人はなぜ美術館へ行くのでしょうか?
当方も年間通して何度か美術館へ足を運びますが、ゴッホ展のような大きな美術展で凄まじいまでの来客数に揉まれると、いったい美術作品とはなぜ人の心を惹きつけてやまないのかと感じてしまいます。
その理由の1つとしては“画集やネットではなく本物を自分の目で見てみたい”という欲求があると思いますし、一同に展示された作品を年代や分類によって見られるということもあるのでしょう。
当方は「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」のポスターにも取り上げられている色鮮やかな花魁の絵、これを是非見てみたいというのが動機でした。
「花魁(渓斎英泉による)」は日本の浮世絵に強い関心を持っていたゴッホが模写した作品ですが、オリジナルの絵にはない原色を塗り重ねた作品に仕上がっています。
オリジナルは溪斎英泉という絵師が描いた「雲龍打掛(うんりゅううちかけ)の花魁」ですが、絵を掲載したパリ・イリュストレ誌の日本特集号では絵が左右反転して紹介されています。
ゴッホは反転した絵を模写している訳ですから絵はオリジナルとは反転することになってしまいます。
すなわちオリジナルの花魁は右肩から見返しているのに対して、ゴッホの絵は反転して左肩から見返した絵になっているのが面白いですね。
(会場にはオリジナルおよびパリ・イリュストレ誌も展示されている)
花魁の左の鶴や下の蛙なども別の浮世絵から模写して組み合わせているようですから、ゴッホの日本美術への関心の高さが伺えます。
ポストカード
ゴッホは相当エキセントリックな性質の方だったようですが、それはさておきゴッホが住みかけた頃のパリはジャポニスム(日本趣味)が最盛期だった時代のようです。
影響を受けたゴッホは浮世絵を集めて展覧会を開き、模写することで鮮やかでありながらも特有の作品を描くようになったとされます。
「カフェ・ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ」はゴッホと懇意にしていたアゴスティーナ・セガトーリの肖像画だそうです。
後方に浮世絵らしき絵が掛けられている様子が描かれているのが興味深いですね。
ポストカード
その後、ゴッホは南仏プロバンス地方アルルへ移り住みますが、その理由はアルルに日本を夢見たからと書かれてありました。
南仏がどんなところか想像がつきませんが、アルルに対して“ここは日本そのものだ”というのは余程日本を理想化していたのでしょうね。
日本を楽園と考えたゴッホもやがて「日本の夢」から目覚めて以降、あの有名な「耳切り事件」や「精神病疾患に苦しみながら描く作品」には少し変化が見られます。
「ポプラ林の中の二人」では鮮やかだった色彩がなくなり、恋人たちが歩く林のイメージとは異なる孤独感が感じられてしまう作品となっていました。
この絵の前でしばらく立ちすくんでしまったほど何とも言えない雰囲気の絵です。
ポストカード
ゴッホ展には全体で約180点の展示物があり、ゴッホの絵以外には広重・北斎・国貞・国芳の浮世絵、書簡なども多数展示されてありました。
近代美術館のゴッホ展では階を変えたコレクション・ギャラリーでも「森村泰昌、ゴッホの部屋を訪れる」という関連展示を同時開催されています。
現代芸術家の森村泰昌さんは、自らの身体を使って世界的に有名な絵画や有名人に扮してセルフポートレートによって完成度の高い作品を作られる方です。
「自画像の美術史(ゴッホ/青)」という作品の展示がありましたが、これはおそらくゴッホがピストル自殺前の最期に描いた自画像の再現だと思われます。
ゴッホの陰鬱な表情がとても強い印象の絵(写真)ですね。
会場にはゴッホの「寝室」という絵を再現した部屋が設置されていました。
ゴッホはアルルのこの部屋で暮らしたとされ、ゴーギャンとの共同生活もしたとされています。
ここでの生活の末期に「耳切り事件」が起こったとされ、その後ゴッホは精神に変調をきたしていったようです。
森村泰昌さんはこのレプリカの黄色い部屋の中でゴッホに扮装した姿での作品も作られています。
自画像に使われた部分だけに着色されていて過程の分かる面白い作品になっていますね。
また、ゴッホのオリジナルの「寝室」の絵には影が描かれていませんが、レプリカの方には当然ながら影があるのも面白いところです。
展覧会は『第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム』に「パリ-夢の始まり」、「アルルー「日本」という名のユートピア」、「サン・レミ、オーヴェールー遠ざかる日本の夢」。
『第2部 日本人のファン・ゴッホ巡礼』に分かれていて、2部ではゴッホに強い憧れを抱いていた日本人の学者や芸術家たちの巡礼の旅の記録や映像の展示もあります。
日本に憧れたゴッホ、そのゴッホに憧れた日本人、どちらにとってもそこは聖地だったのでしょう。
図録
さて、展示室を出て外を見ると、平安神宮の大鳥居が見下ろせます。
朱色の大鳥居の奥に見えるのは京都市美術館でしょうか。この界隈は京都の文化ゾーンですね。
ゴッホという一人の画家の作品の変遷、ゴッホが理想郷とした日本の絵師から受けた影響、変調していくゴッホの作品。
ゴッホの作品のある一部に光を当てた美術展だったと思いますが、見る人の興味が増すように企画された美術展だったと思います。
