日本サッカー界の重鎮、岡野俊一郎氏が亡くなった。85歳だった。
私が中学生の頃、岐阜放送(テレビ東京系)で日曜の夕方「ダイヤモンドサッカー」
の解説をしてみえた。当時のアナウンサー金子氏はすでに他界してみえる。
岡野俊一郎氏の著書「サッカー教室」は基礎から戦術までが親切に書かれていて、
中坊の自分の座右の書としてボロボロになるまで読み返し実践させていただいた。
部の顧問の先生よりお世話になったといっていい。
「サッカー教室」の連続写真からフェイントやらスライディングタックルを研究?し、
自分のものにした。新人戦一回戦、対南中戦で自身の初得点をゲットできたのも
岡野流フェイントあってのことだ。
県で準優勝という立派な先輩たちに比べ、明らかに弱い、ヘタ、と言われて
いた我々の代が西濃地区で優勝できたのも、私自身の中では岡野俊一郎氏の
「サッカー教室」があったからこそ、と信じている。
本当にありがとうございました。
大変お世話になりました。
どうぞ安らかに・・。
私が中学生の頃、岐阜放送(テレビ東京系)で日曜の夕方「ダイヤモンドサッカー」
の解説をしてみえた。当時のアナウンサー金子氏はすでに他界してみえる。
岡野俊一郎氏の著書「サッカー教室」は基礎から戦術までが親切に書かれていて、
中坊の自分の座右の書としてボロボロになるまで読み返し実践させていただいた。
部の顧問の先生よりお世話になったといっていい。
「サッカー教室」の連続写真からフェイントやらスライディングタックルを研究?し、
自分のものにした。新人戦一回戦、対南中戦で自身の初得点をゲットできたのも
岡野流フェイントあってのことだ。
県で準優勝という立派な先輩たちに比べ、明らかに弱い、ヘタ、と言われて
いた我々の代が西濃地区で優勝できたのも、私自身の中では岡野俊一郎氏の
「サッカー教室」があったからこそ、と信じている。
本当にありがとうございました。
大変お世話になりました。
どうぞ安らかに・・。