
安置されている寺院は“滋賀県向源寺、京都観音寺、京都六波羅蜜寺、大阪道明寺、奈良聖林寺、奈良室生寺、奈良法華寺”の7寺となり、拝観できたのは今回の「聖林寺」で4躰目となります。
「聖林寺」は奈良時代の712年、談山妙楽寺(現在の談山神社)の別院として藤原定慧(鎌足の長子)により建てられたとされ、後に真言宗室生寺派の寺院となる。
御本尊は「石造地蔵菩薩坐像」となり、有名な「十一面観音菩薩像」は神仏分離令の際に大神神社神宮寺の大御輪寺から移されたもののようです。
明治の神仏分離令の頃は仏像にとっては受難の時代だったといえるでしょう。

「聖林寺」は奈良桜井市の市街地からほんの1~2㌔移動した辺りから山里の風景に一変して、山と盆地の奈良らしい風景の中の小高い丘の上に建つ。
寺院は想像していたほど大きさではなく、ひっそりとした佇まいとなっていますので、「十一面観音菩薩像」を拝観したくて訪れる方が大半なのかと思います。

寺院を取り巻くのは石垣となっているが、これはなぜこういう造りになっているのか分らない。
「聖林寺」は江戸期に再興され、江戸末から明治にかけて「学問寺」として名声を得ていたといいますから、それも影響しているのかもしれません。

庫裡のある方向にも、山麓にあって建物の水平を保つためか石垣は続く。
幾部屋もありそうな建物の中で住持達は厳しい戒律を守って学問に励まれたのでしょう。

寺院の向かいには「地蔵堂」があり、堂の前には石仏地蔵さんが祀られています。
石垣の下などにも石仏は祀られており、御本尊の「石造地蔵菩薩坐像」にあやかって功徳を積むため奉納されたものかと思われます。

小高い丘に寺院があるため、山門に向かって石段を登るとみるみる景色が広がっていく。
山門への石段には花期の終わった蓮の鉢が並び、境内にも花色が垣間見えます。

拝観時間の少し前に到着したため、山門から大和の眺望を楽しむ。
奥に見える山は三輪山か?麓に広がる盆地は狭義のヤマト国だとされ、古代大和政権の中枢部だったといいます。

中心部にあたる場所にある前方後円墳は「邪馬台国の女王・卑弥呼の墓」ともいわれているそうです。
卑弥呼の墓かどうかについては諸説あるようですが、今はビルや住宅が並んでいるとはいえ、古代大和の風景を空想してみるのも楽しい。

山門の横にある石碑の字は「大界外相」は慈雲尊者の遺筆によるもので、これより聖域であることを示す結界であるという。
幕末や明治の時代。歴史的にはごく近世に聖林寺で学問に励んだ僧達がここに居た証ということになるのでしょう。

狭い境内には所狭しを木々が植えられ、整備されて気持ちの良い庭です。
本堂前にある石造りの十三重石塔が境内の庭を引き締め、傍にある灯篭の火袋には鹿の彫り物があり、空海由来の寺院であることを思い起させます。


本堂へは横から入らせて頂くことになりますが、まずは鰐口を叩いて手を合わせる。
扁額の横には陶器製でしょうか、天女の額が2枚掛けられています。


寺院へ訪れるまでは「聖林寺」イコール「十一面観音菩薩像」と考えていたのですが、内陣に安置された御本尊の「石造地蔵菩薩坐像」始めとして、仏像群は実に魅力的です。
中央には丈六の石仏「石造地蔵菩薩坐像」が脇侍 の掌善・掌悪童子を従えてどっしりと構えておられます。
「石造地蔵菩薩坐像」は元禄時代に女人泰産を願い、托鉢による浄財を集めて造像されたといい、その経緯から「子安延命地蔵尊」と呼ばれているそうです。

<観光パンフレットより>
須弥壇の左の脇陣には「阿弥陀三尊(鎌倉期)」、右の脇陣には「如来荒神坐像(室町期)」「毘沙門天立像(鎌倉期)」が安置。
御本尊前には「不動明王立像」「弁財天立像」も安置されている。
内陣の後方には16幅の「十六羅漢屏風(中国 元時代)」が置かれており、外観より広く感じる堂内は圧巻の空間となっている。
堂内から縁に出ると、大和の穏やかな風景が拡がり、一度座るとずっと座っていてしまいそうになる。

「十一面観音菩薩像」は本堂から渡り階段を登って行った先の「大悲殿」に安置されています。
本堂に安置された本尊とは別の場所に観音像が安置されているのは滋賀県の湖北地方に多く見られる形で、そこには廃仏毀釈の嵐が大きく影響しているのだと思います。

天平時代に造像された木芯乾漆像の十一面観音菩薩像は、頭部は小ぶりに見えデフォルメの強すぎない美しいプロポーションをされている。
目元はやや釣り上がり、口はキリッと結んでおられ、繊細に彫られた指は実際の指の長さと同程度に見えて必要以上に誇張はされていない。

<観光パンフレットより>
堂内は半分がガラスで仕切られており、下からの光に照らし出された観音さまが暗い堂内に浮き上がるように見える。
京都観音寺の「十一面観音菩薩像(国宝)」と比較されることが多いと言うが、受ける印象としては全く違うもので等身大の人間を美しく表現したものとの感を受ける。
尚、化仏三体を失っておられるそうではあるが、神仏分離令によって紆余曲折の時代があったのかもしれません。

<観光パンフレットより>
「大悲殿」は障子を開けて中に入りますが、外側には赤い鉄の扉がある。
せっかくなので鉄扉を閉めて、暗がりの中でライトアップされた観音さんと向き合う時間は素晴らしいものとなりました。
聖林寺の前庭には石の十一面観音がありますので、姿を確認して寺院を去ることとする。

奈良は奈良市エリアに大寺院や観光名所が多くあって興味深い地域になっていますが、山の辺・飛鳥・橿原・宇陀エリアにも大寺院は多いとはいえ、観光客が押し寄せる寺院は少ないように思います。
その長閑な一帯は里山風景の広がる地ともいえ、郷愁を感じる原風景が多く、各寺院には名だたる仏像が数多く安置されている地域であり、心の晴れる清々しい場所だと思います。
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