年03月14日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「おいなりさま」で親しみ深い稲荷神社です。

お寺、ではないですね。ええ。
例によってひでるさんはさほど知識ない世界ですが、
調べたものをなるたけ分かりやすく提供したいと思い
ます。
…まちがっていたらごめんなさいね。
あらかじめ。

規模の大小はありますが、全国各地でよく見かけま
すよね、この稲荷神社。
なんと、全国には三万を越える数があるそうです。
当然ながら神社では最大規模だそうです!
すごいですね!

これは古代最大の氏族であった「秦氏」によって奉祭
されたことが切っ掛けであるようです。
蘇我氏、物部氏、藤原氏…とかの類いで秦氏という
一族がおったそうです。蘇我とか物部って名前を聞け
ばピン!とくると思います。
それもそのはずで、政治に大いに関わった両氏と違い、
秦氏は商業で栄えたのです。
要するに、あまり歴史教科書では習わない、ということ。

この秦氏が京都の東寺建造の際に木材を提供した関係
から稲荷神は東寺の守護神となり、この東寺にて真言
密教の荼枳尼天(だきにてん)とくっつけられ、真言宗と
共に全国へ布教されました。
…で、時は流れて明治時代の神仏分離の際に、大抵は
稲荷神社となり、一部が荼枳尼天を本尊とする寺になった
とか。

その秦さんと稲荷神社について。
秦氏の祖先に、ある裕福な男がおりまして、彼はそれを驕っ
ており、ある時モチを的にして矢を射りました。
すると、なんとモチは白い鳥となり、飛び去ってしまいました。
その鳥が降り立ったあたりに稲が生えてきます。
男は稲が生えた場所を「稲荷神社」として祭ったのでした。
めでたしめでたし。

しかし…なんでこの人モチなんぞをを矢で射ったんでしょう?
なーんてくだらん疑問はとりあえずおいといて。
矢は統治の象徴、モチは神様へのお供え物ですから、まあ
そのまま神様でいいでしょう。
その男は裕福なあまり、神すらあざ笑うほどに奢っていた、
という解釈でいいと思います。

秦さんの祖先はそれで反省し、祭ったことでその後も栄えた
ようです。
ですが、鳥になって飛び立つまで同じ話で、その後に何もし
なかった例もあったりします。

どうですか?だいたい想像つきますよね?
皆様ご想像のとおり、こちらは滅んでしまったというんですよー。
なんか手塚治虫の「火の鳥」みたいでしょ。
怖い、怖いですねー。
裁かれちゃったんですねー。(淀川長治風に)

↑この後「サヨナラ×3」を書こうと思ったんですが、それだと
終わっちゃうので残念ながらやめました。

            <後編へつづく>


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養源院 (京都)

2006年03月13日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は東山区の養源院です。

その昔、現在の京都市伏見区には城がありました。
名を「伏見城」
豊臣秀吉が隠居城として建設したのがはじまりです。(注)
当初は別のところでしたが、大地震で崩壊後に桃山(現在の木幡山)
へ築城されました。
廃城後に一帯が桃畑となったので伏見城は「桃山城」とも呼ばれています。

安土桃山時代という名称は信長が居城とした安土城、秀吉の隠居先であった
この桃山城からそう呼んでいるんですが、安土はいいとしても桃山ってのが
どうにもおかしい。
秀吉の居城は大阪城でしたし、いた当時は桃山城ではなかったんですから。
安土大阪時代、あるいは安土伏見時代ではないか?
と何処かの本に書いてありました。
なるほどねー。
まぁ、理屈はそうなんですが、これは本件とは関係ありません。
とりあえずほっときます。

さて、豊臣秀吉の死後、子の秀頼は大阪城に。
徳川家康は伏見城に入り、ここで政務をとっておりました。
乱を起こすことで反対勢力の一掃を狙っていた家康は越後上杉氏に難癖をつけ、
とうとう上杉征伐へ出掛けます。(関ヶ原合戦の切っ掛け)

その際、留守になる伏見城には腹心の鳥居元忠(とりいもとただ)を入れました。
旅立つ前日の夜二人は酒を酌み交わします。
…その後の展開をよく分かっていたんですね。

家康の留守を狙って石田三成が挙兵すると、伏見城はまたたく間に西軍軍勢に
囲まれ、元忠はここで討ち死にします。

家康はひでるさん嫌いなんですが、この元忠ほか家臣団はいいんですよねー。
彼ははじめから玉砕覚悟で入城してるんです。
主君のため、あえて捨石となる道を選択したんですよ。
(家康も知ってて彼を配置してるんですが…)

で、ここようやくでてくるタイトルの「養源院」
天井はなんと上記伏見城の床です。
ついた別名が ”血天井”
うぉ、すごい!
もともと淀さんが父である浅井長政の菩提を弔うために養源院を建立したんです
が、火災で焼失。その後淀さんの妹の崇源院(二代将軍徳川秀忠の妻)が秀忠に
懇願して、なぜか伏見城の遺構を移して再建しました。
なんで??

