のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も泣ける籠城戦「岩屋城合戦」と「高橋紹運(たかはし・じょううん)」についてです。
一時は九州全土を席捲する勢いであった大友家。
しかし、元亀元年(1570)の「今山合戦」では龍造寺勢に、天正六年(1578)の「耳川合戦」では島津勢にそれぞれ敗れ、孤立した紹運らはぎりぎりの戦いを強いられるのでした。
そんな頃、以前から「立花道雪」に請われていた嫡男「立花宗茂(高橋統虎)※写真」は、婿養子として差し出されることとなったのです。
この宗茂とも実に興味深いエピソードがあるので、紹介しておきます。
養子として、立花城へ行くこととなった宗茂。
息子と別れの盃を交わした紹運は、
「今後はわれを夢にも親と思うでない」
…そんな事を言い出しました。
「明日にもそちの義父鑑連(道雪)殿と敵になるやもしれぬ。
敵味方となれば、立花勢の先鋒となって、間違いなくこのわしを討ち取るがよい」
戦国な親子関係です。
実家は関係なく、養子先である立花の人間になりなさいと言っているのですね。
ここで思い出すのは、ひでるさんが好きな「斎藤道三」と娘「濃姫(帰蝶)」の話。
「織田信長」へ嫁ぐ彼女に、「うつけなら殺せ」と父が渡した短刀を受け取った「濃姫」は…
「あるいはこの刀がお父様に向くかもしれません」
そんな返事をしたというのです。
史実かどうかは別にして、いいですねー。
こちらとは逆のパターンですが、返事を聞いた道三が喜んだというのが印象的です。
紹運から息子への続き。
「鑑連殿は常日頃から未練な振舞いを非常に嫌う。
もしも不覚の行跡でもあろうものなら、間違いなく義絶されよう。
その時はこの岩屋城におめおめ帰ろうなど思わず、ただちにその場で自害して果てよ」
そう言って、刀を与えたのでした。
受け取った宗茂はその刀を形見とし、終始離さなかったそうです。
なお、この時の宗茂は十一歳(十三?)
実父もそうした人でしたが義父道雪も紹運が言い含めたそのままで、
「大変厳しい教育だった」
後にそんな事を言っております。
成果は着実にあらわれており、立花城へ入った翌年のこと。
野外で遊んでいた宗茂は、突然猛犬に襲われました。
それを見事嶺打ちにしたのです。
話を聞いた紹運が「なぜ斬らなかったのか」と訪ねたところ、
「刀は敵を斬るものと聞いております」
宗茂はそう答えたのでした。
こうした息子の成長に嬉し涙を浮かべた紹運は、
「我が子ながら器量と雄才ともに抜群だ」
というように誉めたのです。
(※ちなみに、その才を自慢するな、と戒めてます)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
⇒ つづく。
次回は「倒れる道雪と「高橋紹運」」(6/10)
[関連記事] 【戦国武将大会 西日本】
⇒ 越前の英雄「朝倉宗滴」 [1 2 3 4 5 6]
⇒ 伊賀流忍術の雄 「百地丹波」
⇒ 将軍 足利義輝 (京都・等持院)
⇒ 三好一族の末路 (三好家の人々) [1 2 3 4 5 6 7 8 9]
⇒ 没落の名門家・山名氏 「山名祐豊・豊国」 [1 2 3 4 5 6 7 8]
⇒ 尼子氏武闘集団「新宮党」
⇒ 固辞する嫡男「毛利隆元」 [前 中 後]
⇒ 出来人の出来た弟 「香宗我部親泰」 [前編 後編]
⇒ 毛利元就を欺いた大将「大友宗麟」 [1 2 3 4 5 6 ]
⇒ 智勇兼備の勇将 雷神「立花道雪」 [前編 中編 後編 ]
⇒ 島津家筆頭家老・文武両道の名将 「伊集院忠棟」 [1 2 3 4]
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※「立花宗茂」さまは小説もいっぱいですね。
見応えも十分だと思います。
本日も泣ける籠城戦「岩屋城合戦」と「高橋紹運(たかはし・じょううん)」についてです。
一時は九州全土を席捲する勢いであった大友家。
しかし、元亀元年(1570)の「今山合戦」では龍造寺勢に、天正六年(1578)の「耳川合戦」では島津勢にそれぞれ敗れ、孤立した紹運らはぎりぎりの戦いを強いられるのでした。
そんな頃、以前から「立花道雪」に請われていた嫡男「立花宗茂(高橋統虎)※写真」は、婿養子として差し出されることとなったのです。
この宗茂とも実に興味深いエピソードがあるので、紹介しておきます。
養子として、立花城へ行くこととなった宗茂。
息子と別れの盃を交わした紹運は、
「今後はわれを夢にも親と思うでない」
…そんな事を言い出しました。
「明日にもそちの義父鑑連(道雪)殿と敵になるやもしれぬ。
敵味方となれば、立花勢の先鋒となって、間違いなくこのわしを討ち取るがよい」
戦国な親子関係です。
実家は関係なく、養子先である立花の人間になりなさいと言っているのですね。
ここで思い出すのは、ひでるさんが好きな「斎藤道三」と娘「濃姫(帰蝶)」の話。
「織田信長」へ嫁ぐ彼女に、「うつけなら殺せ」と父が渡した短刀を受け取った「濃姫」は…
「あるいはこの刀がお父様に向くかもしれません」
そんな返事をしたというのです。
史実かどうかは別にして、いいですねー。
こちらとは逆のパターンですが、返事を聞いた道三が喜んだというのが印象的です。
紹運から息子への続き。
「鑑連殿は常日頃から未練な振舞いを非常に嫌う。
もしも不覚の行跡でもあろうものなら、間違いなく義絶されよう。
その時はこの岩屋城におめおめ帰ろうなど思わず、ただちにその場で自害して果てよ」
そう言って、刀を与えたのでした。
受け取った宗茂はその刀を形見とし、終始離さなかったそうです。
なお、この時の宗茂は十一歳(十三?)
実父もそうした人でしたが義父道雪も紹運が言い含めたそのままで、
「大変厳しい教育だった」
後にそんな事を言っております。
成果は着実にあらわれており、立花城へ入った翌年のこと。
野外で遊んでいた宗茂は、突然猛犬に襲われました。
それを見事嶺打ちにしたのです。
話を聞いた紹運が「なぜ斬らなかったのか」と訪ねたところ、
「刀は敵を斬るものと聞いております」
宗茂はそう答えたのでした。
こうした息子の成長に嬉し涙を浮かべた紹運は、
「我が子ながら器量と雄才ともに抜群だ」
というように誉めたのです。
(※ちなみに、その才を自慢するな、と戒めてます)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
⇒ つづく。
次回は「倒れる道雪と「高橋紹運」」(6/10)
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※「立花宗茂」さまは小説もいっぱいですね。
見応えも十分だと思います。