超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

キッチンランド

2012-03-03 12:34:37 | 出来事
ようするに「料理教室」である。東京ガスのエコ・クッキングという取組みの中の活動らしい。妻は元々料理が好きらしく、最近食卓にも何やら普段とは異なる製法の料理が出るようになったし、確かに味覚は結構鋭くいっぱしのグルメ気取りの息子となんやかんやと味付け論議している。最近「料理教室」なるものにも顔を出しているようだ。先日、「鶏肉のクリーム煮」のようなものが調理されて出てきたが、実に美味かった。やはり色々と普段とは違う味付けのコツ、秘訣があって結構得るものがあるらしい。
子供が大きくなって時間ができた時に「何か始められるよう」色んなことを嗜んでおくのは悪いことではないし、二人の趣味にもつながる。あわよくば「調理師免許」でも取ってくれれば、仮に私が会社を辞めてしまった時でも次のスタートを切る選択肢が少しはある、なんて勝手に考えていた。

意外だとよく言われるが私は必然的な外でのつきあい以外、食事は部屋で自分で作る。とは言っても週2,3回だから基本は作り置きの恐ろしく貧しいメニューで、この寒い時期は微妙に具を変化させた「ポトフ風」と「豚汁風」ごった煮の2パターンしかない。ご飯にふりかけ、ごま昆布、しらす干しだけの粗食かたまーに肉もやし炒めを加えるくらいだ。夕飯を作る日は概ね、会社帰りにジムに立ち寄る日でもある。「運動によるダイエットはない。食事を改善すべし!21時以降は食べないこと」を各方面で言われてきている私は、帰宅する20時30分頃からほぼ30分で夕食を済ませてしまう。仮に酒を買ってきたり(あんまりないのだが)していても、つまみを食ったりはしないようにしている。毎週必ず何かはある「お酒がついている食事会」での有様を考えると、せめて一人のときはストイックな生活をしていないとブクブクになるのは「ダイエット編」で戒めたとおりである。

元々「味の閾値」が低く、腹が減ったときに満たされれば雰囲気や細かい味などどうでもよいのである。この地方での美食、ゲテモノ色々なものに適度に恵まれている上に週末は家族で結構手広く美味しいものを食べているから、食生活には不満はないし面倒であれば食べずに済ませてしまうこともある。料理教室により一人暮らしの食卓のバラエティにとは思わなかったが、意外と多い「部屋ではまったく調理しない」というわけでもなく、面白そうだったから妻と二人で申し込んだ。ものすごくハマレればウォーキングのように二人の趣味にすることができよう。今では男性の生徒も結構おり、男だけの厨房「男の料理は炎で勝負」などというベタなコースなどもあったが、やる気十分の男連中の中でポツンと見ているよりは、パートナーがいる方がまだ間が持てると思ったのだ。

   

「最悪、男性はオレだけと思ってた方がいいかもなー」こういう時の予想は実によく当たるものだ・・・午前の部だったが、ずばり女性ばかりしかいなかった。さすがにここに一人で乗り込んだら大変なことになるところだった。。。実はエプロンなど中学の家庭科以来で実に違和感があったのだが、時間になると係の指南役がやってきて説明を始めた。
エコ・クッキングとは食材を余すところなく使いゴミを出さずに最小限のエネルギーで美味しい料理を作るという見事なコンセプトである。食材選びからこの取組みは始まっているようだ・・・
・地元の食材を選ぶ:遠方の食材を使うと輸送や保管などに余分なエネルギーを消費してしまう。
・旬の食材を選ぶ:季節でない野菜などには温度管理など余計なエネルギーが必要だ。
・使える食材は余さず使う:にんじんなどは皮ごと、しいたけなどもできるだけ軸を長く使う
・エネルギー効率のよい調理法:ずばり「ガスを使えということ」
・水、ガスなどを流しっぱなし点けっぱなしにせずにマメに調節する。

エコ検定試験を受けてから我が家でも「地産地消」は限りなく意識している。地元漁港の朝市に行くようになったのもこのためである。(すべからくその方が美味い)
最初に正面のキッチンで係の女性が下準備の要領とその順番を演じて見せた。(オレ、皮むき系は一切できないからねー)ビビッていたが特別な技は必要なく、分量と加熱時間その他注意事項を守れば誰でもできそうなプロセスだった(ように見えた)。「なーんだこれなら理科の実験と同じじゃないか」と
気楽に構えたが、実は何故か学生時代の一般物理学実験では自分のいる班だけが想定通りの結果が出ずに居残りになった苦い記憶が戻ってきた・・・
「このコースはエコ・クッキングということで皆さんのお使いになったガスや水道の量は測定され、生ゴミは所定の紙袋で重さを量らせていただきます。別に競争ではないし、一番でも何も差し上げられないんですが・・・」