まぁ、この血天井の凄いことったらなく、守備していた鳥居元忠ほか自刃した方々
のおびただしい血痕が「ウワァー」という具合に残っているんです。
鳥居元忠とされるあたりはうっすら人型がわかるくらいでして、寒気がしました。

夜は間違っても行きたくないですよ。
ちょっと刺激を求めているかたは(昼間ですが)ぜひどうぞ。



(注)足利将軍家の家臣である三淵藤英
   (細川首相の先祖、細川藤孝の実兄)
   がもともと付近に城を持っていたという話もある。


[住所] 養源院 京都市東山区三十三間堂廻り町

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秘仏開帳~特別拝観の古寺・名刹をゆく~ (DVD・CM)

2006年03月12日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はオススメDVD「秘仏開帳~特別拝観の古寺・名刹をゆく~」です。

「仏像」はお寺さんぽでは最も重要な要素になります。
例えるなら、ウルトラマンのお話で科学特捜隊のみで怪獣を撃退し、ウルトラマンが
でてこないようなもんです。
黒部進だけなの。
まぁ、いいけど…主役不在ってのはどうよ?
そんな感じ。
ひでるさんはお寺にて何度かそういう体験をしております。
というか、お寺めぐりをした経験のある人なら必ず一度はあるでしょう。
特別拝観の文字に喜び勇んで入ったものの、庭だけで仏像はおられなかったこと。
そのお寺におわすのは知ってるのに、時期が合わずお姿をみることができなかった
こと。
美術館などに出張しておられ、偶然いなかったこと。
(仏像界では結構頻繁にあります。仕事熱心ねぇ)

特に私の見たいのは聖天こと「歓喜天」さまなんですが、こちらは完全秘仏な仏さま
で、どこへ行っても
扉は閉ざされ、ちらと見ることすら適いません。
(実は一度見てますが、それはまた別の機会で…)

秘仏。
…それはある一定時期のみ見れる仏像。
 それは僧侶のみ見ることができる仏像。
 それはたとえ住職であっても見られない仏像。
 
何回かその言葉のために無駄足をふんでおりますが、そんなひでるさんと同じ、
くやしい境遇な方にオススメしたいのが今回のDVD
「秘仏開帳~特別拝観の古寺・名刹をゆく~」です。

秘仏開帳 特別拝観の古寺・名刹をゆく

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秘仏開帳、の文字が気合ばっちりです。
説明文によると「滅多に人々の眼に晒されることのない尊い仏像の数々をハイビジョン撮影
素材を含む全編高画質映像で収録」とのことです。
この文だけでもテンション↑ですよ。
んで、そのラインナップが下↓に。

※収録内容(一部抜粋)

[東日本]
■慈恩寺(山形)重文「弥勒菩薩像」 ■善光寺(長野)重文「一光三尊阿弥陀如来像」 
■浅草寺(東京)「お前立ち聖観音」 ■称名寺(神奈川)重文「弥勒菩薩像」
[京都府]
■清凉寺 国宝「釈迦如来像」 ■広隆寺「聖徳太子三十三歳像」 
■六波羅蜜寺 重文「十一面観音菩薩像」 
■慈照寺銀閣「洞中観音菩薩像 千體地蔵菩薩像」 ■知恩院「宝冠釈迦如来像」 
■高台寺「随求菩薩像」 ■東福寺「宝冠釈迦如来像」 
■浄瑠璃寺 重文「薬師如来像」重文「吉祥天女像」
[奈良県]
■興福寺 国宝「不空羂索観音菩薩像」国宝「弥勒如来像」 ■法華寺 国宝「十一面観音菩薩像」 
■大峯山寺「蔵王権現像」 ■秋篠寺 重文「大元帥明王像」 ■唐招提寺 国宝「鑑真和上像」

みてみて!
いつだかひでるさん文句言った銀閣寺こと「慈照寺」ほか、奈良の期間限定公開仏の数々!
秋篠寺の「大元帥明王像」もラインナップです!
すごいです!
ステキです!
かっちょえーです!
めちゃくちゃ欲しいんですが……実はひでるさんまだ買っておりません。
紹介しておいてなんですが。
うふふふふふふ…。



