息子甘辛の学校プログラムに「平和学習」というのがある。授業の一環として計4回ほど実施され、ビデオを見たり経験談を聴講したりしたそうだ。
一通り終わると原稿3枚程度の「意見文」を書き、クラス全員が発表した。
クラスで2名だったそうだが、珍しく(と言うか、そんな話は初めて!)甘辛は代表として「発表会」で披露することになったのだ。
昔で言う「青年の主張」みたいなものか・・・?!サッカーしかやってないかと思ってたら、結構本を読み、インターネットに連載小説を投稿したりしているようだが、意外と文才あったのかな。
何にしろ何百人も前にして、檀上で発表するなど最初で最後かもしれず、学校から保護者へ案内もあったのでスケジュール調整して妻と見に行った。
家族の見学も可ということだったが、さすがに発表者以外の父母はおらず、体育館には一列しか保護者用の席は用意されていなかった。
トップバッターの女子から発表が始まった。原稿を読みながらの発表だが、立派なことを言っているなあ。
同一年代で同様の教材(インプット)があるから、皆似たような意見・表現になりがちだが、少しずつ違う視点があって頼もしかった。
・原爆投下が手段はともかく戦争終結の決め手になったと思っていたが考えが変わった。
・スポーツで一番になると褒められるし、皆応援するのに、戦争はそうではない。
・日本は今、「平和」だが「小さな戦争」がたくさんあると思う。
・戦争を始める人は弱い人、立ち直れる人は強いひと
甘辛は最後から3番目だ。(ジャンプ競技の2本目だったら後ろの方が真打なんだけどちゃんとしたこと話せるのか?)
一人の発表が終わると1分間ほど「感想」を書く時間がある。発表者は全員300名弱?の感想を集約してもらえるそうだ。
途中、正直言って退屈してきたので私は色々と思いを巡らしていた。こんな機会でもないとなかなか「平和」「戦争」「核兵器」についてなんて考えないものなー。
しかし実に情けないことに、会場の体育館がいかに想像以上に寒かったとはいえ、自分の思考能力の貧弱さを思い知ることになった。
「戦争」についてあったとされる「事実」はたぶん人より詳しく知っている。「核兵器」なんぞ原理も知っている。
しかし、何かを「語る」ことが不思議とできないのである。
戦争って「当事者」以外が何か語れるものなのか?深まれば深まるほど意味不明のワールドに入って行く。。。
「どちらが正しくてどちらが誤っている?」「正義はどちらにある?」「起きてしまった背景は?」「人種、歴史、宗教、その他・・・?!
どう考えても「戦争するヤツなんてあまり程度高くないよね・・・」くらいしか言えないのである。
核兵器?・・・・「沖縄基地にはあると思うよ。だから米軍は移設について。。。」(やばい発言かなー)
「平和」について考えてみた。
真っ先に思いついたのは「『平和(へいわ)』とは『平和(ピンフ)』のようなものだ。」ということだ。
麻雀でいう平和(ピンフ)という手はその中に野心や刺(とげ)がない。。。とんがった部分を「符」と言い、正しくは「符のないあがり」ということができる。
麻雀のすべての役の基本である。しかし4人で卓を囲み、常に4人とも「平和(ピンフ)」で上がろうと思考することはまずない。
面子の中のどこかに「野望」「刺」があるのが普通なのである。
「誰もが『基本』と知っていながら、全員が(気が付かないところで)志向することはあまりない。。。」まさしく平和(へいわ)ってそういうものなのかもしれないな・・・(自分の思考能力の少なさに少し悲しくなったが)
前半が終わり休憩時間となって、その辺でフラフラしていた(全然緊張感なし)甘辛に、「マイクの正面で話さないとここまで聞こえねえぞ。あと余裕があったら何かやらかしてくれ・・・」
いよいよ甘辛の番がやってきた。(さすがに少し緊張してるようだなー)
タイトルは「僕達の使命」・・・
なかなか「よいこと」を語っていたぞ。私に似たとは思えぬが、どうも「理系調」なところがあったがな。
タイトルからして何となく「彼ら」の香りがしたのはオレだけか・・・?!
何せウォークマンに「家へ帰ったらテレビをつけるんだ。そこにはきっとウルトラマンが映っている」という「ウルトラの奇跡」という不滅の動画がいきなり入ってるのだ。
隣で妻はVTRを抱え、私は超兵器203号を構えていた。
正直言ってそれほど印象的なものはなかったのだが(似たようなものなんだよ)、ひとつだけ誰も言わなかった一節があった!
「この星に生まれ、この時代に生き・・・」
うーむ。。。私は思わず膝を打った。そうだ!でかした!「せいじん魂」だ!