うー。。。典型的なパターンだ。。。オレの班、これまでの経験からして間違いなくやばいなー。何故かそういうところ弱いんだよなあ。
まず先生はいきなり「デザート」の下ごしらえから始めた。要は「白玉」を作る要領らしい。「強力粉をですね。少しずつダマにならないように溶いていって・・・これを薄ーく油を引いたフライパンに少しずつ流し込み、160度でピピットコンロで5分セットします。あとは放っておいて大丈夫。。。。」
ふーん。焼き具合とか温度(なんてわからないけど)とか見ていなくてよいのか?ピピットコンロってすごいんだなー。(って、ここが宣伝か?!)
よく聞くとこれは柚香餅という、ただのオマケメニューらしい。。。柚の皮を刻んだモノを半分ずつ丁寧に混ぜて・・・白餡を塗ってくるくる巻いていきます。なんだ簡単じゃねえか。ボクたった一人の男子だからこの簡単そうな係にさせてもらおう。やばそうなヤツは現役の主婦様にお任せしてっと。。。

次に白身魚が登場した。大きな切り身だが鯛のようである。ヘタに触ってメインを台無しにしてはいけないから、ここは注意しておいたが下準備として塩を振っただけだった。あとはかぶら蒸し用の蕪の摩り下ろし、これも簡単そうだから手を出す候補としておこう。女性インストラクターはどんどん下準備を進めて行く。エビを洗って背ワタを丁寧にとり、しめじを裂いて、しいたけの軸を切り、にんじんを皮ごと千切りにユリ根の洗い・・・一人でスラスラ進めて行く(当たり前か!)のを見ているだけだったが、それにしても準備だけでずいぶん色んなことやるんだな。隣りでメモを取っている妻に
「ねえねえ、これってまだ準備段階なんだろ?これから本番だってのにあんなにたくさん色んなもの時間内に作れるのか?}「うーん。確かにいつもより品数が多いかもしれない」足手まといにならないように隅で見ていたほうがいいかも。。。

我が班のキッチンスタジアムには既に食材がちゃんと用意されていた。「手をきちんと洗ってから始めてくださいねー」私はもちろん一番後ろに並んで大人しく食器洗い役でもしていようと思っていた。
ところがである。歴戦の主婦たち(のように見えたんだが)は我先に「最も簡単そう」な作業に飛びついたのだ。蕪の摩り下ろしと白玉を練り上げ、食べるのは日本人と中国人だけというユリ根をさっさと洗い出した。「えっ?えぇーっ?」私に残された作業は「にんじんの千切り、シメジを裂いて下敷きにしたうえに酒、塩を分量振ったささみを乗せてアルミホイルに包み、さらに軸を取ったしいたけを横に添えてピピットコンロ備え付けオーブンで4分焼いてしいたけだけ取り出し、アルミホイルはさらに残り6分焼く」という極めてテクニカルなミッションであった。洗いものをする妻に苦情のひとつも言いたくなったものだ。「おいおい、オレに重大な任務させんなよ・・・」

    

その後、一旦机に戻って指導係は本格調理を魔術のような手際であっと言う間に仕上げた。。。「なあ、絶対あんな手際じゃーできねえべ」「そうかも・・・」と小声で話し合った。
まずガレットのように薄く焼きあがった白玉粉に白餡を混ぜてくるくる巻きにし、輪切りにしてデザートを完了、手早く鯛の切り身の塩をふき取って分量の酒と塩で味付けした上に摩り下ろした蕪を載せて下に昆布を敷き中華風蒸篭の一段目に並べる。小松菜は醤油で洗い、手早く切って剥いたエビ、シメジ、卵の黄身とともに二段目の蒸篭に・・・(この調理では煮るのではなく蒸すらしい)一番下の中華鍋をぐらぐら煮立たせ、二段の蒸篭を置いて蒸し始めた。同じテーブルの主婦たちも小声で「あんな立派な蒸篭って普通、家にはないよねえ・・・」
蒸しあがった小松菜で胡麻和えを完成させ、えびとしめじを切り身に載せてさらに蒸し上げた。またピピットコンロに専用テーブルがある炊飯器に調味料を加えてセットした。

