お寺さんぽ Ver.03

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養源院 (京都)

2006年03月13日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は東山区の養源院です。

その昔、現在の京都市伏見区には城がありました。
名を「伏見城」
豊臣秀吉が隠居城として建設したのがはじまりです。(注)
当初は別のところでしたが、大地震で崩壊後に桃山(現在の木幡山)
へ築城されました。
廃城後に一帯が桃畑となったので伏見城は「桃山城」とも呼ばれています。

安土桃山時代という名称は信長が居城とした安土城、秀吉の隠居先であった
この桃山城からそう呼んでいるんですが、安土はいいとしても桃山ってのが
どうにもおかしい。
秀吉の居城は大阪城でしたし、いた当時は桃山城ではなかったんですから。
安土大阪時代、あるいは安土伏見時代ではないか?
と何処かの本に書いてありました。
なるほどねー。
まぁ、理屈はそうなんですが、これは本件とは関係ありません。
とりあえずほっときます。

さて、豊臣秀吉の死後、子の秀頼は大阪城に。
徳川家康は伏見城に入り、ここで政務をとっておりました。
乱を起こすことで反対勢力の一掃を狙っていた家康は越後上杉氏に難癖をつけ、
とうとう上杉征伐へ出掛けます。(関ヶ原合戦の切っ掛け)

その際、留守になる伏見城には腹心の鳥居元忠(とりいもとただ)を入れました。
旅立つ前日の夜二人は酒を酌み交わします。
…その後の展開をよく分かっていたんですね。

家康の留守を狙って石田三成が挙兵すると、伏見城はまたたく間に西軍軍勢に
囲まれ、元忠はここで討ち死にします。

家康はひでるさん嫌いなんですが、この元忠ほか家臣団はいいんですよねー。
彼ははじめから玉砕覚悟で入城してるんです。
主君のため、あえて捨石となる道を選択したんですよ。
(家康も知ってて彼を配置してるんですが…)

で、ここようやくでてくるタイトルの「養源院」
天井はなんと上記伏見城の床です。
ついた別名が ”血天井”
うぉ、すごい!
もともと淀さんが父である浅井長政の菩提を弔うために養源院を建立したんです
が、火災で焼失。その後淀さんの妹の崇源院(二代将軍徳川秀忠の妻)が秀忠に
懇願して、なぜか伏見城の遺構を移して再建しました。
なんで??

まぁ、この血天井の凄いことったらなく、守備していた鳥居元忠ほか自刃した方々
のおびただしい血痕が「ウワァー」という具合に残っているんです。
鳥居元忠とされるあたりはうっすら人型がわかるくらいでして、寒気がしました。

夜は間違っても行きたくないですよ。
ちょっと刺激を求めているかたは(昼間ですが)ぜひどうぞ。



(注)足利将軍家の家臣である三淵藤英
   (細川首相の先祖、細川藤孝の実兄)
   がもともと付近に城を持っていたという話もある。


[住所] 養源院 京都市東山区三十三間堂廻り町

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