僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

磨崖仏巡礼~野洲市 「福林寺跡磨崖仏」~

2019-10-08 18:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県野洲市を流れる野洲川流域から金勝山にかけては数多くの磨崖仏が残されており、奈良時代から平安時代にかけて起源を持つ古刹寺院には素晴らしい仏像が安置されています。
この湖東・湖南には低山が多く、三上山を御神体として祀る御上神社を始めとする山岳信仰や磨崖仏の多い地域となっています。

野洲川は、京都や奈良の都や比叡山の建築資材を甲賀地方の杣から運び出す水運経路だったとされますので、古来からの山岳信仰に仏教文化が流れ込んできたとも言える地です。
野洲市には「福林寺跡磨崖仏」と呼ばれる磨崖仏や石仏の宝庫と呼ばれる山があり、磨崖仏巡礼に訪れることにしました。



「福林寺」は福林寺の近くにある「稲荷神社(小篠原)」の縁起に“天智天皇壬申の乱に野洲川原で戦死した人々の供養及び鎮護国家を祈願し、石域村主宿称が福林寺を建立”したとあり、7世紀末に創建されたと思われます。
また、“永禄年間の争乱で、福林寺の伽藍は衰亡し”とありますから、ざっくりと飛鳥時代から戦国時代までの間、存在した寺院ということになります。

稲荷神社が寺域に建てられた神社だとすると、福林寺は広大な寺域を有した寺院だったと思われますが、今は知る由もない。
車を停めて山へ向かって歩いていくと、まず最初に5躰の地蔵石仏が奉られている場所に出会います。



竹藪とその前にある池では釣り人が糸を垂れておられ、案内板に従って進むと猪避けのゲージへと到着します。
しかし、ゲージの先には草木が茂り“この道を行くのか!”としばし迷った末、意を決してゲージの中に入ります。



小さな橋がありますが、その先の道がはっきり見えない。
しかも雨上がりで草木には水滴が溜まり、足元も非常に悪そうです。
気持ち悪いので、やむなく走って通り抜けることにする。



山道は進むに従って道らしい道になっていき、ちょっと進むと広がった山の斜面に出ました。
ただし、斜面に出るまでは随分と蜘蛛の糸に悩まされましたよ。



福林寺跡の石碑がある一帯は「堂山」といわれ、山の斜面の到る所に石仏が置かれてあり、特殊な聖域にいる感が高まります。
最も目を引いたのは巨石に彫られた3躰の磨崖仏で、室町時代初期の作だとされます。



巨石の側面にあたる部分には「如来像」が2躰。
数百年もの時間が経過しているにも関わらず、風化・劣化がさほど進んでいないのは蓮華座の中に浮き彫りされているからなのかもしれません。



正面と思われる場所に彫られているのは「観音像」。
磨崖仏とは思えないほどの柔和な表情をされ、福林寺跡磨崖仏の中でも最も美しいと言われるのも納得がいきます。



福林寺は江戸期以降は衰亡したとされており、誰もいなかったことが災いして、数多くの磨崖仏が大阪方面の富豪の庭に持ち去られたといいます。
美しい観音像が彫られた巨石には、磨崖仏を切り取ろうとしたノミの跡が痛々しく残る。



磨崖仏に対する先入観を打ち砕くが如く安置されているのは「13躰の地蔵菩薩」です。
平べったい巨岩に高さ約45cmの地蔵菩薩立像13躰が平肉彫りされている姿は、今まで見たことのない不思議な磨崖仏と言う他ありません。



合掌する磨崖仏からは祈りの姿とそれ以上に土着の信仰のようなものが感じられてなりません。
野洲市からは銅鐸(24点)が発見されており、「銅鐸のまち」であると共に、古墳跡や寺跡・集落跡も発掘されています。
とすると野洲一帯には古墳時代からの信仰があったと考えられ、古代の聖地であったことがその後の文化に影響しているのかと思われます。



福林寺跡の最上部になる場所にも巨石があり、前に石仏が並べられています。
更に上の斜面にも巨石があるのが見られ、調査すればまだ幾つかの磨崖仏が出てきそうな感じがします。



巨石の左の端に地蔵様の磨崖仏が彫られ、その横には半分埋もれた2躰の磨崖仏があります。
想像の域を出ませんが、この巨石の正面部分にもかつては磨崖仏があったのかもしれません。



巨石の前方に石仏群が安置されていますが、整然と並ぶというより無造作に置かれた感じがします。
この一帯には木の下にゴロリと石仏が置かれていたり、結界を張るように石仏が並べられている場所もあり、周囲のどこかしこに石仏がある場所です。



結界を張るように安置されている石仏群は下になりますが、中に足を踏み入れても良いものか悩むような場所です。
ある程度の整備をされてから、随分と年月が経っているのでしょう。埋もれつつある石仏群になっています。





磨崖仏や石仏が並ぶ一帯は草は刈られて整備されているのはありがたかったのですが、辟易したのは蚊の多さ。とにかく気がつけば腕や首筋に蚊がとまっていました。
腕や首筋の蚊を払いながら右奥へ行くと、小川の向こうにも磨崖仏が見えます。



この磨崖仏も合掌する地蔵菩薩なのでしょう。巨石の3面に彫られています。
なぜこの一帯(福林寺跡)にこれだけ多くの磨崖仏が掘られたのかは分かりませんが、野洲市・栗東市・湖南市・甲賀市には独特の宗教圏が存在したということなのでしょう。





蜘蛛の巣と蚊には悩まされましたが、磨崖仏巡礼を終わり元来た道を戻ります。
あぁまたこの道を行かねばならんのか...。



「福林寺跡磨崖仏」からさほど遠くはない「妙光寺山」にも「妙光寺山磨崖仏」という高さ160cmほどの地蔵菩薩立像の磨崖仏があるといいます。
とはいえ、再びブッシュの道を歩くことがためらわれ、今回は見送りです。
晩秋以降に行けばブッシュはないと思いますが、妙光寺山は9月下旬から11月中旬まで松茸狩り期間で入山できないとか...。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アート・イン・ナガハマ20... | トップ | 廃少菩提寺 石多宝塔及び石仏... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山」カテゴリの最新記事