だし汁に調味料を加えてとろみをつけ蒸しあがったかぶら蒸しのまわりにそのつゆを張って完成、最後は炊き上がったご飯に水菜を混ぜ込んで蒸し上がった黄身をほぐして載せてすべてできあがり・・・
助手がめまぐるしくサポートしていたが、ここまでわずか30分足らずだ。これは横で眺めている場合じゃーない。ぐずぐずしていると家庭科の調理実習のように「他の班が食べ始めているのに自分達だけ悪戦苦闘」という屈辱の場面を迎えてしまう。。。「では、先ほどのキッチンに戻って始めてください」
私は一目散に先ほど自分で製作したホイル焼きに向かった。蒸し上げた小松菜を加えてこれは「胡麻和え」に化けるのである。小松菜を切ってホイルのささみを細かく裂き、しいたけを千切りにして最後にごまを振りかけて完成。
先ほど簡単な作業ばかりに走っていた主婦達も「手っ取り早くやらなければ終わらない」と気が付いたらしく、きびきびと動き回っていた。どうやら私は「洗いモノ係」に専念できそうだ。

さすがに指導係の手際は「料理の鉄人」ばりに鮮やかだったので、主婦達の間でも「あれ忘れた」「これどうすんだっけ?」などという会話が混じり始めた。かぶら蒸しのつゆを作成していた人はとろみをつけたところで指導係に「調味料入れましたか〜」と言われ真っ青になっていた。
他に比べて我が班は少しだけ進捗が悪いらしい。(蒸し時間を延長したせいだろうか?)
やばし!このままでは「家庭科実習のダメな班」になってしまう・・・主婦達は鬼のような連携作業で「洗い物」を始めた。すべての片付けが完了して「食事開始」だからである。私と妻は器に盛ってテーブルへ運ぶ係となった。
私も慌てていたので、かぶら蒸しのしめじを手掴みで載せてしまい妻に窘められた。「箸よ、箸使って!この皿、アナタのだからね」

そんなこんなのドタバタ劇でようやく全てが終了し、食事会となった。どの人も一口食した瞬間「美味しい!」と小さな歓声を上げていた。確かに実に上品な味だった。これは食卓と言うよりも料亭の味に近い・・・「今回の調理にほとんど『醤油』って使ってないよなー」酒と塩だけで後は素材の味が見事に活かされている感じだ。何を作っても醤油と胡麻油で同じ味にしてしまう、一人暮らしの炊事とは大きな違いだ。(実はかぶら蒸しなんかは思わずドバーっと醤油をかけたくなったのだが)
食べながら聞いていたが、我が班は終了こそ遅かったものの、使用した水量、燃料ともに省エネでトップ!大きな拍手をいただいた。(実はこれを意識して私の「洗い物」はあんまり真面目に水で流してないのだよ・・・)
中々面白かったが、やはり男子一人だけというのは気遅れがするし何か疲れる。。。次回は湘南オリジナル「鯵の三枚下ろしに挑戦」だったが迷っているうちに満員になっちゃった・・・・まあ、魚は一応下ろせるからなー(ロスは多いけど)
「自家製干物」のコースが出たら、ぬかりなく申し込むとしよう。ちなみに我が班はB班です。

 

合格発表の日

2012-03-01 23:20:48 | ヒーロー
一昨日は珍しく職場のある市街地でも朝からすごい勢いで雪が降っていた。最初帰りにジムに寄ってくるつもりだった私はマンションのベランダから外を見て「こりゃー、とてもバイクでは無理かな。積もるかもしれないからな」と傘を持って歩いて職場に行くつもりでエレベーターを降りた。
エントランスを出ようとしたら、いきなり床が見事に滑ってすってんころりん・・・したたかに腰を打ってしまった。別に滑りやすい靴というわけではないはずなのだが、歩道を歩き始めてすぐにまたしても転びそうになった。
「えーい、歩いて行っても転ぶんならバイクで行っちまえ!車道なら雪はねえだろ」自転車の傘指し運転はいかにも危険だし、この決断は正しかったらしく、全く危ないこともなくすんなり職場に到着した。
時刻は7時過ぎ(私は誰よりもオフィスに早く「いる」のである)、私は屋外作業などのありそうなセクションの長に連絡し朝一から緊急電話会議を開いてもらった。我が家周辺ほどではないとは言えこの地方の人もそれほど雪中の運転や作業に慣れているわけでもなく、いかにも「何か起きそうな」気がしたのだ。「我が方から1件の事故も起こすな!」あちこちで檄を飛ばした。
一時はもうマンションへ帰るのもやばいか?!とスティーブとオフィス飲み会の作戦でも話したが、午後になるとぱったり雪は止み、明るくなってあっという間に雪は融けてしまった。

その前日、会議に出席するために本館に向かって歩いていると中学生(たぶん)が交差点でやたらに大人や仲間同士で「ハイタッチ」をして盛り上がっている。大人は教師か塾講師?合格発表か?!と思いきやどうやら願書を出しに行くようだった。(確かめたわけではないから違うかも)
30年以上も前のことだからすっかり薄らいでいるが何とも言えない緊張感と高揚感は思い出した。。。
学校の勉強を本分とする期間で、一般的には一番最初の試練で一番印象的なのが「高校受験」だと思う。(何事も初めての経験がもっとも鮮烈だ)
私たちの頃は世にある「学校ドラマ=学園モノ」とは高校(ラグビー部)が主役で、ガキだった我々にはイマイチ世代が合わずに共感が無かった。中村雅俊が担任の教室で不良仲間とツルんではいるが、妙に正義感だけはあって他校のバカに絡まれている同級の女子を辛くも喧嘩で救い出し、ほのかな恋が芽生える・・・なーんて場面は想像すらできず全くの違う世界だったのだ。

ところがそこへ衝撃的に登場したのが「3年B組金八先生」である。異性交遊や校内暴力など社会現象化した様々な問題の中で悩み、傷つき、導かれて最後には最大のイベント「高校受験」を乗り越える・・・中学2年生くらいから(今では遅い?!)受験を意識しなければならなかった私ら世代はほぼリアルタイムではまっていった。。。(と言っても私は年明けの受験シーズン編しか見ていないのだが)
ドラマは東京を舞台としていたからこちらとは少し事情が異なったようだが、あの緊張感は当事者には直接伝わってきたものだ。世は中学や小学校からの「お受験」こそ未だ流行ってはいなかったが、どちらかと言えば「モーレツ主義」、「ツメコミ」「抑圧」が強くて生徒がそろそろ反乱を起こそうとしているあたりである。
神奈川県は悪名高き?!「アチーブメントテスト」というのが2年の終わり頃にあり、県立高校選抜の大きなウェイトを占めていた。半分の内申書は2年の学年末と3年の成績、残り半分は入学試験というのが普通のスタイルだと思われるが、ア・テストは25%という入試と同じウェイトを誇っていた。つまり入学試験の半分が2年生の時点でやってきてしまうのである。しかもご丁寧に9教科全部のペーパーテスト・・・

同じようなスタイルに「横浜診断テスト」というのがあったが、独特の縦一列の長ーい問題用紙で50点満点、この1点の中に「数万人がひしめき合う」と脅され、あたかも中学2年末には県立高校の志望先が決まってしまうかのような雰囲気に当事者はもちろん親達もビビッたものだ。生まれて初めて将来に影響する筆記テスト・・・あの時の緊張はまだ記憶がある。
3年生になって修学旅行を終え、部活を引退すると夏休みあたりから何やら教室の緊張感が高まっているような気がした。2学期の三者面談ではこれまでの成績や志望校などが話し合われ・・・大学入試と異なり「浪人」などはさせない雰囲気である。当時は塾や予備校よりも学校中心だったが、教師達は「安全第一」「ゼロ災で行こうヨシ!」の世界で、名前でも書き忘れない限り合格確実というランクにあわせ、「特攻野郎」みたいなのは許されなかった。(実は何人かいたのだが)

県内の公立高校には子供が多かったからか今は無き「学区制」というのがあって、隣接3市内くらいの高校が一般には進学の対象が限られていた。学区外に行く生徒はそれこそ「学校一の秀才」とか「県大会優勝」とかの肩書きを持っていた者だ。「自分の目で志望校を見て、自ら願書を提出すべし」という学校の考えは立派だったが、途中の事故や郵送等のトラブルを懸念した安全第一の教師達はあろうことか生徒達に「歩いて」願書を出しに行かせた。グランドに学年全員が集められ、志望校別にグループとなし、点呼して揃うと校門からそれぞれ歩いて出かける。我々は10人ちょっとだったろうか、たっぷり1時間はかかった。。。市内からほとんど出たことの無かった私はどこがどこやらさっぱり分からなかったが意外と近かったのね。

確か入学試験は私立が2月の下旬、公立がその1週間後くらいだったと思う。私立はいわゆる「滑り止め」というのが多かった。有名私立で勝負をかける者などは公立を「滑り止め」にするのだが1ランクも2ランクも下げたものだ。私立は「ホントに採点してんのか?」と思うほどあっと言う間に合格が発表された。私は何故か公立しか受験しなかったから、合格発表を受けて第一志望でなくても「ホッと」しているクラスメートが正直羨ましかった。。。(そんな余裕も無かったが)
そして合格発表の日、合否によって(特に不合格だった)生徒がパニックになって事件を起こしたり、落ち込んでどうにかなってしまうことを恐れた教師陣はまたしても妙なことを言い出した。「合格発表を見に行くな」と言うのである。

