駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

THE STARKEY/WATTS初ライブのウラ話

2017年02月06日 | ザ・スターキー
THE STRKEYのWATTSライブレポは、2月4日(土)の日付の日記にアップしました。


ザ・スターキーは結成4年半。
結成のきっかけは、もともと三ケ日WATTSにある。
店の名前の由来となった「WATTS」とは、店のオーナー佐藤氏と親友だった故渡辺昌裕(通称ワッツー)が、ポール役のミチヤスとオレと3人で組んでいたバンド名だった。
その頃は、ワッツーがオリジナル曲を作ってWATTSの旧店舗名の「パラディソ」などで演奏していた。精力的に練習し、各所でライブ活動を行っていたが、オリジナル曲はなかなか認知されずに知名度は殆どなかった。
ビートルズフリークのワッツーは本当はちゃんとしたビートルズバンドをやりたがっていた。
以前は「ラバーソウル」というイカ天に出場した人気バンドに参加していたが、主にヘルプでの出演だったので、自分がリーダーでビートルズを真剣にやりたいと言っていた。

そんなワッツーが突然死んでしまったのが、2006年10月16日。死んだ当日も、バンド練習の予定が入っていた。
その後、いろんな流れがあり佐藤氏が「パラディソ」の営業を後任することになり、バンド名でもあり親友の愛称でもある「WATTS」を店舗名にしたのだった。
その翌年から、5月3日のワッツーの誕生日に、「ワッツの日」として追悼イベントが始まり、去年10回目を迎え、一区切りを付けることになったようだ。
そのイベントに毎年出場するうち、やはりワッツーの本当にやりたかったビートルズバンドを彼の仲間同士で演奏したいと思ってメンバーを集めたのが始まりだった。
天国或いは極楽?涅槃?のワッツーに、彼の一番やりたかった、ちゃんとしたマニアックなビートルズサウンドを届けたかったのである。
そこで声をかけたのが、「WATTS」のバンドメンバーのミチヤスと、ワッツーとは腐れ縁ともいうべき音楽仲間で、「ワッツの日」のプロデュースをした初代ジョン役のアサワカ、そして「ラバーソウル」でもワッツーと演奏していたジョージ役のトモだった。
そして、バンド名もザ・スターキーと決まり、デビューは2012年の5月3日、ワッツの日(Play For WATTS)でした。
当時は、オレはリンゴ研究中の見習い生レベル。オールディーズでのドラミングは経歴は長かったけれど、ビートルズバンドの経験がなく、とても耳の肥えたメンバーの望むドラミングではなかった。
なので、WATTSでのデビューのライブでも出来はひどいものだった。
実はそこからのスタートは苦労するだろうことは自分でも分かっていて、それでも自分でビートルズを研究してみたいという欲があった。生涯でビートルズが叩けるドラマーでなければ、ドラマーとして死に切れないというような、切ない欲望があった。
自分というよりメンバーには苦労をかけてしまい、試行錯誤の連続だったし、ドラミングは3年間は迷いっぱなしだった。
その後、練習やライブを重ねて4年半が経ち、今に至るわけなのだが、やっとライブで迷いがなく叩けるようになった。
しかし、その間にはメンバーチェンジもあった。
結成1年目でモーリーがキーボードで参加、4年目にしてジョン役がアサワカから石田ひろあきにチェンジ。
そんな理由もあって、WATTSのワンマンライブの話も出ては消滅していたのだけれど、今回やっと実現したというわけなのである。
コメント
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