故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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絵のタイトルは、「あっち向いてホイ」です。
なんとなく「あっちを向いた」ほうが、得になるのではないか。
いや、知ることも考えることもやめてしまったのでしょうか。
明日は、わが身だというのに。
ネット記事を読んでいたら、「年齢を数えない」人ほど健康であるという記事を読んだ。
年齢を数えない日はないし、病気や怪我のリスクも年齢と共に増えているはずです。
ただ、これでよいのかという想いはずーっと感じていました。
やっと、やりたいことができる。
その気持ちも本当です。
どこまでできるかと不安になるのは、やはり年齢を数えるからにほかなりません。
今日のタイトルは、「独り住まい」です。
田舎に住む親が心配です。
ガスを止め電気調理器だけにする。
転落防止やバリアフリーを取り付ける。
溜め込んだごみを捨てる。
毎日、電話をして安否確認をする。
どんな対策をしても、心配は尽きません。
私たち年寄りからすれば、余計なお世話です。
蚊取り線香をガスの火で点け、消し忘れます。
乾電池さえ生きていれば、自動消火してくれます。
ガスだって、流れ続けている(何時間か忘れました)と、自動でシャットアウトします。
バリアフリーは不要と、よく転ぶところは時間(両手両足)をかけて渡ります。
耕運機だって杖代わり(スーパーのカート同様)に運転できます。
用事がある時だって、電話に出られないのは働く子供のほうです。
出た時だって、さも忙しそうな態度です。
ほっといてくれる。
私たちには決定権があります。
朝起きて、体調を判断し一日の行動を選択します。
10年後のために、果樹を植えます。
どっちが早いかのと、ペットを飼います。
独り住まいです。
誰に、ヘルプを頼もうか。
どれだけ握らせればよいかのと算段します。
偉そうな若者には、「わたしゃ、そこまで呆けとらん」と一喝します。
コンピューターもスマホも使えるよ。
AIが入り込めないアナログ全盛の田舎暮らしです。
働くばかりで読めなかった小説だって読んでいる。
動く手足で、時間をかけて草取りをする。
いつも忙しい若者には不足な時間が宝です。
坂道を歩いて昇るしかないから、筋肉は鍛えられるばかりです。
何よりうれしいのは、自分がすることを自分で決められることです。
難題を解決するために日々悩んでいます。
誰も長老(聞いても無駄)扱いしてくれませんが、うるさい上司もいません。
いるのは君臨する妻だけです。
誰も助けてくれない分、やらなかった作業もふたりで分業するしかありません。
いつおひとり様になるかわからないから、
なんでもやっておかなければと、研究熱心です。
どこまでできるかなんて知ったこっちゃありません。
経験したことがない無限の未来が待っている。
2024年6月16日
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絵のタイトルは、「この男只者ならず」です。
忙しはずなのに、訪ねていくと、
「どうしました」と話しかけてくれる。
今日のタイトルは、「でかい声」です。
でかい声で話す広島弁を聞くと、喧嘩が始まったと勘違いされてしまう。
菅原文太主演の「仁義なき戦い」を想起する。
小さな声の広島弁にしたところで、東北弁のように可愛がってはもらえない。
韓国の釜山空港で、広島弁の男が女の人を連れていた。
いかにもキーセンパーティーの流れだった。
キーセンは好きにすればよいが、広島弁を使わないでくれと思った。
お酒を飲んだり、持論を展開するとき、あるいは怖さを払しょくするときに、
でかい声となる。
年寄り夫婦の喧嘩は、近所に筒抜けです。
興奮を抑えることもできず、互いに聞こえない耳に怒鳴り声を流し込む。
きっと、半分も伝わっていないだろう。
その証拠に、疲れ果てるまで延々と続く。
しかも、さっきと同じ議論の繰り返しです。
でかい声の人ほど、上司に向いている。
中身がなくてもよいから、号令だけをかけていればよい。
小さな声の真理は消されてしまう。
でかい態度とでかい声は交じり合わない。
共に相手に威圧感は与えるが、けっして屈服させることはできない。
琴線に触れるまでもなく、でかい声は頭の上を通り過ぎていく。
でかい態度は、自信から来るのであろうがその場にとどまるしかない。
中学生の時、校庭の端からもう一方の端にいる先輩に声をあげた。
風が強い時で、下流から上流に語りかけよと先輩は命じた。
でかい声の後輩を作っても、先輩にメリットはないはずでした。
でかい声のよさは、陰口が言えないことです。
でかい声の人は裏がない。
いつも、明瞭正直を通すしかない。
馬鹿正直だが、好かれるのである。
中身がないと思われることも、知っておいたほうが良い。
2024年6月15日
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絵のタイトルは、「島影に沈む夕日」です。
今日のタイトルは、「火照り」です。
島では凪の時間があります。
風がぴたりと止まり、炎天下で火照ったからだが治まりません。
一杯のビールで眠りこけてしまい、網戸を抜ける涼しげな風で目覚めます。
女子(おなご:美人でもなんでもよい)に会ったとき、火照りました。
自分に何が起こったのか、理解できませんでした。
顔をあげて相手の顔を覗き込むことができるまで、長い年月を要しました。
妻の寝顔を見なければよかったと、少し後悔します。
(夕食後、椅子から落ちんばかりに眠りこける私の姿もひどいと妻が教えてくれます)
ほてり(火照り、熱り)とは、
のぼせて顔が赤くなること。怒りまたは恥じて顔が熱くなること。
夕焼けがすること。
風が吹こうとする時、海面が赤く光ること。
(広辞苑より)
さすが、日本語と思わせてくれます。
火照ったのは、まさに風が吹こうとしたのです。
感じたばかりに、海面が赤く光ったのです。
何も恥じることはない、悠々としたものです。
夏に、徹夜で地下鉄工事のアルバイトをして、学生寮に帰ってきました。
部屋がある4階の上は灼熱の屋上でした。
シャワーはただと、唇が青くなりキンキンに冷えるまで水を浴び続けました。
布団をかぶれば温かい。
1時間後には大汗をかいて目覚めました。
火照るのは、健康だから起こります。
年齢を考えて水分補給をし、クーラーをかけなければなりません。
やらかした数々を思い出し、火照るのはなんともしがたいのです。
2024年6月14日
(あとがき)
ゴルフの前になると眠れない。
スコアを不眠のせいにする所業です。
朝も昼も電話をすると、寝惚け声の先輩のことです。
アメリカに行って、時差ぼけが心配と先輩が言われます。
日本にいても同じなんだから、心配ないよと伝えます。
帰国したなと、数日後電話をし時差ぼけの要件を確認した。
あっさりと、問題ないと正直でした。
(筆者)
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絵のタイトルは、「何を包もうか」です。
餅かな、それとも愛情?
