ニュースでも色々なところの催しが報じられていたが、女性の振袖スタイルは昔と変わっておらず、艶やかなものだ。そう何度も着られる機会はないと聞くが、娘や親類に少し姿を変えて着せられるというのも、着物ならではの素晴らしい文化だ。
今回は年末に入院劇があったものの、幸いこの日は家で迎えることができた。(と言っても我が家は当分関係ないがだが、・・・)
しかし毎年不思議に思うのが、「マスメディアの報道対象とする新成人」である。
女性のメイクはほとんど「妖●人間ベラ」だし、男子の紋に付袴姿にいたっては、正月の爆笑ヒットパレードの芸人よりも低レベルだ・・・
街中であんなバカっぽい新成人はまず見られない。なぜ「あんなはしたないヤツ」ばかり放映するのだろうか?
外国人に見られたら恥ずかしいとは思わぬのか・・・?!
約四半世紀前に私も茅ヶ崎市役所で成人の式典に出席した。大学生だったからあまりジャケット姿も板に付かず、振袖姿の同級生女子を見ても何となく気恥かしいだけで、その後何をするわけでもなかった。
当時から「お酒は二十歳から」何て言う若者がいるわけもなかったが、同級生で合コンというほどフランクでもなく、夕方の飲み会はむさい野郎ばかりだった。
ただ駅前大踏切の近くの「つぼ八」だったが、悪友が「本日、成人の仲間入りをいたしましたあ!」と杯を上げて叫ぶと店中のお客さんが一斉に立ち上がって「おめでとう!」と乾杯でいてくれたのを覚えている。
実は今日は朝6時に練習試合の甘辛を駅まで送った後そのまま南熱海へ「初釣り」へ向かったのである。(今年一番の冷え込みというのにちょっと無謀だった・・・)
極寒用の装備をして寒グレ釣りに挑もうとしたのだが、途中聞いていたFM横浜で「湯河原は一面の雪・・・」というメールが取り上げられ、雪用の装備を持っていなかった私は「行けねえじゃんか。。。」と西湘バイパスを引き返してきたのである。
ラジオで県内の成人式の予定を色々取り上げていたぞ。。。
我が街の成人式は何と、「水族館」で行われたという。特別イルカショーというのがあったそうだ。
風が強くて身を切るように寒かったが、平塚市は「ギネスに挑戦」というイベントがあったらしいし、新横浜プリンスでは大きなイベントがあったらしい。
また面白いのは海老名市で昨年好評で続けたという、「還暦式」との並行開催。。。。
新成人は「初めての還暦」を迎えた人に手作りの赤いチャンチャンコをプレゼントし、還暦を迎えた人は新成人に秘密のプレゼントをあげるんだって。
粋なことをするものだ。人生の大先輩を前にしてアホなことはしないだろうからな・・・
成人の日を迎えて数年経ち、社会人となって10年くらいのときか・・・「何をもって成人とするか?」について議論に盛り上がった記憶絵がある。
色々意見が出たのが大学入学が普通は18歳、「18禁」とか風俗上はあるのに、選挙権、アルコール摂取などが20歳から、という妙なズレである。
世界的には18歳をもって成人=選挙権という国も多かったはずだ。
その昔、封建時代(侍の時代?)は元服と言えば大人の仲間入りで15歳くらい・・・
生物学的に見ると「生殖能力」もそんなあたりだろう。(たしか女性は16歳から結婚できたはずだし・・・)
「生計をたてられる」というのも成人の条件として根強い主張があった。
「自分の力で食べていける」というのが成人と言うのは古来から「ある」と思う。さらに「家族を養っていける」というのも男性的には応用編としてあったようだ。
ビジネススクールで俄か企業家という気分になった経験も影響しているが、「日本の会社」というのは大小関わらず「同じの軒先」という家族意識が強く、学生という身分と会社員という身分はあまり変わらないように思える。
「自分で起業して『看板』の恩恵を受けられなくなって、「初めて一人前の社会人」みたいば厳しい見方もできるのだ。
「成人自己申告制度」を提唱する先輩もいた。「結婚する」「社会人になる」「子供を持つ」「資格を得る」人それぞれ「これを持って私は『成人』という区切りを自己申告させろ、と言うのである」
なかなか面白い発想だと思うが社会制度としては運用できないだろなー。成人、非成人の区別に公平感を持たせるのが絶望的に難しい・・・?
私は成人式を迎えても数年間、生計をたてない「学生」の身分にいたから何とも難しい。
息子甘辛が生まれてから数年間、「成人の日」は九州荒尾市の「ウルトラマン・ランド」に足を運ぶことがあった。
当時「成人の日」は1月15日であり、その日だけ「星人の日」として特別イベントがあり、普段は決してショーなどには出てこない、マニア好みの「星人」が登場するのである。
「ガッツ星人」「ヒッポリト星人」「ナックル星人」・・・他、知らない人には何のことかさっぱり分からぬであろう。
いやあ、九州旅行は楽しかった。(熊本大好き)
何をもって「成人」とするか・・・私のアイディアは「星人の日」としてしまうことである。
我々はこの星に住む「地球星人」である。メン・イン・ブラックの俳優が出るCM「この星の住人は・・・」ではないが、「地球に住む一人の星人として、そんなスケールで物事を考えられる者を『成人』という。。。
エンリコ・フェルミという物理学者の推定では宇宙の構造、地球の年齢、知的生物の条件、
それが光速を超えて移動できる手段、他考えうる可能性を確率的に評価すると、地球に地球外生命体がいるのは「当たり前」に普通らしい。
「みんな、どこにいるんだろうね」というフレーズが「フェルミ推定」の象徴である。
「星人の日」も結構「あり」だと思うんだがなー。。。
今回は年末に入院劇があったものの、幸いこの日は家で迎えることができた。(と言っても我が家は当分関係ないがだが、・・・)
しかし毎年不思議に思うのが、「マスメディアの報道対象とする新成人」である。
女性のメイクはほとんど「妖●人間ベラ」だし、男子の紋に付袴姿にいたっては、正月の爆笑ヒットパレードの芸人よりも低レベルだ・・・
街中であんなバカっぽい新成人はまず見られない。なぜ「あんなはしたないヤツ」ばかり放映するのだろうか?
