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「悠久の仏像彫刻」(大仏師・向吉悠睦)~愛荘町立歴史文化博物館~

2019-04-14 11:55:55 | アート・ライブ・読書
 滋賀県愛知郡の愛荘町立歴史博物館では春季特別展として「悠久の仏像彫刻」展が始まりました。
博物館は湖東三山の一つである「金剛輪寺」の惣門から続く参道のすぐ横に建てられた博物館で、年間3回の特別展が企画されています。

常設展としては、1303年に鋳造された「金剛輪寺の梵鐘」や米国ボストン美術館が所蔵している「金銅聖観音坐像(金剛輪寺旧蔵の複製品)」などを常設。
金銅聖観音坐像は明治の廃仏毀釈の時に海外へ流出してしまったものを後に複製したといい、米国ボストン美術館所蔵の金銅仏は1269年の作製されたものだそうです。



歴史文化博物館は1994年に開館されたもので、建物は2棟が渡り廊下でつながる神社・仏閣を思わせる設計となっており、回廊からは玉水苑と呼ばれる日本庭園が望めます。
前回この博物館を訪れた時は紅葉に季節でしたので展示物以外にも紅葉の庭が楽しめましたが、今回は桜の季節の来訪ということで桜の庭も併せて鑑賞することが出来ました。





「悠久の仏像彫刻」展では「平安~鎌倉期の重要文化財を含む仏像」と、現代の大仏師である「向吉悠睦」さんの仏像9躰の構成となっていましたが、度肝を抜かれたのは向吉さんの仏像でした。
室内の展示の配置は、左右に歴史文化財の仏像、正面には向吉さんの現代仏が並んでおり、特に中心に安置された「十一面観音菩薩像」と「聖観音像」の凄さには声も出ませんでした。



向吉悠睦さんは1961年に鹿児島で生まれ、1980年に松久朋琳・宗琳師に入門されています。
1991年には「あさば佛教美術工房」を設立して、大仏師として活躍されている方です。

2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」にも仏師として出演され、2014年にはエリック・クラプトンに「毘盧遮那仏」を納めたといいます。
“エリック・クラプトンに...”というところに思わず反応してしまいますが、クラプトンと仏像のイメージがどうしても浮かんできませんね。



十一面観音菩薩像は2005年に刻まれた仏像で、像高は框から光背までが295cmということから、体躯は等身大ということになります。
優しげな顔の表情といい、体型の美しさ、光背の細工の見事さといい、この仏像に会えて良かったと思える観音様です。



十一面観音菩薩像の横には、これまた見事な「聖観音菩薩像」がおられます。
聖観音菩薩像も素地で等身大の仏像で、框から光背までが270cmとなっています。



この聖観音菩薩で最も魅力的なのは手のリアルさではないでしょうか?
向吉さんの作品には人物像もありますが、今にも動き出しそうなで怖いくらいのリアルな像を刻まれています。



超絶技巧とも呼べそうなのが「千手千眼観音坐像」になるのですが、千手の部分の技巧は見事というほかありません。
しかも、千手の手の掌には目がしっかりと付いていますので、まさしく千手千眼の観音様です。



向吉さんの仏像には素地のもの・截金・彩色・漆箔と多様な技術が使われており、「釈迦如来立像」では截金・彩色・漆箔の技術が使われています。
像高2.1mの釈迦如来像の光背には四如来かと思われる仏が配されており、仏像の技巧には同じ仏師が刻んだものとは思えないような多様性が感じられます。



大迫力だったのは重厚な造りの「毘沙門天立像」でした。
今回展示のあった向吉さんの9躰の仏像の中では1986年作と最も古い、像高165cmの截金・彩色の仏像です。



写真には写っていませんが、踏みつけられている邪鬼もリアルに刻まれており、何より毘沙門天の憤怒の表情に鬼気迫るものがあります。



向吉さんの仏像にすっかり魅了されてしまいましたが、歴史のある仏像も充分に見ごたえのあるものでした。
金剛輪寺所有の「不動明王立像」は平安期の仏像で、仏心寺所有の「聖観音立像(鎌倉期・重文)」と聖観音像の胎内に収納されていた「銅造菩薩立像(平安期・重文)」は7.7cmの小ささに驚くばかり。

なぜか錫杖の替わりに矢尻を持っている「地蔵菩薩立像(鎌倉期)」も重要文化財に指定されており、釈迦多宝二仏並坐像の「釈迦坐像」と「多宝仏坐像」は室町期の仏像で、多宝仏は変わった印に結んでいます。
また、4躰揃った「四天王立像(江戸期)」も江戸期らしい仁王像の躰のラインを感じさせる仏像でした。



“現代の仏師”と呼ばれる人は現在150名ほどだといい、今後はもっと少なくなるだろうといわれています。
大仏師・向吉悠睦さんは途絶えつつあった慶派の系譜におられる方で、慶派の流儀を踏襲するだけではなく今の世相を加味して未来の人につなげていきたいとも言われておられます。

“一生のうちに1躰でもいいから、運慶さん快慶さんに並ぶ仏像を彫ってみたい”と思い続けることで慶派を継いでいきたいと言われ、創作に苦しんでいるところを弟子に見せることも慶派一門の大きな役割だとも語られています。
今回の特別展で、観る人の心を魅了して、気持ちを惹きつけてやまない大仏師の仏像に出会えたことに感謝したいと思います。



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