当方も年間通して何度か美術館へ足を運びますが、ゴッホ展のような大きな美術展で凄まじいまでの来客数に揉まれると、いったい美術作品とはなぜ人の心を惹きつけてやまないのかと感じてしまいます。
その理由の1つとしては“画集やネットではなく本物を自分の目で見てみたい”という欲求があると思いますし、一同に展示された作品を年代や分類によって見られるということもあるのでしょう。
当方は「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」のポスターにも取り上げられている色鮮やかな花魁の絵、これを是非見てみたいというのが動機でした。
「花魁(渓斎英泉による)」は日本の浮世絵に強い関心を持っていたゴッホが模写した作品ですが、オリジナルの絵にはない原色を塗り重ねた作品に仕上がっています。
オリジナルは溪斎英泉という絵師が描いた「雲龍打掛(うんりゅううちかけ)の花魁」ですが、絵を掲載したパリ・イリュストレ誌の日本特集号では絵が左右反転して紹介されています。
ゴッホは反転した絵を模写している訳ですから絵はオリジナルとは反転することになってしまいます。
すなわちオリジナルの花魁は右肩から見返しているのに対して、ゴッホの絵は反転して左肩から見返した絵になっているのが面白いですね。
(会場にはオリジナルおよびパリ・イリュストレ誌も展示されている)
花魁の左の鶴や下の蛙なども別の浮世絵から模写して組み合わせているようですから、ゴッホの日本美術への関心の高さが伺えます。
ポストカード
ゴッホは相当エキセントリックな性質の方だったようですが、それはさておきゴッホが住みかけた頃のパリはジャポニスム(日本趣味)が最盛期だった時代のようです。
影響を受けたゴッホは浮世絵を集めて展覧会を開き、模写することで鮮やかでありながらも特有の作品を描くようになったとされます。
「カフェ・ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ」はゴッホと懇意にしていたアゴスティーナ・セガトーリの肖像画だそうです。
後方に浮世絵らしき絵が掛けられている様子が描かれているのが興味深いですね。
ポストカード
その後、ゴッホは南仏プロバンス地方アルルへ移り住みますが、その理由はアルルに日本を夢見たからと書かれてありました。
南仏がどんなところか想像がつきませんが、アルルに対して“ここは日本そのものだ”というのは余程日本を理想化していたのでしょうね。
日本を楽園と考えたゴッホもやがて「日本の夢」から目覚めて以降、あの有名な「耳切り事件」や「精神病疾患に苦しみながら描く作品」には少し変化が見られます。
「ポプラ林の中の二人」では鮮やかだった色彩がなくなり、恋人たちが歩く林のイメージとは異なる孤独感が感じられてしまう作品となっていました。
この絵の前でしばらく立ちすくんでしまったほど何とも言えない雰囲気の絵です。
ポストカード
ゴッホ展には全体で約180点の展示物があり、ゴッホの絵以外には広重・北斎・国貞・国芳の浮世絵、書簡なども多数展示されてありました。
近代美術館のゴッホ展では階を変えたコレクション・ギャラリーでも「森村泰昌、ゴッホの部屋を訪れる」という関連展示を同時開催されています。
現代芸術家の森村泰昌さんは、自らの身体を使って世界的に有名な絵画や有名人に扮してセルフポートレートによって完成度の高い作品を作られる方です。
「自画像の美術史(ゴッホ/青)」という作品の展示がありましたが、これはおそらくゴッホがピストル自殺前の最期に描いた自画像の再現だと思われます。
ゴッホの陰鬱な表情がとても強い印象の絵(写真)ですね。
会場にはゴッホの「寝室」という絵を再現した部屋が設置されていました。
ゴッホはアルルのこの部屋で暮らしたとされ、ゴーギャンとの共同生活もしたとされています。
ここでの生活の末期に「耳切り事件」が起こったとされ、その後ゴッホは精神に変調をきたしていったようです。
森村泰昌さんはこのレプリカの黄色い部屋の中でゴッホに扮装した姿での作品も作られています。
自画像に使われた部分だけに着色されていて過程の分かる面白い作品になっていますね。
また、ゴッホのオリジナルの「寝室」の絵には影が描かれていませんが、レプリカの方には当然ながら影があるのも面白いところです。
展覧会は『第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム』に「パリ-夢の始まり」、「アルルー「日本」という名のユートピア」、「サン・レミ、オーヴェールー遠ざかる日本の夢」。
『第2部 日本人のファン・ゴッホ巡礼』に分かれていて、2部ではゴッホに強い憧れを抱いていた日本人の学者や芸術家たちの巡礼の旅の記録や映像の展示もあります。
日本に憧れたゴッホ、そのゴッホに憧れた日本人、どちらにとってもそこは聖地だったのでしょう。
図録
さて、展示室を出て外を見ると、平安神宮の大鳥居が見下ろせます。
朱色の大鳥居の奥に見えるのは京都市美術館でしょうか。この界隈は京都の文化ゾーンですね。
ゴッホという一人の画家の作品の変遷、ゴッホが理想郷とした日本の絵師から受けた影響、変調していくゴッホの作品。
ゴッホの作品のある一部に光を当てた美術展だったと思いますが、見る人の興味が増すように企画された美術展だったと思います。