![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/9a/ffdcde1e59860470a6a8ef3cd3c891f2.jpg)
絵のタイトルは、「この男只者ならず」です。
忙しはずなのに、訪ねていくと、
「どうしました」と話しかけてくれる。
今日のタイトルは、「でかい声」です。
でかい声で話す広島弁を聞くと、喧嘩が始まったと勘違いされてしまう。
菅原文太主演の「仁義なき戦い」を想起する。
小さな声の広島弁にしたところで、東北弁のように可愛がってはもらえない。
韓国の釜山空港で、広島弁の男が女の人を連れていた。
いかにもキーセンパーティーの流れだった。
キーセンは好きにすればよいが、広島弁を使わないでくれと思った。
お酒を飲んだり、持論を展開するとき、あるいは怖さを払しょくするときに、
でかい声となる。
年寄り夫婦の喧嘩は、近所に筒抜けです。
興奮を抑えることもできず、互いに聞こえない耳に怒鳴り声を流し込む。
きっと、半分も伝わっていないだろう。
その証拠に、疲れ果てるまで延々と続く。
しかも、さっきと同じ議論の繰り返しです。
でかい声の人ほど、上司に向いている。
中身がなくてもよいから、号令だけをかけていればよい。
小さな声の真理は消されてしまう。
でかい態度とでかい声は交じり合わない。
共に相手に威圧感は与えるが、けっして屈服させることはできない。
琴線に触れるまでもなく、でかい声は頭の上を通り過ぎていく。
でかい態度は、自信から来るのであろうがその場にとどまるしかない。
中学生の時、校庭の端からもう一方の端にいる先輩に声をあげた。
風が強い時で、下流から上流に語りかけよと先輩は命じた。
でかい声の後輩を作っても、先輩にメリットはないはずでした。
でかい声のよさは、陰口が言えないことです。
でかい声の人は裏がない。
いつも、明瞭正直を通すしかない。
馬鹿正直だが、好かれるのである。
中身がないと思われることも、知っておいたほうが良い。
2024年6月15日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます