「春はお別れの季節です」・・・おニャンコクラブの「じゃあね」(うーん、歳バレ?!)でもないが、退職、異動などで多くの人が我が職場を去る。職場のことを書いてもあまり興味は沸かないと思われるが、このサイトを最も賑わし最多登場回数を誇る八兵衛もその一人である。当初は「エイトマン」というニックネームだったが、その風貌からして(ごめんなさいっ!)最も適したものに改名したのだ。当社には37年勤務されいわゆる定年退職となるが人気者の彼のこと、関連業界の企業の幹部として新たに活躍することとなる。そのにこやかなキャラクターで、ある時は一大プロジェクトを推進し、ある時は雪深い渓谷で不可能を可能に、そして温泉・ゲテモノ・・・県内のことなら何でも来いの超兵(ツワモノ)で私が着任以来最もお世話になっている一人である。
施設の整備計画・設計などを司っていた彼は何事も現場でモノを見て触って判断するタイプで、県内の果てから果てまで惜しみなく調べて回った。私も外から来て管轄する者としてできるだけ実物を見て肌で感じるようと努めた結果、「お出掛け衆」として何かにつけて外出することが多かった。仕事の内容は機密上伏せておくが、その都度「これでもか!」と連れて行ってくれたお店、名所などは数え切れない。何故かいつも新品のタオルを持ち歩いていて(社用車に常備?)、帰りが遅くなって勤務時間が終了となると県内に何十とあるしなびた温泉に浸かってくることもあった。
最初に巨大カツ丼に挑戦した時も八兵衛と一緒で彼は見事玉砕していた。。。ご飯が大盛りで有名なモツ煮定食、一面のニラに一握りの生にんにくで「やられた」スタミナラーメン、キャベツ畑で有名な村でかなりピリ辛大盛りカルビラーメン、親指と同じ太さの極太固麺をだす田舎うどん・・・ガレットにやられた時、そしてタルタルソースカツ丼に首を傾げた時も八兵衛がいた。。。おそらく県外の者としては誰よりも手広くゲテモノをたくさん知っている私の経験は大半が八兵衛と過ごしたものと言ってよい。元々その手のモノが嫌いでないらしく、食べ物屋以外にも「世界最大の吊るし飾り」「恐竜の足跡」「古墳・遺跡」「こんにゃく作り体験」などあらゆる「ちょっと変わったモノ」に造詣が深い。(むろん自然の美しいところ、名所などもたくさん知っているが)
若い時はラグビー部でかなりならしたらしいし、場所柄スキーは指導者級の資格を持っているという。ゴルフも大好きで私の代わりに何度も大会に出てくれたし、休みの日はジョギングさえしているらしい。日帰り温泉のスタンプカードを何枚も持っていて、暇さえあればあちこち訪れるらしい。どこの施設のポイントが何曜日が倍になるのかぜーんぶ覚えているところがさすがだ・・・
私にとっては初めてだった10キロ県民マラソンに●年連続で出場している猛者だ。一昨年は勝手がわからない私と一緒に走ってくれるはずだったのに、スタートで谷川真理さんとハイタッチするために列に並んでいるうちに置き去りにされてしまった。私は奮起して後半怒涛の勢いでスパートをかまし、残り3キロ地点でペースを乱してよたついている八兵衛の肩を後ろから「ポン」と叩いて風のように抜き去った。そのことをかなり根に持っているらしく今でもマラソンになるとその話を持ち出される。地元新聞社が撮影するポイントを知っているのか知らずか、必ずと言ってよいほど写真にその八の字眉毛が写っているのが実に不思議だ・・・
大震災後は、県内に数十箇所あった避難所(県外からの避難者向け)の支援に必要な物資、精密機器などを瞬く間に整備し、あっと言う間に使ってもらえるようにして見せた。素晴らしいフットワークだった。あとから聞くと勝手知ったるスタンプカードの温泉施設も結構多かったという。
1ヶ月ほどだって避難所が閉鎖され始め、不要になった施設を撤去しに行くときも八兵衛はいそいそと出掛けて行った。「部下に任せりゃいいのに」とも思っていたのだが「ヘルメットの中にシャンプーと石鹸が入ってるんじゃないの?!」という冷かし笑いも出てきた。正直、私もついて行きたかったがホントに被災地の支援に忙しく、珍しく自分で時間を作れなかった。。。(当たり前か)
昨晩は八兵衛達退職される方々の部門を上げての大送別会だった。100人近い会となるがそれでも出席するのは管理職が中心である。全部出ると数100人に上ってしまい、会場に入りきらないから各々のセクションで別途お別れ会は行われているはずだ。ホントはセクションごとの小さな集まりのバカ話で盛り上がりたいのだが、立場上ひとつでも出席すると全部に顔を出さなければ筋が通らずきりがない。。。多年に渡る功労者の送別会、社を上げての管理者送別会、部門内の大送別会・・・ほぼすべてのイベントで何らかの挨拶をさせられるが、今回は「最初にしてくれぇ!」と頼み込んで冒頭の送辞にしてもらった。八兵衛なんか全部同じのに出席しているから同じ話ができないのが困ったところ。「あいつ・・・ネタ持ち回りしやがって・・・」と思われたくはない。
「みなさん、こんばんは。これまで締めの挨拶役ばかりだったんですが、今日はどうにもスパークしたくて最初に出番を持ってきてもらいました。ご勇退される方々、これまで本当にお疲れ様でした、またありがとうございました。何十年もこの会社で仕事をされてお辞めになる方のお話を何回か伺いましたが、『思い出すとあっという間だった』という方が多いです。私も最近そう思い始めましたが、何故そうなんだろうか?これは『これまで生きてきた年数比の違い』と私なりに理解しています。会社に入社したときは20歳そこそこ、つまその時の1年間はそれまで生きてきた年数の20分の1つまり5%です。しかし50歳になると同様に考えれば1年間の比率は2%になってしまう。30年前の2.5倍も1年を早く過ぎ去ると感じてしまうのではないか?と。しかし一人一人にとって長かったり短かったり感じる長さは異なりますが、1年間はやはり365日、途中休むことはあっても『途絶える』ことなく当社で仕事を続け本日を迎える皆様に心から敬意を表します。私はどちらかと言うと物事を運動論的にとらえてしまうので、こういった機会も通過点に過ぎず、次の場に臨まれる皆様に「これからもOBとして助けて欲しい」などと煩わせることはないように残りの皆で努力するつもりですが、何十年もこの事業に関わってきた経験やノウハウは皆様個人だけではなく、この分野全部の貴重な財産と思っておりますので、『どうもあいつら危なっかしくて見ておれん』」ということがあれば遠慮なく手を差し伸べてください。
今年度もあとわずか、卒業式シーズンはもう終わったようですが、少し前は街中を歩いていると『贈る言葉』が聞こえていました。今も歌ったりするんですね。私はほぼリアル『金八先生』世代なので何か本日「贈る言葉」はないか考えていました。まさかこれから次のステージで活躍されようという方々に「足元には気をつけな!」とも言えませんから・・・違う言葉を選びました。
『may the force be with you』というフレーズをご存知でしょうか?先日「スターウォーズ(エピソード1)」の3D映画を初めて見たんです。戦いに行く仲間に「フォースと共にあらんことを」とジェダイの騎士が口にする言葉です。いつも映画からのパクリですみません。。。。映画の中で使われる意味合いは異なると思いますが、私はあの言葉をこう考えています。『これから何をするにも意志のあるところに道が開ける」と。皆様のこれまでのご功績に感謝し、皆様を支えたご家族に感謝し、そしてこれからの皆様が『フォースと共にあらんことを』祈念して、ご挨拶とさせていただきます。今までありがとうございました」
八兵衛のように明るく職場のムードメーカーとして誰からも愛され、心から惜しまれて職場を去っていく人は羨ましいしかくありたいものだと思う。退職者への発令や感謝状を読み上げながら、いずれ自分が辞める時(たぶん定年退職ではない気がする)を考えていたが、どうもピンと来るシーンを思い浮かべることができなかった。我ながら情の薄いことにそれこそ通過点としてさっさと切り上げるような気がする。「淡きこと水のごとく一本締めで・・・」
