お寺さんぽ Ver.03

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人間五十年…の幸若舞「敦盛」 (歴史さんぽ)

2006年03月06日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は幸若舞「敦盛」についてです。

まぁた、大して知りもしない世界をいかにも詳しい風に語る”なんちゃって
企画”です。ひでるさんと同じなんとなく知ってるかも、からそれ以下の方
にお届けします。
詳しい方、詳しく知りたい方は例によって専門サイトを検索下さい(笑)

★幸若舞(こうわかまい)
古い舞楽で長い伝統(約七百年)をもつ幸若舞。創始者は室町時代付近
の武将、桃井直詮という方。この人が草子(ものがたりのこと)に節を
つけ、うたったのが大そう評判になった。というのが始まりです。
んで直詮さんの幼名を「幸若丸」といったところから、「幸若舞」になった
そうです。
中世に「能」と並んで武士には大いにもてはやされた芸能で、武士の
華やかでかつ哀しい物語が多く、当時の方々に共感されたようですね。
あれですよ、NHK「おしん」の大ヒットみたいなもんです。たぶん。
これを踏まえて次に。↓

★敦盛(あつもり)
源平合戦での「一ノ谷合戦」で、平敦盛は熊谷直実に一騎打ちで敗北し、
討ち取られます。
若い敦盛を討ち取った直実は世の無常を感じ、出家してしまいます。
…この「敦盛」ってのはそんな話です。
その後半の一節に、

「人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。
                  一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか」
                  
という詞章があります。
かの織田信長がこの一節を好んでおり、今川義元との桶狭間合戦の出陣
の際にうたったところから一躍有名になっています。
映画とかドラマでも必ず出てくるシーンですね。

ここに「くらぶれば」だの、「滅せぬものの」だの過激ちっくな言葉がある関係
で、「ああ、信長ちゃんったら。残酷なお方だから…過激なんがすきなのねー」
と思うでしょ?どうよ?
ひでるさんはバリバリそういう考えでした。
これ見たのは光栄のシミュレーションゲーム「信長の野望・全国版」でしたし。(※↓)

でもね、実際は違うんですよ。
>中世に「能」と並んで武士には大いにもてはやされた芸能で、武士の
>華やかでかつ哀しい物語が多く、当時の方々に共感されたようですね。
…って、先に書いたでしょ。
ばりばり血が飛び散るスプラッターな話なんて誰も聞きたくありませんて。

☆人間五十年、下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり。
これは人の寿命がたった五十年という意味でなく、下天(天界の最下層)では
一日が人間世界で五十年に相当する。という意味です。
だから、そこの視点で考えると夢や幻のよーなもんだ。ということですね。

☆一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか。
命あるものは全てかならず滅びる運命にあるんだよ、と。

要するに「人の世界は天界感覚から一日程度のことなんだから、死を恐れずに
精一杯がんばろう」というような意味です。
物凄いポジティブシンキングですね!
ぜひ模範にしたいものです。
また、当時の信長の心境を如実にあらわしていると思います。

「海道一の弓取り」と呼ばれ、格式から実力から申し分ない今川義元の大軍勢が
迫るなか、信長は必殺の一撃を狙っていたんです。
(だから篭城論は却下なの)
計算して~なんて持ち上げている方もいるようですが、結構ポジティブに勢いだけ
でやっちゃったというのが本当のところであるようです。
なにしろ、砦が落ちたときだかなんだかのときに、「こうなったら特攻する」みたいな
事を言い出して、家臣に止められたりしてます。
そのうち田楽狭間に差し掛かり~、という情報でそちらへ反転、途中で天候は雷雨
となり、うまいこと行軍の音を掻き消してくれたんですね。
んな細かく行軍を計算するなんてできませんよ。
奇襲の考え(おもいきり)と天候と情報、そして運。
…それらがセットになって、ああいう結果をもたらしたんでしょう。

とまぁ、話が脱線しましたが、以上「人間五十年~」はがんばろうよ!という意味でした。
今週も精一杯がんばりましょう!


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※世間のお母さん方へ:
ゲームは悪影響ばかりでありません。ひでるさんがいいかどうかは微妙ですが、
それを切っ掛けに歴史に開眼する可能性もあります。漫画もしかり。
大きな心で見守ってあげて下さい。
うふふふふふふ………。

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