人間を宇宙人(地球星人)と捉えるのって大事だと思うんだよなー。
後から甘辛に聞いたらしっかり「意識」していたらしい。市内にそれを「想う者」が親である私以外に誰が気付くか・・・少ないかもしれんがな。
彼の愛用する妻が仕事でGETしたウォークマンには「ウルトラの歴史」をあらわす動画も入っている。その昔、宇宙警備隊長ゾフィーが侵略に晒される太陽系の冥王星付近まで地球人が到達したのを見たときに、言った言葉・・・
「人間よ、遂に自力で此処まで来たな。やがて君たちも、我々と肩をならべ星々の間を駆け抜ける時が来るだろう。それまでは我々が君たちの世界の盾になろう。つぎに会うときが楽しみだ」
息子甘辛たちが目にした戦争のドキュメント、逸話は私でも心を抉られるほど強烈なものだ。それらはずーっと語り(論じ)継がれていくべきものだろう。
しかし事実としてホントに戦争を体験した方はいずれ・・・
同じことを繰り返さぬために、「せいじん」志向は大事だと思うぞ。
一通り終わると原稿3枚程度の「意見文」を書き、クラス全員が発表した。
クラスで2名だったそうだが、珍しく(と言うか、そんな話は初めて!)甘辛は代表として「発表会」で披露することになったのだ。
昔で言う「青年の主張」みたいなものか・・・?!サッカーしかやってないかと思ってたら、結構本を読み、インターネットに連載小説を投稿したりしているようだが、意外と文才あったのかな。
何にしろ何百人も前にして、檀上で発表するなど最初で最後かもしれず、学校から保護者へ案内もあったのでスケジュール調整して妻と見に行った。
家族の見学も可ということだったが、さすがに発表者以外の父母はおらず、体育館には一列しか保護者用の席は用意されていなかった。
トップバッターの女子から発表が始まった。原稿を読みながらの発表だが、立派なことを言っているなあ。
同一年代で同様の教材(インプット)があるから、皆似たような意見・表現になりがちだが、少しずつ違う視点があって頼もしかった。
・原爆投下が手段はともかく戦争終結の決め手になったと思っていたが考えが変わった。
・スポーツで一番になると褒められるし、皆応援するのに、戦争はそうではない。
・日本は今、「平和」だが「小さな戦争」がたくさんあると思う。
・戦争を始める人は弱い人、立ち直れる人は強いひと
甘辛は最後から3番目だ。(ジャンプ競技の2本目だったら後ろの方が真打なんだけどちゃんとしたこと話せるのか?)
一人の発表が終わると1分間ほど「感想」を書く時間がある。発表者は全員300名弱?の感想を集約してもらえるそうだ。
途中、正直言って退屈してきたので私は色々と思いを巡らしていた。こんな機会でもないとなかなか「平和」「戦争」「核兵器」についてなんて考えないものなー。
しかし実に情けないことに、会場の体育館がいかに想像以上に寒かったとはいえ、自分の思考能力の貧弱さを思い知ることになった。
「戦争」についてあったとされる「事実」はたぶん人より詳しく知っている。「核兵器」なんぞ原理も知っている。
しかし、何かを「語る」ことが不思議とできないのである。
戦争って「当事者」以外が何か語れるものなのか?深まれば深まるほど意味不明のワールドに入って行く。。。
「どちらが正しくてどちらが誤っている?」「正義はどちらにある?」「起きてしまった背景は?」「人種、歴史、宗教、その他・・・?!
どう考えても「戦争するヤツなんてあまり程度高くないよね・・・」くらいしか言えないのである。
核兵器?・・・・「沖縄基地にはあると思うよ。だから米軍は移設について。。。」(やばい発言かなー)
「平和」について考えてみた。
真っ先に思いついたのは「『平和(へいわ)』とは『平和(ピンフ)』のようなものだ。」ということだ。
麻雀でいう平和(ピンフ)という手はその中に野心や刺(とげ)がない。。。とんがった部分を「符」と言い、正しくは「符のないあがり」ということができる。
麻雀のすべての役の基本である。しかし4人で卓を囲み、常に4人とも「平和(ピンフ)」で上がろうと思考することはまずない。
面子の中のどこかに「野望」「刺」があるのが普通なのである。
「誰もが『基本』と知っていながら、全員が(気が付かないところで)志向することはあまりない。。。」まさしく平和(へいわ)ってそういうものなのかもしれないな・・・(自分の思考能力の少なさに少し悲しくなったが)
前半が終わり休憩時間となって、その辺でフラフラしていた(全然緊張感なし)甘辛に、「マイクの正面で話さないとここまで聞こえねえぞ。あと余裕があったら何かやらかしてくれ・・・」
いよいよ甘辛の番がやってきた。(さすがに少し緊張してるようだなー)
タイトルは「僕達の使命」・・・
なかなか「よいこと」を語っていたぞ。私に似たとは思えぬが、どうも「理系調」なところがあったがな。
タイトルからして何となく「彼ら」の香りがしたのはオレだけか・・・?!
何せウォークマンに「家へ帰ったらテレビをつけるんだ。そこにはきっとウルトラマンが映っている」という「ウルトラの奇跡」という不滅の動画がいきなり入ってるのだ。
隣で妻はVTRを抱え、私は超兵器203号を構えていた。
正直言ってそれほど印象的なものはなかったのだが(似たようなものなんだよ)、ひとつだけ誰も言わなかった一節があった!
「この星に生まれ、この時代に生き・・・」
うーむ。。。私は思わず膝を打った。そうだ!でかした!「せいじん魂」だ!
人間を宇宙人(地球星人)と捉えるのって大事だと思うんだよなー。
後から甘辛に聞いたらしっかり「意識」していたらしい。市内にそれを「想う者」が親である私以外に誰が気付くか・・・少ないかもしれんがな。
彼の愛用する妻が仕事でGETしたウォークマンには「ウルトラの歴史」をあらわす動画も入っている。その昔、宇宙警備隊長ゾフィーが侵略に晒される太陽系の冥王星付近まで地球人が到達したのを見たときに、言った言葉・・・
「人間よ、遂に自力で此処まで来たな。やがて君たちも、我々と肩をならべ星々の間を駆け抜ける時が来るだろう。それまでは我々が君たちの世界の盾になろう。つぎに会うときが楽しみだ」
息子甘辛たちが目にした戦争のドキュメント、逸話は私でも心を抉られるほど強烈なものだ。それらはずーっと語り(論じ)継がれていくべきものだろう。
しかし事実としてホントに戦争を体験した方はいずれ・・・
同じことを繰り返さぬために、「せいじん」志向は大事だと思うぞ。