合格発表が張り出される時刻にはまず最初に教師達が手分けをして確認しに行き、万が一「落ちてしまった」生徒は担任を経由して電話連絡がされ、発表を見に行かずに学校に行く、という作戦だ。
合格発表の場に明暗は付き物だが、今となっては「甘いこと」をして見せたものだと苦く感じる。家で待機する時間は発表時刻から1時間、つまり気の遠くなるほど長い1時間となる。この時間帯に担任から電話が来るというのは「入試に落ちた」ということを意味する。
人生で最悪の「ドッキリ」だったが、何と30分ほどして電話が鳴り出して中学3年の私は凍りついた。。。相手はトボけたクラスメート、どうでもよいような内容の電話だった。全く人騒がせなヤツだ。ソイツも同じ待機組だったはずだが、面白半分だったら許されぬいたずらだ。
そして待機時間終了間際、そろそろいいかなー、と出かける支度を始めたときに2回目のベルが鳴って先程以上に凍りついた・・・電話はこの事情をよく知らない父親が仕事を抜け出して見に行ってしまい、確かめた結果だったのである。「腰が抜けそうになる」というのはまさしくあういう時のことを言うのだろう。結局最初の受験は自分で見に行かずに合格を知ることになるのである。

あらためて合格発表を見に行ったが、感極まって泣き出す親子やバンザイ三唱する受験生などを横目に入学手続き用封筒をもらって中学に向かった。部活をしながら前年の先輩を見ていたから知っていたが、代々の風習として職員室入り口でクラス、名前そして合格校名を大声で報告し最後に「ありがとうございましたぁ」とやる儀式がある。
私はこういうのがどうも苦手で、列の前にいた超優秀だったヤツ(ちなみに今は大学助教授)が堂々の挨拶をし職員室の割れんばかりの拍手が止まないうちに「●組の磯辺太郎はホニャララで~○□△・・」と小声で放ってそそくさと逃げ出した。。。それはもう飛び上がらんばかりにうれしかったがねー。

今でも結構見かけるが、特に小学生などが鉢巻をして志望校の正門で「えいえい、おー」とかましたり、塾で出陣式をやったり・・・入学試験の時に親がついて来るのはよしとしても、塾講師が握手で送り出したり、合格発表では胴上げ隊がいたり・・・結果オーライにばかり明け暮れた私にはどうもあういうシーンが理解しにくい。
入学することそのものよりも、入学してから何をするかの方が大事だと思うのと、すべては通過点に過ぎず「これで終わり」というのはないものだと思うからだ。この点欧米のほうが合理的だと感じる。
私は息子甘辛に「国内の学校などどこに行ってもよいから学ぶなら外国へ行け」というのはそこである。

先日、社宅時代の息子のお友達が受験し、見事合格したという。甘辛には秘密のメールを打ってきたらしいが、最後まで我々には志望校を明かさず、結果は皆の前で自分で報告すると言う。
先日、我が家で大宴会を開いたときにその話を聞いたが、内申で思うようにポイントを獲得できなかった彼は後半に驚くべき努力と集中力を発揮して入学試験に臨み、見事県内でも有数の進学校に合格したという。リスクはあったそうだが実に立派なものだ。世は中高一貫教育が進んできている。これは言い換えれば受験年齢が低くなる、という意味もある。金持セレブのKOなどは幼稚園から大学までほぼ「受験らしいイベントなし」というので有名だ。

しかし15歳と18歳、この年齢で「受験」という経験は結果的に見ると必要だと思われる。「いくさ」とは思わないが、他の年齢で目の当たりにすることがほとんどないからである。大学受験の時はクラスメートにも色んな進路があって同士意識が薄れ、自分にも選択肢がたくさんあったが人生で一番勉強した期間だったのは間違いない。。。(経験の必要性と言う面から見ると「浪人」もある意味では『アリ』なんだがちょっと微妙よねー)
生まれて初めて「勉学の試練」にさらされ、比較的長い期間努力することを覚え、友を同士として協力し合い(意外とこれが大きい)、あらゆる集中力をわずか1日、2日に集結させる。
「金八先生」とシンクロした高校受験を思い出すと何とも言えず「みずみずしい」イメージが強いのである。