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お寺と音楽 (第一回)

2006年03月11日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
今日はお寺と音楽についてです。

微かに聞こえる蝉の声。
一歩踏みだすと、目前には静謐な境内が広がっていた。
やや薄暗い堂内はしんと静まり、こちらを圧倒するような仏像が
穏やかな笑みを浮かべている。
遠くで偶然に響いた鐘の音は、まるで心に染み渡るようであった…。

えっと、お寺のイメージっていうとこんなもんでしょうか?
まぁ、当然ですが静かなものですよね。
まるで語りかけてくるような仏像と無言で相対することで、何か新たな
発見があるかもしれません。
めでたしめでたし、ってことでおしまい。
それじゃまた。


…いや、おわっちゃ駄目で。
普通はそうして心安らかに鑑賞するのが普通ですよね。
ですが、たまには好きな曲でも聞きながらではどうでしょう…………。


いつもの人はこんにちは!
「初心者のクラッシック」から訳もわからぬまま飛ばされた方はじめまして。
お寺さんぽニスト、といつの間にか自称していたひでると申します。

今回は趣をちょっと変えまして、提案スペシャル企画なんですね。
最近はまた「メモリプレイヤー」とかいう大変コンパクトで便利なものがあり
ますので、好きな曲をつめこんだりして、お気に入りなメロディーを聴きなが
ら、各寺院をまわるってのもいいですよ!
はい? なんでそんなことすんのか、って?

これをすることでの最大の利点は、なんと言っても階段をくじけずに上れる
点ですね。
特に山寺ともなると行くまでにえらーく苦労させられるんですが、案外意識の
一部を別に向かわせることで”苦”を和らげることができます。
ほら、軽く歌詞を呟いたりして。
山登る際に歌うようなもんですよ。

実際、ひでるさんが京都の炎天下(別名灼熱地獄)を山奥まで自転車なんぞで
行けたのは、↑これのお陰だと思います。
延々続く階段も、夏の暑さも、冬の寒さも、(ある程度)へっちゃらになります。
退屈しません。

次の利点は、タイミングよく雰囲気に合った曲(なんつーかクラッシックみたいな
雄大な曲など)がくると、なんだか常よりも感動する点ですね。
ほら、映画とかドラマの挿入曲みたいなもんですよ。
想像するより案外いいもんなので、騙されたと思って試して見て下さいな。
感動すればそれだけ、曲を聞く度にその時の情景が蘇ります。
うわ、なんかかっこいいですね! (←そうか?)

まあ、要は好きなことを二重で楽しもう、ってな話でした。
ひでるさんがいつの間にやらブックマークへリンクしておいた「初心者のクラッシック
で、今回は特別に(※無理やり)お寺とぴったりな曲を紹介してもらいました。

まったく種の異なるブログの連携企画ですよ!すごい!
ぜひ立ちよってみて下さい。
私もどんな曲を紹介したのか知りませんので、これからリンクで飛びます。
連携記事はコチラからどうぞ→関連記事はここから



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五劫思惟阿弥陀如来 (京都・金戒光明寺)

2006年03月10日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は金戒光明寺の石仏阿弥陀如来です。

とりあえず写真見てください。
…なんか変でしょ?
そう、あたまデカイのよ、この方。
当初はなにかの間違いか、はたまたじょーだんか、という感じで面白がって写真を
撮ったんですが、これが色々本を見ているうちにありました。
ちゃんとした仏像です。
ウケ狙いではありません。
なんだか、コレ過去にどこぞのテレビでも紹介してたようなんですが、ひでるさん仕事
で見れない時間帯なので、そこで知ることができませんでした。

正式名称「五劫思惟阿弥陀如来」 (ごこうしゆいあみだにょらい)

で、なんでこんなお姿になってしまったかというと、時間長かったから髪伸びたの。(本当)
いや、笑うところではありませんよ。マジです。
経典によると、阿弥陀様が西方に極楽浄土をつくるのに考えちゃって「五劫」というえらく長い
時間がかかり、それと共に髪の毛が伸びてあんなになっちゃった、と。
ロン毛も素敵だと思ったんですが…阿弥陀様天パーですか?

