超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

@ホスピタル

2011-01-06 04:48:09 | 出来事
(あんまりガシガシ書くと「病気自慢」みたいで「はしたない」からね。。。)
今を遡ること2週間余り・・・クリスマス・オペから入院治療は始まった。面会人とのサロンにはクリスマスツリーが飾られ、ナースは皆サンタのスタイルに・・・(なってるわけねえだろ)
入院患者の食事は「基本」と「セレクト」というのがあるが、クリスマス・イブだけはスペシャルイベントメニューで「秘密」となっている。
しかし私はその日がまさしく「手術」の日だったので、術後は当然絶食で点滴のみ・・・!
検温、検圧の後朝からそれは始まった。しばらくして担当の看護師が術式の説明に来る。私は朝一番の手術だったのだ。

術前の処置をいくつか行って、手術着に着替え「沙汰を待つ」間は2回目なのだが、何とも言えない気分だ。
やがてさっき担当看護師が声をかけに来る。「今日はがんばりましょうね」
「イッツ・ショータぁイム!」という雰囲気ではとてもないよな。(うーむ。生々しい・・・)
私は幾分、意識のある麻酔を使用するらしいから、とことこ歩いて手術室へ。。。
普段使わないエレベーターで2階のオペ室へ向かう。乗るときと降りる時のドアが反対側にある独特な広さのものだ。
入り口で氏名、生年月日、手術名を言うと、グアーッと自動ドアが開き何度か見たオペ室が・・・何人かのスタッフが待ち構えていた。
何故か皆の表情は妙に明るく「オペレーション・ルームへようこそ!」ってな感じだ。

この病院ではリラックスさせるため手術中に音楽をリクエストできるそうだ。自前の音楽ファイルも持ち込み可なんだって。
その話を病室で聞いたときに「じゃ、モーツァルトをお願いします。」と言いかけたのだが、いかにも「気取り屋」のような気がして止めた。
手術が始まったときにバックには「トイレの神様」がかかっていた。
「トイレにはぁ~それはぁ~それはきれいな~女神様がぁ~・・・」
紅白にも出ていたその曲は、初めて最初から後まで聞いたが、ぐっとくる名曲だった。
(手術受けながら涙する者も珍しいか。。。)
私は室内を目だけで見渡しながら、口ずさんでいた・・・
「オペ室にはぁ~それはぁ~それは恐ろしい~切裂き魔がぁ~・・・」(先生ごめん!)

その後、何曲か知らないBGMがかかり、何か聞いたことあるなーと思っていたら、「ピンク・パンサー」。。。
目の前にいた麻酔の研修医に「ねえ、この曲はないんじゃないの・・・?」と弱弱しく苦笑いした。
手術自体は問題なく完了したのだが、その後怖ろしい試練が待ち構えていた。麻酔が切れるときの「痛みとの闘い」である。
友人がメールをくれたのが大きな励ましになったが、妻が「あなたがよく言ってたように『メニー・クルシミマス』だねー」とオペが無事終わってホッとしたのか朗らかに帰って行った。(笑えねえ・・・)
その晩はそれこそ「人生最悪のクリスマス」だった。。。1時間おきにやってくる「陣痛」のような痛みに睡眠もままならず、未明に痛み止めを持ってきてくれたナースも「サンタの衣装」は着ていなかった・・・

実はその後数日間、この痛みに悩まされることになる。大した疾患じゃないはずなのに、やはり「身体にメスを入れる」のは侮れぬ。。。
頭痛、腹痛、そして患部の疼痛とさながらペイン・デパートと化し、弱り切っていた。
4日目の晩に私の手術を担当してくれた看護師の順番になり、あることを提案してそれを思い切って実行してから悲惨な戦況は劇的に好転したのである。
夜勤明け、そのまま半日勤(厳しいなー)を終えて帰りしな「どうですかねえ」と尋ねる彼女に

「いやあ、峠は越しましたぁ。●門さんの顔が『メーテル』に見えるよ」

にっこり笑ってサムズ・アップして去って行ったが、彼女の若さで「メーテル」は通じなかったか?数え切れない若者(じゃないけど・・・)と「闘病」という旅を続けてきた、という意味を込めたんだけどなー。

さて、一旦上り調子になってしまえば市民病院では(台風一禍事件で)「とかげの尻尾」と言われた私の回復力である。瞬く間にあらゆる部位が再生していくのがわかった。(笑)
いよいよ年末年始、時間は有り余っていたのでいくつか本を読んだ。
KICKPOPさんもお読みになったという宮本武蔵の「五輪書」、私の敬愛する幕末のプロデューサ勝海舟の「氷川清話」、そしてドラッカーの「マネジメント(原版)」などである。
少し元気になってから同室の人や同じ病棟の人と言葉を交わすことも多くなってきた。
ヤングな(死語?)私はどちらかと言うとこういう場では大勢を占める「お年寄り」が苦手なのだが、意外にも「話しが合う」ことに気が付いた。歴史が好きなので結構色々語れるからかもしれない。

隣の病室にいた森みつ子さん似の妙齢の女性との会話
「いい天気ですねえ。富士山がくっきり見えますよー」(私)
「うーん。『天気清朗なれども・・・』」(みつ子さん)
「『波高し』ですかー?」(私)
「いや『具合悪し』さ・・・」(みつ子さん)
(うーむ。「坂の上の雲」を読んでない人には何のことかさっぱりだろな)

お隣の老人との会話
「この病院はいいよ。ナースが親切でこっちのお願いをちゃんと聞きいれようとしてくれるもんねえ。中には無茶な要求ばかりして無理やり退院させようとするところもあったから」(老人)
「まるでハル・ノートですねえ」(私)
「そうそう!昔ワシントンハウスの情報部に出入りする知り合いがいてねえ。日本の情勢なんか下手な政治家より詳しかったんだよ」(老人)
スルーしてくれてよかったのだが、思い切り食いつかれその後戦争、教育、経済論議へ発展・・・
色々博識があって、興味深く話をさせてもらったが、老人特有の「反論を許さず、一方的に知識を披露する」スタイルに少し閉口した。

「五輪書」も「氷川清話」も奥が深く、簡単には呑み込めない。何となく閃いたのはそれぞれ「生存能力」と「時勢を掴む」というキーワードである。
これら書物の影響もあろうが2週間の入院中、色々考えさせられた。
私の執刀は院長が行ったが主治医は若き女医であった。(西川史子など比較にならないくらいうら若い)
看護師も全体的に若く、「娘」と言ってもよい人が入れ替わり世話をしてくれる。
40代も後半に差しかかり、後輩もそれなりにたくさんできる中で偉そうに訓示をたれたり、外部で講演したりしてちやほやされても、ひとたび入院すれば見も知らぬ若い女性にそれこそ「尻の穴」まで見られ、尿道に管を入れられ、点滴が終わるまでは動くこともままならぬのである。
全く他愛の無いものだが、不思議と恥ずかしい気持ちにはならない。病室では「一個の生命体」に過ぎないからである。

人間は起きて半畳、寝て一畳(まさしくベッドは一畳そのもの!)、衣服を脱げばただの動物に過ぎぬ。。。
妙なプライドで「いつく」(「五輪書」で取ってはならぬとされる姿勢。フリーズする)ことなく、しなやかに「ツモ」の流れに乗って爽やかに進むには・・・

今年のテーマは無邪気であることとするに至ったのである。

    

滅多に見られない「正月の病院食」だ。
退院前日のディナーのメニューは鯛のお頭付きに赤飯だい。いやあ目出度いぜ。