あなたが掃除をしなかったから、台所が汚れているわ。
気晴らしにパチンコに行った私にムカついているのでしょう。
ガスの火が付いたままだよ。と言い返す私です。
今日のタイトルは、「アラーム音」です。
この頃、あれなんの音というのを聞くようになりました。
ガスの火のつけっぱなし。(10分点けっぱなしだと自動で消火、そしてアラーム)
冷蔵庫の開けっ放しでなるアラーム音。
レンジに入れたまま、温まっているのに取り出すのを忘れています。
これも、しばしアラーム音がなります。
洗濯が終わったよと、知らせてくれます。
軽トラのエンジンを切り、キーを抜くとアラームがなります。
あれ、なんのこと。
トンネルで点けたライトを消し忘れていました。
毎日やらなければ気が済まない、私は掃除魔です。
乾いた皿の上に、次なる洗い物を重ねる妻です。
汚れていても気にならぬ妻です。
共に、まとめてやるのが効率的と考えているようです。
妻は、「前へ前へ」、気になることが次から次に見えるようです。
私は、「後ろへ後ろへ」、軽トラから使った道具を降ろし、所定の場所に戻します。
掃除を毎日するのは、「新たな汚れ」を発見するための所業です。
髪の毛を発見すると拾います。
こんなに抜けて大丈夫?
ホトトギスが「てっぺん欠けたか」と騒ぎます。
ほっといてくれと、心の中で一言。
掃除の時短のためには、各部屋の出っ張りはご法度です。
布団だって、晴れてりゃ毎日干します。
それも畳の部屋(奥の間)にです。
何も置くなよと宣言しているようなもの。
朝のうちのさわやかな空気を、網戸越しに入れるのが大好きです。
ある意味病気の私と、多分まともな妻の暮らしぶりです。
2024年6月13日
(あとがき)
今書かなきゃ忘れてしまう。
朝ご飯を作りながら、手を止めてパソコンに向かいます。
どこかの女流作家みたいです。
そういや、東北の我が家を訪ねてきた先輩が、いつもコロコロを持参していました。
話しながら、居間のカーペットの上をコロコロ。
テープを剝がしては、またコロコロ。
恥ずかしかった。
今思うと、先輩はいつも自宅でそうしているのじゃないかと思いました。
飼い犬の毛をコロコロでとっていたのでしょう。
それが癖になり、つい我が家でもやってしまった。
(筆者)
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絵のタイトルは、「笑う女」です。
寝ているのやら、楽しげなのかよくわかりません。
見る者にとって、生きてるのかなと思わせます。
今日のタイトルは、「一勝一敗のつづき」です。
人生そのものが、一勝一敗と信じていました。
リストラされたとき、辛いときに、負け犬ではないかと感じました。
自由を奪われたときも同様でした。
人生の達人は、辛い時があったから今があるとよく言われます。
負け犬なりに、足りない点に気づき改善したのでしょう。
後に続く言葉が、努力であり頑張りなのでしょう。
負けたこと自体が、ラッキーと思えるようになった。
失恋などあらゆる挫折がそうとも言える。
ハンディがあったから、人にも優しくなれた。
次なる幸運な出会いをすることになります。
この頃は、勝ち組とは何のことと考えます。
負け組とは。
勝ち組は、1万円を容易に10万円にできるグループでしょうか。
逆に負け組は、どんなに苦労しても1万円以上にすることができない。
お金にこだわると、こういうことです。
生きる上で、お金は命の次に大事なものです。
命そのものは、お金では買えない。
命とは生きることです。
自分が選んだ人生に、勝ち負けはありません。
百人いれば、百通りです。
疑い始めれば、百通りが狭められます。
そして、必要がない羨望となります。
一勝一敗は、過去のことではなく、未来のことだと考えればいかがでしょう。
誰にも未来予測などできない。
知らないことゆえに、勝つことも、負けることも意味をなさない。
過去にあった「一勝一敗」のつづきを楽しみにするしかありません。
2024年6月12日