ちなみに問題の「五劫」という時間。
岩に天女の羽衣がこすれ、山全体がなくなるまで、だって。
ぷぷぷ…こちらがどかーんと笑いを誘う箇所ですよ。
山全体なくなる頃には地球も一緒になくなってると思います。

まぁ、そんだけ大変だったと。
髪の毛だってわちゃくちゃになります。

その特異なお姿から仏像マニアの間ではかなり有名な仏像だそうです。
下に書いておきましたが、奈良には重文の五劫思惟阿弥陀さまがおられるそうです!
うわー仕事なんてほったらかして見に行きたいですねー。

★五刧思惟阿弥陀如来 スポット ★

☆東大寺勧進所  重文 五刧思惟阿弥陀如来坐像(毎年10月5日のみ)
[住所] 奈良市雑司町406-1 東大寺

☆五劫院  重文 五刧思惟阿弥陀如来坐像
(毎年8月1日~17日の期間、それ以外は事前連絡で拝観可能)
[住所] 奈良県奈良市北御門町24

☆金戒光明寺  石仏 五刧思惟阿弥陀如来坐像(いつでも ※添付写真)
[住所] 京都市左京区黒谷町121

※これ以外にも普通の仏像に混じっておられることがあるそうです。皆で探してみましょう!


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水琴窟 (京都・妙心寺退蔵院、正法寺)

2006年03月09日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
今日は妙心寺退蔵院と正法寺の水琴窟を紹介します。

水琴窟(すいきんくつ)ってなんでしょう?
前にもちょっと触れてたんですが、これは百の言葉で
説明するより直接お寺まで赴いていただき、直接聞い
てもらうのが一番なんですよ。
…まあ、でもとりあえず「そこまで行きたい」という気持ち
にさせなければいけませんね。
がんばりましょ。

お寺で音というとなんでしょう?
鳥や虫、木々の音といった自然なものを省くと、なにを
思いつきますか?

ああ、「鐘」ですか。……そりゃお寺と言えばそうですね。
葉音だけ聞こえる静粛な中に重低音で響き渡る鐘の音は
いいもんです。
遠くから聞こえてくるのもいいですが、間近で仏像なんて
眺めながら聞くのもコンサートちっくでいいものです。
ひでるさんは何回かお寺さんぽ中に聞きましたが、
「ああ、お寺なんだねぇ」と雰囲気を大いに盛り上げて
くれました。

お寺、というより庭なんですが、「鹿威し」のかぽーんという
甲高い乾いた音も風情ありますよね。
できればこれ室内に設置したい程好きなんですが、たまに
見かけるミニチュアのは音が軽くてテンポも早いので…
こうなったら自作するしかなさそうです。

さて、そんな重い音や乾いた音に勝るとも劣らない、澄んだ
「水音」を奏でてくれるのがこれから紹介する水琴窟になり
ます。
これ、実際はお寺というより日本庭園の装飾でして、よく知
られるようになるのは江戸時代中ごろ。簡単に書けば”静か
な洞窟で水滴が落ちた時に発せられるような、やや金属的な
音が反響して聞こえる”となります。
実際のつくりもほぼそのまま(瓶を逆さにしたような感じらしい
です)なんですが、それが鹿威しのように一定間隔で聞こえて
くるんですね。
これが実にいいんです!
クラッシックのような、ちょっと贅沢な気分になれます!
コスモを感じますよっ! (※聖闘士星矢)

どうでしょう?雰囲気伝わりましたか?
ひでるさん、旅雑誌の記者になれますかね。(←なれない)

これはどこのお寺にもあるものでないので、ぜひ京都へ行った
際にはピンポイントで訪問して下さい。
心が宇宙まで広がっていくような気分になれること請け合いです。
しかし、いきなり竹に「耳」ってのも物凄いですね↓。




[住所]
妙心寺退蔵院 京都市右京区花園妙心寺町35 ※耳の写真
正法寺 京都市西京区大原野南春日町 1102  ※上添付写真


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大日如来 (京都・霊山観音)

2006年03月08日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は霊山観音の大日如来です。

ひでるさんが如来シリーズ中で最も好きな仏像になります。
あまりあちこちでは見かけず、また石仏でも数は少なく、
派手に着飾っているうえに偉いという。
おまけになにより見分けが「楽」です。
素敵ですね!

偉いというのは、大日なんてお日様を名前にしていることから
想像できると思いますが、(日光菩薩…あ)密教ではこの方
「仏法そのもの」とまで言われています。
梵名はマハーヴィローチャナ。
マハーとは大、ヴィローチャナは光が広く照らすこと、そんな
訳で大日と命名されたようです。
同じお日様~ってことで日本ではあの天照大御神と同一視され
ていたそうです。
どうです?
ほへー、なんか大層なお方じゃのー、という気持ちになったで
しょう。

見分け方ですが、過去に「お父さんのための仏像講座」で忍者
がドロンする時の手つき、とか微妙な表現を使いましたが、
これを細かく書くと、左手の人差し指を立て、その人差し指を
右手で包む、という具合になります。(※写真参照)
これを「智拳印」といい、それが最大の特徴です。

なにせ他にこの印を結んでおられる方はいない(たぶん)ので、
この印を見たら「大日如来だ!」と叫んでいいと思います。
おそらく。
…あ、お寺で叫ぶのはよくないですか。そうですね。
「大日如来だぁ」と囁いて下さい。万が一間違っていても気づ
かれませんから。ばっちぐーですね。

と、ここまで書いておきながら、実はもう一パターンあるので
そちらもご紹介を。上で説明した智拳印の大日さまは「金剛界
曼陀羅」の主尊です。
ややこしいので、そんなもんかーという具合で流して下さい。
なんというか野球にセ・パの2リーグあるようなもんです。

もう一方は「胎蔵界曼陀羅」の中心尊です。
お腹のあたりで伸ばした指を組み合わせる「禅定印」の仏像
になります。すくった水をためてるような手つきの方です。
お釈迦様なども同様の印をとることがありますが、それら以外
に大日さまには決定的な違いがあります。
これは上記「金剛界、胎蔵界」どちらも共通です。

①座像である。(かならず座っておられます)
②宝冠、瓔珞、腕釧、臂釧等など、装飾品が華やかである。

以上です。
ようするに豪華に座ってて上記のような印なら大日如来さま
ですよ。
決して乗り物(象とか獅子とか)に乗ったり、何か持ってた
りはしませんので、そこで見分けて下さいね。



[住所] 霊山観音 京都市東山区高台寺下河原町526-2


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赤山禅院 (京都)

2006年03月07日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は左京区の赤山禅院(せきざんぜんいん)です。

一応、ルビを追加しておきました。
簡単な漢字の並びですが、大きく声に出して言いにくいでしょ?
やべ、これでいいんだよな、とか思いながらだと小声になってしまうものです。
うふふふふ…。

さて、ここ赤山禅院は慈覚大師が中国の赤山にある泰山府君を勧請したものです。
なんのこっちゃわかんないでしょ。
これがそのまま看板になってるのです。京都市は訪れる一般人のことを考えて、もう少し
くだけた表現にする必要があると思いますよ。
細かく調べると、

1)慈覚大師 …第三代天台座主で、最後の遣唐使で唐へ留学。円仁(えんにん)ともいう。
2)泰山府君(たいざんふくん) …赤山明神の唐での名前。天台の守護神。
3)勧請(かんじょう) …神仏の来臨(らいりん)を請うこと。

要するに、慈覚さんが中国の神様に頼んで日本へ出張してきてもらった、みたいな感じです。
ただ、慈覚さんは結局色々あって創建できず、彼の遺言をうけた弟子の安慧(あんね)さんが
仁和四年に創建しました。
なんかお弟子の方は日記でもつけてそうですが、それは置いといて。

ここの奥には「正念誦(しょうねんじゅ)」という最も重要な修法についても書かれた看板があり、
これを極めるとご本尊と感応して”まことの心眼を開く”ことができるそうです。
すごいですね。
帰ってきたウルトラマンの世界です。 (←わかるひとだけ楽しんでください)

また、なんとその方法が直接書いてありました!
すごいです!これで貴方の心眼もばんばん開きますよっ!!
ぜひここで紹介させて頂きます。
(…しかし方法をあっさり記述してること自体もすごいですね)

えっと、邪念をなくして「我とご本尊は一体なり」と集中し、数珠を握りながら真言を唱える…。(注)

…………一生やってて下さい。

ちなみに、この赤山明神こと泰山府君が福禄寿と同一視される俗説があり、そのためかここでも
福禄寿さまが祭られています。(お外ですが、七福神全員おわします)



(注)本当に唱えたい人のために「オンサルバ・シチケイ・ビシュダラニ・ソワカ」がご真言です。
   ほどほどでやめておくよーに。


[住所] 赤山禅院 京都市左京区修学院関根坊町

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人間五十年…の幸若舞「敦盛」 (歴史さんぽ)

2006年03月06日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は幸若舞「敦盛」についてです。

まぁた、大して知りもしない世界をいかにも詳しい風に語る”なんちゃって
企画”です。ひでるさんと同じなんとなく知ってるかも、からそれ以下の方
にお届けします。
詳しい方、詳しく知りたい方は例によって専門サイトを検索下さい(笑)