八兵衛さん、お世話になりました。一緒に県内の隅々まで走り回ったこと、決して忘れません。今年も県民マラソン一緒に走って温泉行きましょうねー。さよなら。
施設の整備計画・設計などを司っていた彼は何事も現場でモノを見て触って判断するタイプで、県内の果てから果てまで惜しみなく調べて回った。私も外から来て管轄する者としてできるだけ実物を見て肌で感じるようと努めた結果、「お出掛け衆」として何かにつけて外出することが多かった。仕事の内容は機密上伏せておくが、その都度「これでもか!」と連れて行ってくれたお店、名所などは数え切れない。何故かいつも新品のタオルを持ち歩いていて(社用車に常備?)、帰りが遅くなって勤務時間が終了となると県内に何十とあるしなびた温泉に浸かってくることもあった。
最初に巨大カツ丼に挑戦した時も八兵衛と一緒で彼は見事玉砕していた。。。ご飯が大盛りで有名なモツ煮定食、一面のニラに一握りの生にんにくで「やられた」スタミナラーメン、キャベツ畑で有名な村でかなりピリ辛大盛りカルビラーメン、親指と同じ太さの極太固麺をだす田舎うどん・・・ガレットにやられた時、そしてタルタルソースカツ丼に首を傾げた時も八兵衛がいた。。。おそらく県外の者としては誰よりも手広くゲテモノをたくさん知っている私の経験は大半が八兵衛と過ごしたものと言ってよい。元々その手のモノが嫌いでないらしく、食べ物屋以外にも「世界最大の吊るし飾り」「恐竜の足跡」「古墳・遺跡」「こんにゃく作り体験」などあらゆる「ちょっと変わったモノ」に造詣が深い。(むろん自然の美しいところ、名所などもたくさん知っているが)
若い時はラグビー部でかなりならしたらしいし、場所柄スキーは指導者級の資格を持っているという。ゴルフも大好きで私の代わりに何度も大会に出てくれたし、休みの日はジョギングさえしているらしい。日帰り温泉のスタンプカードを何枚も持っていて、暇さえあればあちこち訪れるらしい。どこの施設のポイントが何曜日が倍になるのかぜーんぶ覚えているところがさすがだ・・・
私にとっては初めてだった10キロ県民マラソンに●年連続で出場している猛者だ。一昨年は勝手がわからない私と一緒に走ってくれるはずだったのに、スタートで谷川真理さんとハイタッチするために列に並んでいるうちに置き去りにされてしまった。私は奮起して後半怒涛の勢いでスパートをかまし、残り3キロ地点でペースを乱してよたついている八兵衛の肩を後ろから「ポン」と叩いて風のように抜き去った。そのことをかなり根に持っているらしく今でもマラソンになるとその話を持ち出される。地元新聞社が撮影するポイントを知っているのか知らずか、必ずと言ってよいほど写真にその八の字眉毛が写っているのが実に不思議だ・・・
大震災後は、県内に数十箇所あった避難所(県外からの避難者向け)の支援に必要な物資、精密機器などを瞬く間に整備し、あっと言う間に使ってもらえるようにして見せた。素晴らしいフットワークだった。あとから聞くと勝手知ったるスタンプカードの温泉施設も結構多かったという。
1ヶ月ほどだって避難所が閉鎖され始め、不要になった施設を撤去しに行くときも八兵衛はいそいそと出掛けて行った。「部下に任せりゃいいのに」とも思っていたのだが「ヘルメットの中にシャンプーと石鹸が入ってるんじゃないの?!」という冷かし笑いも出てきた。正直、私もついて行きたかったがホントに被災地の支援に忙しく、珍しく自分で時間を作れなかった。。。(当たり前か)