外国人に見られたら恥ずかしいとは思わぬのか・・・?!
約四半世紀前に私も茅ヶ崎市役所で成人の式典に出席した。大学生だったからあまりジャケット姿も板に付かず、振袖姿の同級生女子を見ても何となく気恥かしいだけで、その後何をするわけでもなかった。
当時から「お酒は二十歳から」何て言う若者がいるわけもなかったが、同級生で合コンというほどフランクでもなく、夕方の飲み会はむさい野郎ばかりだった。
ただ駅前大踏切の近くの「つぼ八」だったが、悪友が「本日、成人の仲間入りをいたしましたあ!」と杯を上げて叫ぶと店中のお客さんが一斉に立ち上がって「おめでとう!」と乾杯でいてくれたのを覚えている。
実は今日は朝6時に練習試合の甘辛を駅まで送った後そのまま南熱海へ「初釣り」へ向かったのである。(今年一番の冷え込みというのにちょっと無謀だった・・・)
極寒用の装備をして寒グレ釣りに挑もうとしたのだが、途中聞いていたFM横浜で「湯河原は一面の雪・・・」というメールが取り上げられ、雪用の装備を持っていなかった私は「行けねえじゃんか。。。」と西湘バイパスを引き返してきたのである。
ラジオで県内の成人式の予定を色々取り上げていたぞ。。。
我が街の成人式は何と、「水族館」で行われたという。特別イルカショーというのがあったそうだ。
風が強くて身を切るように寒かったが、平塚市は「ギネスに挑戦」というイベントがあったらしいし、新横浜プリンスでは大きなイベントがあったらしい。
また面白いのは海老名市で昨年好評で続けたという、「還暦式」との並行開催。。。。
新成人は「初めての還暦」を迎えた人に手作りの赤いチャンチャンコをプレゼントし、還暦を迎えた人は新成人に秘密のプレゼントをあげるんだって。
粋なことをするものだ。人生の大先輩を前にしてアホなことはしないだろうからな・・・
成人の日を迎えて数年経ち、社会人となって10年くらいのときか・・・「何をもって成人とするか?」について議論に盛り上がった記憶絵がある。
色々意見が出たのが大学入学が普通は18歳、「18禁」とか風俗上はあるのに、選挙権、アルコール摂取などが20歳から、という妙なズレである。
世界的には18歳をもって成人=選挙権という国も多かったはずだ。
その昔、封建時代(侍の時代?)は元服と言えば大人の仲間入りで15歳くらい・・・
生物学的に見ると「生殖能力」もそんなあたりだろう。(たしか女性は16歳から結婚できたはずだし・・・)
「生計をたてられる」というのも成人の条件として根強い主張があった。
「自分の力で食べていける」というのが成人と言うのは古来から「ある」と思う。さらに「家族を養っていける」というのも男性的には応用編としてあったようだ。
ビジネススクールで俄か企業家という気分になった経験も影響しているが、「日本の会社」というのは大小関わらず「同じの軒先」という家族意識が強く、学生という身分と会社員という身分はあまり変わらないように思える。
「自分で起業して『看板』の恩恵を受けられなくなって、「初めて一人前の社会人」みたいば厳しい見方もできるのだ。
「成人自己申告制度」を提唱する先輩もいた。「結婚する」「社会人になる」「子供を持つ」「資格を得る」人それぞれ「これを持って私は『成人』という区切りを自己申告させろ、と言うのである」
なかなか面白い発想だと思うが社会制度としては運用できないだろなー。成人、非成人の区別に公平感を持たせるのが絶望的に難しい・・・?
私は成人式を迎えても数年間、生計をたてない「学生」の身分にいたから何とも難しい。
息子甘辛が生まれてから数年間、「成人の日」は九州荒尾市の「ウルトラマン・ランド」に足を運ぶことがあった。
当時「成人の日」は1月15日であり、その日だけ「星人の日」として特別イベントがあり、普段は決してショーなどには出てこない、マニア好みの「星人」が登場するのである。
「ガッツ星人」「ヒッポリト星人」「ナックル星人」・・・他、知らない人には何のことかさっぱり分からぬであろう。
いやあ、九州旅行は楽しかった。(熊本大好き)
何をもって「成人」とするか・・・私のアイディアは「星人の日」としてしまうことである。
我々はこの星に住む「地球星人」である。メン・イン・ブラックの俳優が出るCM「この星の住人は・・・」ではないが、「地球に住む一人の星人として、そんなスケールで物事を考えられる者を『成人』という。。。
エンリコ・フェルミという物理学者の推定では宇宙の構造、地球の年齢、知的生物の条件、
それが光速を超えて移動できる手段、他考えうる可能性を確率的に評価すると、地球に地球外生命体がいるのは「当たり前」に普通らしい。
「みんな、どこにいるんだろうね」というフレーズが「フェルミ推定」の象徴である。
「星人の日」も結構「あり」だと思うんだがなー。。。