★幸若舞(こうわかまい)
古い舞楽で長い伝統(約七百年)をもつ幸若舞。創始者は室町時代付近
の武将、桃井直詮という方。この人が草子(ものがたりのこと)に節を
つけ、うたったのが大そう評判になった。というのが始まりです。
んで直詮さんの幼名を「幸若丸」といったところから、「幸若舞」になった
そうです。
中世に「能」と並んで武士には大いにもてはやされた芸能で、武士の
華やかでかつ哀しい物語が多く、当時の方々に共感されたようですね。
あれですよ、NHK「おしん」の大ヒットみたいなもんです。たぶん。
これを踏まえて次に。↓

★敦盛(あつもり)
源平合戦での「一ノ谷合戦」で、平敦盛は熊谷直実に一騎打ちで敗北し、
討ち取られます。
若い敦盛を討ち取った直実は世の無常を感じ、出家してしまいます。
…この「敦盛」ってのはそんな話です。
その後半の一節に、

「人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。
                  一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか」
                  
という詞章があります。
かの織田信長がこの一節を好んでおり、今川義元との桶狭間合戦の出陣
の際にうたったところから一躍有名になっています。
映画とかドラマでも必ず出てくるシーンですね。

ここに「くらぶれば」だの、「滅せぬものの」だの過激ちっくな言葉がある関係
で、「ああ、信長ちゃんったら。残酷なお方だから…過激なんがすきなのねー」
と思うでしょ?どうよ?
ひでるさんはバリバリそういう考えでした。
これ見たのは光栄のシミュレーションゲーム「信長の野望・全国版」でしたし。(※↓)

でもね、実際は違うんですよ。
>中世に「能」と並んで武士には大いにもてはやされた芸能で、武士の
>華やかでかつ哀しい物語が多く、当時の方々に共感されたようですね。
…って、先に書いたでしょ。
ばりばり血が飛び散るスプラッターな話なんて誰も聞きたくありませんて。

☆人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。
これは人の寿命がたった五十年という意味でなく、下天(天界の最下層)では
一日が人間世界で五十年に相当する。という意味です。
だから、そこの視点で考えると夢や幻のよーなもんだ。ということですね。

☆一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか。
命あるものは全てかならず滅びる運命にあるんだよ、と。

要するに「人の世界は天界感覚から一日程度のことなんだから、死を恐れずに
精一杯がんばろう」というような意味です。
物凄いポジティブシンキングですね!
ぜひ模範にしたいものです。
また、当時の信長の心境を如実にあらわしていると思います。

「海道一の弓取り」と呼ばれ、格式から実力から申し分ない今川義元の大軍勢が
迫るなか、信長は必殺の一撃を狙っていたんです。
(だから篭城論は却下なの)
計算して~なんて持ち上げている方もいるようですが、結構ポジティブに勢いだけ
でやっちゃったというのが本当のところであるようです。
なにしろ、砦が落ちたときだかなんだかのときに、「こうなったら特攻する」みたいな
事を言い出して、家臣に止められたりしてます。
そのうち田楽狭間に差し掛かり~、という情報でそちらへ反転、途中で天候は雷雨
となり、うまいこと行軍の音を掻き消してくれたんですね。
んな細かく行軍を計算するなんてできませんよ。
奇襲の考え(おもいきり)と天候と情報、そして運。
…それらがセットになって、ああいう結果をもたらしたんでしょう。

とまぁ、話が脱線しましたが、以上「人間五十年~」はがんばろうよ!という意味でした。
今週も精一杯がんばりましょう!


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※世間のお母さん方へ:
ゲームは悪影響ばかりでありません。ひでるさんがいいかどうかは微妙ですが、
それを切っ掛けに歴史に開眼する可能性もあります。漫画もしかり。
大きな心で見守ってあげて下さい。
うふふふふふふ………。

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全自動・御手洗所 (東京・大円寺)

2006年03月05日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は東京は目黒の大円寺です。

目黒の大円寺といえば無数の石仏が印象深いお寺ですが、なにげなーく
見ていたひでるさんの目に驚きの光景が飛び込んできました。
どうぞ、写真をご覧下さい。

『龍の口正面に立つと水が出でます』

そうなんです、自動なんですよ。
お寺さんぽをはじめてから、いままで約300近く寺とか寺院とか名所をくるくる
回ってきましたが、自動だったのは初めて見ました。
たぶん。

