故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

広島の河

2014-06-19 06:35:39 | 思い出話

 

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夏の暑い日、従兄弟たちがやってきました。
父が長男の家だったので、従兄弟たちは遊びに来て、夏休み中滞在しました。
お盆になると、おじさんやおばさんも合流し、子供たちと一緒に帰っていきました。 

中学生だったか、高校生だったか忘れましたが、 

おばさん達や子供たちと海に遊びに行きました。 

おばさん達は、シュミーズのまま泳ぎだしたのでした。 

驚いた私は、メガネをしたまま飛び込んでしまいました。 

無残にも、メガネはとれて海の底へと沈んで行きました。 

おばさん達に大笑いされました。 

せっかくの絶景も見逃し、メガネはなくすで、大いにしょげたのを覚えております。
 

時はたって、浪人の最後の年、うら若き女性と広島の平和公園でボートに乗りました。友人から、「お前はめがねをしない方が良い。」なんて聞いていたものですから、その女性にメガネを預けてボートを漕いでおりました。 

楽しいときが過ぎて、ボートを降りるころになりました。 

女性がメガネを返してくれました。女性に、やさしく手を差し出しながらサポート しました。拍子で、めがねがポチャリ。ああ沈んでいくのが見えました。
二度目でした。
 

ええいとボート小屋の主人に頼んで、潜って取りに行くことを宣言しました。12月でした。ズボンを脱いで、飛び込もうとしたら主人が止めました。その当時から、ふんどしでした。これを上に付けろとガラパンを渡してくれました。 

河の水は冷たかった。広島の河はきれいになったとは言え泥だらけでした。女性に水中メガネを買ってくるように頼みました。どこにも売ってませんでした。潜ること1時間、駄目でした。明日くると主人に言い残して女性を送ることにしました。ズボン一枚では、女性と二人で歩くゆうぐれの街は酷でした。
私は、ズボンの前が
突っ張って歩けませんでした。
おばさん達が見ていたら、大笑いだったでしょうね。 

広島の河での苦い思い出です。もちろん、その出会いも実りませんでした。
 

19歳頃のことでしょうか。面白い人間でした。その女性に和傘を贈ったのを覚えています。浪人最後の一振りとでも言って渡したのでしょうか。見目麗しきその女性も今はおばあちゃんです。
眼鏡は、翌日河底の泥の中から拾い出しました。
 

2014年 6月19日

 

 

 

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人生最良の日

2014-06-19 06:15:38 | 思い出話

 

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本日は、私の最良の一日の出来ごとについてお話したいと思います。 

仲人さんは、私が山登りの途中でお世話になった1300年続く古刹の住職でした。 

「新郎は、近年の若者には珍しい熱血漢で、優秀な努力家です。寺を訪ねる時は、必ず広い境内をくまなく掃除をしてくれたり傷んだ箇所を直してくれたり今時珍しい好青年です。」  

「新婦は、イギリスに留学され、語学堪能な才媛でして、かつ家庭的で奥深しい女性です。」 

仲人さんは大汗をかきながら続けます。 

「これからは、二人力を合わせて良き家庭を築いて行きます。皆さまこれからも末長 く二人の将来を見守ってください。」 

とまあ、仲人さんは、宴の口火を切られたのであります。

 

新婦の両親はさぞや安心されたことと思います。

 

友人にお願いした司会者が第一来賓の大学教授を指名しました。  

新朗はTNK大学の私の研究室を卒業しました。この男は、農工の「工」の字を間違えて入学したのです。「農耕」と勘違いして入ってきました。やっとこさ卒業出来ました。あの当たりにいる友人たちの助けを借りてやっと卒業できたのです。 

教授にはたてつくとんでもない学生でした。私の研究室に預かるにあたっては、大いに悩んだほどの問題学生でした。社会に出て仕事もし、今回のようにすばらしい女性と結婚できるなんて想像だにしておりませんでした。 

 

中略。

 

第一来賓の教授の話は、出席している私側の面々には大いに受け大爆笑でした。
 

第二来賓が登場です。札幌営業所所長のKさんです。 

新朗はこの2月に札幌営業所に転勤してまいりました。いやあ飲んだら暴れるは、麻雀をすれば我々の小遣いを根こそぎ巻き上げるとんでもないやつです。こんな新朗を引き受けるにあたり、私の心労は増すばかりでございます。
死んじゃうんじゃないかと妻が心配しております。

 

第三来賓は、前所属のプラント営業部部長Tさんです。 

いやあKさん、よくぞ引き取ってくださいました。我々も彼の仕事ぶり、特に夜の行動が問題でして、とんでもないやつでした。やっと出せたかと課員ともどもほっとしております。

 

第四来賓は大学の先輩Sさんです。 

新郎が引越してきた寮でのことです。私は料理が得意だと言うのでみておりました。なんと、卵の中身を捨てて殻をがらがらフライパンで炒めておりました。Sさんいい女がいます。と見るとロン毛の男です。農学部と工学部だけで女はすくないのですがひどい間違いをするやつでした。 

剣道部で一緒だったんですが、すり足がどうしても出来なくて、ドッタンバッタン といつまでもやっておりました。酒は、飲むは暴れるはで、我々もほとほと困ったやつでした。

 

おいおい、そりゃ事実だから仕方がないけどもう少し遠慮というものがあるだろう。と私は思ったものでした。
 

あーあ、新婦も仲人さんまで大笑いです。 

その上新婦側の来賓も心配風もどこえやら、大爆笑につぐ大爆笑です。
 

俺にも言わせろと、司会者がとめるにも関わらず酔っ払いたちがここぞとばかりやっつけてくれました。今日は言いたい放題とひな壇で抵抗できないことをいいことにサンドバック状態でした。私は、ただただ飲むだけでした。
 

人生最悪の結婚式でした。
 

そんな、人生最良の日を迎えた私でした。
案の定、その後の家庭生活は波乱万丈でした。
 

それでも、亡き妻は挿絵のように4人の可愛い子豚を産んでくれました。ありがとう。
 

2014年 6月19日 

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