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“男のためのガーデニング”改め

東近江市八日市の勧請縄1~五智町の勧請縄~

2023-01-27 06:06:06 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 3年ほど前に巨樹を探して滋賀県内を巡っていた頃に湖東の神社で「勧請縄」を見て以来、県内あちこちの勧請縄を見て回っています。
最初は行き当たりばったりでそれらしい集落を巡っていましたが、西村泰郎さんの「勧請縄-個性豊かな村境の魔よけ-」という本に出会い道案内のように利用させて頂いています。

本では161もの勧請縄が紹介されていますが、本が出版されたのは2013年と10年も前のことであり、中絶してしまった集落や吊るされた場所に行きあたらないことも多い。
東近江市の旧八日市エリアを巡ってみましたが、予定の半分少々しか出会えなかったのには中絶された・吊るす時期がまだだった・コロナ渦で見送っているなどの理由があるのかと思います。



五智町の勧請縄は、愛知川岸の森の中にある竹林の間を抜けていくような寂しい道を進み、「国寶五智如来」の石碑の前に勧請縄がありました。
集落の反対側の竹林から集落の入口に着いたことになり、勧請縄の吊るされた場所の先に集落があった。
五智町の勧請縄はまさに村の出入口から悪霊や疫病が入ってこないように張られた結界になります。



勧請縄は折り返してねじられた主縄の上に小幣が3本挿し込まれ、下には12本の小縄の束が吊るされている。
中心部には丸に十のトリクグラズにソヨゴの枝葉を丸い形で巻き付けた形状となっています。



トリクグラズは集落によってそれぞれ形が異なり、弓や角・蛇・月や日・セーマンを模したものや祈祷札が貼られたものなどがあります。
五智町北口の勧請縄のトリクグラズは丸に十と形状としてはオーソドックスなものですが、迫力を感じます。
薄暗く寂寥感のある場所に吊るされた勧請縄は、道の先が不気味な細い道となっていることもあって場の雰囲気に怖さや神秘性を感じてしまいます。



勧請縄の下の石積みには護符とかわらけ皿・小幣が祀られており、この護符は集落内にある興福寺の祈祷札だといいます。
興福寺は臨済宗永源寺派の寺院で平安期の「木造大日如来坐像」を本尊とし、同じく平安期の「木造聖観世音菩薩立像」とともに国の重要文化財に指定されているという。

大日・薬師・宝生・釈迦・阿弥陀の各如来(平安期)が祀られていることから「五智如来の寺」として地名にもなっており、739年に行基によって開山されたと伝わる。
寺院の前を通りがかると当日は何か寺院の行事が行われていたようで、境内に村の人が集まっておられましたが、ソトの者が入るわけにはいかず通り過ぎる。



五智町の南辻には「五智如来道」の石碑が立てられてあり、五智集落は五智如来を祀る興福寺を中心にした集落のように感じられます。
天平期に開山し、平安期の仏を祀る興福寺は織田信長の兵火で多くの堂宇を失ったとされますが、その後復興して江戸期には井伊家の庇護を受けていたといいます。



五智町では集落の南と北に勧請縄で結界が張られており、北は山側・南は町名の看板がある集落の入口。
勧請縄は北口も南辻も同じ作り方をされており、主縄上に小幣が3本・下に小縄の束が12本・中央にトリクグラズがある。



勧請縄は祠の横に吊るされており、辻向かいには地蔵さんの祠がありますので勧請縄の前の祠は何らかの神さまを祀っているようです。
集落内の興福寺の前に小さな「御霊神社」の祠がありますので、この祠は御霊神社に関係するものなのかもしれません。



勧請縄の下には「蘇民将来子孫繁栄」と書かれた護符と小幣が6本とかわらけ皿に盛られたお米が供えられています。
「蘇民将来」は災厄を払い疫病を除いて福を招く神として民間信仰されているとされ、スサノオとのつながりや陰陽道との関係があるという。



京都の八坂神社の祇園祭の山鉾で授与される「厄除粽(ちまき)」には「蘇民将来子孫也」と記されており、スサノオと蘇民将来のつながりが分かる。
尚、八坂神社は主祭神として素戔嗚尊(スサノオ)を祀っています。

 

勧請縄は裏側から見ても表裏に大きな違いはなく、村の境にある十字路の一角で道切りの役割を果たしているようです。
五智町はさほど大きな集落ではありませんが、山への入口に吊るす勧請縄と田園地帯につながる村の境に吊るす勧請縄によって道切りの魔よけを行っているのでしょう。



勧請縄の下には両面に護符と6本の小幣とかわらけ皿に盛られたお米などが供えられており、村の外側にあたる場所には2枚の祈祷札が供えられています。
片方の祈祷札が倒れてしまっていて、直したかったがよそ者が直すわけにはいかずそのままにしておく。
冒頭に「無位真人面門現」から始まる言葉は、臨済宗の禅語に関わる言葉だと思われます。



旧八日市は勧請縄の盛んに行われている地域だとされますが、既に中断されてしまった集落もあるようで中々見つけられない。
勧請縄の行事があるような古くからの集落は、村中の道が細くて曲がりくねっていて切り返しやバックが必要な道が多く、道を聞こうにも人の姿があまりない。

中小路町の「塞神神社」に勧請縄が吊るされるということでしたが、探せども見つからない。
神社の御神木の横に勧請縄を吊るすための木があったものの、勧請縄はない。
古い勧請縄の形跡もありませんでしたので、ここにはないと確信して次の集落へと向かいます。...続く。





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