たいがいがチョロチョロ出続けているか、止まっていて干上がっているかの
どっちかでしたが…。
思わず、試しに立ってみました。
でます。
ちゃんと水が出ました。(←当たり前)

なんというか…東京ですねぇ。

まぁ、電車のトイレとかでもいつの間にかセンサーが当たり前の世の中です
から、お寺もだんだんこんな感じになっていくのでしょうか?
これはいいんだか、わるいんだか。



[住所] 大円寺 目黒区下目黒1-8-5


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本能寺跡地 (京都・中京区)

2006年03月04日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は歴史的にも有名な「本能寺の変」その場所です。

現在の本能寺は後に再建されたもので、場所もやや違っています。
石碑のあるここ(写真)がその場所です。
うっかりしてると通り過ぎちゃいますので注意!

さて、まずは当時の状況を見てみましょう。
当時の織田信長はまさに天下統一に向け着々と進んでおりました。
関東には武田を壊滅させ、関東管領として滝川一益が着任。
北陸には柴田勝家が謙信死後の内乱で疲弊した上杉と交戦を開始。
近畿には四国攻めに丹羽長秀が出陣準備を進め。
中国には毛利を羽柴秀吉が圧倒…。

そして家康は信長に招かれて京におり、明智光秀は接待役として共にいました。
信長の周辺はまさに空いていて、無防備だったのです。
まるでドーナツのように。

よく言われる野望説。
「当時は誰もが天下統一を夢見ていた」…って馬鹿言っちゃあいけません。
例えば、貴方が会社に入ったとして社長や会長を夢見ますか?
それとだいたい同じことです。

たいていの人は自分のことを過大評価しませんし、目標は実現しやすい程度のもの
を掲げるはずです。
当時の大名も同様で、北条家は関東の覇者を目論んでいましたし、島津は九州制覇を、
長宗我部は四国統一を目指していました。
おそらく、後に天下を受け継いだ秀吉・家康も信長が健在であるときには天下を望んで
いなかったでしょう。
そんなものですよ。

だから、ひでるさんは「勢いでやっちゃった」の怨恨説支持者です。

だいたい真面目でやや強くでれない(ような雰囲気)の彼ですから、ネチネチ苛められる
のにどうにも耐えられなかったんでしょう。(※補足参照)

天下の野望を抱くような人間が決行前におみくじ三回もひきますか?
当時は当たり前だった側室を持たず、生涯奥様一人にしますか?
各礼儀作法から茶の湯にまで通じたインテリがわざわざ主殺しの汚名を被ろうとしますか?

あの当時の信長は狂的側面を前にも増してよく見せていました。
そりゃ、おっかなかったんですよ。
林や佐久間といった旧来の譜代家臣まで突然追放したりしてますし。

当時、毛利の外交僧だった安国寺恵瓊が予言していました。
「信長はこのまま位を上げるだろうが、そのうちつまずいて転ぶだろう」
おそらく、光秀が実行しなくとも、誰かが同じことやったのではないでしょうか?



(補足)
光秀が信長に仕えたのは、もう自己をかえがたくなる四十歳近い頃でした。
…だから性格的に大きく相違があった場合、溝は埋まらないでしょう。
(んで都合悪いことに、むこうのがエライ)
ちなみに秀吉はだいたい二十歳中頃なので、比較的受け入れやすい年齢だったと思います。


[住所] 本能寺跡地 中京区蛸薬師油小路下ル


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大天狗像 大雄山最乗寺 (神奈川)

2006年03月03日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は天狗のメッカ、大雄山最乗寺です。

えっとここ前にも書いたんですが、そのときはお寺の話題中心だったので、今回は
天狗中心に書きます。理由はよく分かりませんが、私のブログに「天狗」を検索して
たどり着く方が多いってこともあるので。
もしかして今天狗ブームなんですか? (※みうらじゅん)

天狗はもともとは中国の妖怪が元で、日本に初めて登場するのは日本書紀。
そのどちらも皆が想像する山伏姿ではなく、キツネっぽかったようです。
現在の形が定着するのは中世以降のようです。
その流れから、神通力をもった妖怪として登場する一方、逆に神として崇められる
例も数多くあります。

これは山岳信仰における山神がそのまま天狗と結びついたようで、山中にて厳しい修行
をする山伏は自然の霊力を体得することを目的としていました。(修験道といいます)
簡単に言えば天狗を目指していた、とも言えるでしょう。

奈良時代の実在人物、役小角(えんのおづぬ、通称は役行者)は修験道の開祖とされて
いる人ですが、孔雀王呪法を修め鬼神を使役する法力をもち、空を飛び回ったという、
まさに天狗そのものという方でした。
ちなみに役小角は「呪術で人を惑わす」ということで伊豆に流罪になったりしてます。

まぁ、それら色々がまざりあって、現在の天狗のイメージが出来上がったようです。
天狗で調べたら、一時期は六道以外の世界で天狗道ってのがあったり、将棋の駒で天狗
なんてものがあるみたいですね~。(注)
↑こんな、教えたがりで自慢する鼻高々な人も天狗といいます。うわ、私ですか?!