昨晩は八兵衛達退職される方々の部門を上げての大送別会だった。100人近い会となるがそれでも出席するのは管理職が中心である。全部出ると数100人に上ってしまい、会場に入りきらないから各々のセクションで別途お別れ会は行われているはずだ。ホントはセクションごとの小さな集まりのバカ話で盛り上がりたいのだが、立場上ひとつでも出席すると全部に顔を出さなければ筋が通らずきりがない。。。多年に渡る功労者の送別会、社を上げての管理者送別会、部門内の大送別会・・・ほぼすべてのイベントで何らかの挨拶をさせられるが、今回は「最初にしてくれぇ!」と頼み込んで冒頭の送辞にしてもらった。八兵衛なんか全部同じのに出席しているから同じ話ができないのが困ったところ。「あいつ・・・ネタ持ち回りしやがって・・・」と思われたくはない。
「みなさん、こんばんは。これまで締めの挨拶役ばかりだったんですが、今日はどうにもスパークしたくて最初に出番を持ってきてもらいました。ご勇退される方々、これまで本当にお疲れ様でした、またありがとうございました。何十年もこの会社で仕事をされてお辞めになる方のお話を何回か伺いましたが、『思い出すとあっという間だった』という方が多いです。私も最近そう思い始めましたが、何故そうなんだろうか?これは『これまで生きてきた年数比の違い』と私なりに理解しています。会社に入社したときは20歳そこそこ、つまその時の1年間はそれまで生きてきた年数の20分の1つまり5%です。しかし50歳になると同様に考えれば1年間の比率は2%になってしまう。30年前の2.5倍も1年を早く過ぎ去ると感じてしまうのではないか?と。しかし一人一人にとって長かったり短かったり感じる長さは異なりますが、1年間はやはり365日、途中休むことはあっても『途絶える』ことなく当社で仕事を続け本日を迎える皆様に心から敬意を表します。私はどちらかと言うと物事を運動論的にとらえてしまうので、こういった機会も通過点に過ぎず、次の場に臨まれる皆様に「これからもOBとして助けて欲しい」などと煩わせることはないように残りの皆で努力するつもりですが、何十年もこの事業に関わってきた経験やノウハウは皆様個人だけではなく、この分野全部の貴重な財産と思っておりますので、『どうもあいつら危なっかしくて見ておれん』」ということがあれば遠慮なく手を差し伸べてください。
今年度もあとわずか、卒業式シーズンはもう終わったようですが、少し前は街中を歩いていると『贈る言葉』が聞こえていました。今も歌ったりするんですね。私はほぼリアル『金八先生』世代なので何か本日「贈る言葉」はないか考えていました。まさかこれから次のステージで活躍されようという方々に「足元には気をつけな!」とも言えませんから・・・違う言葉を選びました。
『may the force be with you』というフレーズをご存知でしょうか?先日「スターウォーズ(エピソード1)」の3D映画を初めて見たんです。戦いに行く仲間に「フォースと共にあらんことを」とジェダイの騎士が口にする言葉です。いつも映画からのパクリですみません。。。。映画の中で使われる意味合いは異なると思いますが、私はあの言葉をこう考えています。『これから何をするにも意志のあるところに道が開ける」と。皆様のこれまでのご功績に感謝し、皆様を支えたご家族に感謝し、そしてこれからの皆様が『フォースと共にあらんことを』祈念して、ご挨拶とさせていただきます。今までありがとうございました」
八兵衛のように明るく職場のムードメーカーとして誰からも愛され、心から惜しまれて職場を去っていく人は羨ましいしかくありたいものだと思う。退職者への発令や感謝状を読み上げながら、いずれ自分が辞める時(たぶん定年退職ではない気がする)を考えていたが、どうもピンと来るシーンを思い浮かべることができなかった。我ながら情の薄いことにそれこそ通過点としてさっさと切り上げるような気がする。「淡きこと水のごとく一本締めで・・・」
八兵衛さん、お世話になりました。一緒に県内の隅々まで走り回ったこと、決して忘れません。今年も県民マラソン一緒に走って温泉行きましょうねー。さよなら。