(注)
天狗道:仏教の六道のほかに天狗道があり、地獄にも極楽にも行けない無限地獄だったようです。
駒の天狗:本将棋にはいませんが、大大将棋、大局将棋などには天狗という駒があるそうです。


[住所] 大雄山最乗寺 神奈川県南足柄市大雄町1157

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歴史を動かした手紙 (歴史さんぽ)

2006年03月02日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「歴史さんぽ」の第二回なんですが…民主党。

民主党は他愛ないメール一つで大混乱ですねぇ。
まあ、あんな不確かな情報を信じてしまったのが運のツキでしょう。
永田くんはとりあえず神妙に謝罪してましたが、その程度でいいんですか~。
まあ、自民もあまり深く調べられるのは具合悪そうですが。

先の会見から、全く裏をとっていないことが分かりました。
そんなんが議員ですよ。
人を信じるのはとおっても素敵なことですが、状況と立場をよーく考えるべきです。
雰囲気的には「宇宙人がいた」ってのを国会で発表したのと同レベルに見えます。
ほら、宇宙人って確認は誰もしてないけど、何処かにいそうではあるでしょ?
そんなん。

代表の前原さんも「党首討論おたのしみに」とか言ってませんでしたっけ。
その強気がどこから出てきたのか……正直知りたいところです。
辞める辞めないはもうどうでもいいですが、この程度中学生レベルの問題かと思う
んですけど。いっそ皆さんそこから出直されてはどうでしょう?

さて、前置きが長くなりました。
こうした手紙(メール)ですが、その影響は当然ながら昔も非常に強いものでした。
今日は歴史を知って気をつけよう!ってな話です。

戦国時代、天下統一目前の織田信長でしたが、家臣明智光秀の謀反により、
京都本能寺で横死。
光秀はすかさず空いた畿内を支配下にしつつ、仲間を募るべく方々へ伝令をだし
ました。今で言うメールの一斉送信ですね。
そのうちの一つは中国の大大名、毛利氏へ送っていました。

当時の毛利は名高い毛利元就はすでになく、孫の輝元を当主としておりました。
その勢力は九州の一部から中国地方一帯にまで拡大し、織田勢と激戦を繰り
広げていました。
派遣された織田方の総司令官は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)。
彼は三木、鳥取の各拠点を次々に陥落させ、さらに高松城まで進んでこれを水攻め
にしておりました。
毛利は大苦戦の状況だったわけです。

さて、光秀の密書を携えた伝令は闇夜に紛れ毛利の陣へ…………と思ったら、これが
なんと”間違えて”秀吉の陣へ行ってしまうんですね。
それがために秀吉はいち早く信長の悲報に接することができ、毛利と講和の後に兵を
大返しする大技を繰り出すのです。
(当然、情報の真偽は確認してますよー。おそらく現代では不可能な方法ですけど)

結果、主人の敵討ちをしたことで、それまで織田軍団ではナンバー四(注)くらいだった
秀吉は一躍トップクラスになるのでした。

この事件は秀吉による天下統一の根本なんですね。
もし、手紙がちゃんと毛利氏の元へ届いていたなら…また違う歴史が展開されていたで
あろうことは間違いありません。

と、一つの手紙が、ちょっとした手違いが後の歴史を大きく変えた実例として紹介して
みました。まぁ、手紙つながりということで。
意味的にはちょっと異なりますが…ちゃんとしようね、民主党。


(注)当時の織田軍 えらい人ランキング
①柴田勝家②明智光秀③丹羽長秀④羽柴秀吉⑤滝川一益⑥池田恒興 …かな??
一応同盟者ですが、ほぼ配下のような家康を入れるなら彼がトップ。
息子を入れるなら長男信忠(同時期に二条城で圧倒され自害)が2~3あたりでしょうか?
ここはひでるさんの考えだけなんでそのように。別案あればコメントへどうぞ。


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