久々に渡航した大きな島国は人口約2億4千万人、中国、インド、米国に続く第4位の国とはあまり知られていないようだ。平均年齢は29歳、日本の45歳に比べて随分若く、高い経済成長を続けている。スマトラ、ジャワ、カリマンタン(ボルネオ)、バリ島などが有名だ。恥ずかしながらかの国の歴史的なことはほとんど知識(興味)がなく、世界史で習ったオランダ領東インドと言われる植民地で、地下資源な豊富なスマトラ島などを得るため太平洋戦争時には日本軍が侵攻したこと、テレビ番組でちょっと高ビーな発言の多い女性タレントが大統領の第3夫人だったこと、スマトラ島で東日本大震災よりも大きい地震が発生したこと、くらいしか頭になかった。
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現地の日本法人のCEOと会合した後、雑談でこの国の色々なことを教えてもらった(実はこの辺の話が一番面白い)が、彼に言わせるとこの国は比較的日本人に好感を持っており、テクノロジーや文化などではある意味「憧れ」を持つところもあるそうだ。よい歴史ではないが、日本軍占領時には比較的穏健な政策をとっていたために「オランダからの解放」のようなイメージを持たれたという。確かに現地の人は人懐っこく日本人にも親切にしてくれるように見えた。「親日的」と言うのはあまりいい言葉と思わないが、台湾を訪れた時のような感じがした。ただ大きく文化が異なるのは、国民の80%がイスラム教徒で日に5回、礼拝のために市内には何やら「ほんにゃららぁー」みたいな声がスピーカーで鳴り響く。これは「お祈りを始めなさい」という合図らしい。
気温30℃以上の高温湿潤の熱帯地方だが女性は肌を隠し、酒は飲まないし豚肉は食べない。1日に5回お祈りの時間になると会議中だろうが何だろうが「ちょっと悪ぃっ」という感じで礼拝所まで行ってしまう。うまくしたもので、大体その時間になると「じゃ、ちょっとブレイクしますか」ということになるらしい。サーバールームやワーステのあるオペレーションルームでは皆、裸足で歩き回っている。オフィスには大抵礼拝する場所は設けられていて、お祈りする時は足を洗って裸足で入らなければならない。「ラマダン」という1ヶ月続く断食期間があり、日の出から日没までは水さえ口にしてはいけないという。今年は7月下旬に終了したが、この期間はバスやタクシーの運ちゃんもイライラして運転が荒くなり、工事作業などの生産性も著しく落ちるのだそうだ。
我々から見て不思議な面の多いイスラム教の戒律は、きちんと守られているが思っていたより比較的寛容のようだった。「女性とは握手してはいけない。合掌すること。左手でモノを渡すと撃ち殺される」昔、聞いていたので注意していたが、社長秘書も笑って手を差し出してきた。全員、スカーフみたいなものをまとっているが。「酒を飲んではいけない」宗教なので、会食や懇親会などはあまり設けないらしい。昔の口の悪い幹部などは「酒飲まない人達と宴会したって楽しくねえ」(ま、日本人の感覚で言っちゃーいけないよな)
外国人向けか、酒は高くとも市街のスーパーで売っているが豚肉は食べないのでどこでも手に入らない。その代わり鶏肉料理が発達していて「サテー」という焼鳥は有名だ。ブレイクタイムにはラマダン中に夜飲むという甘い抹茶ジュースのようなものを出された。胃にやさしく栄養価が高いという。タピオカミルクティーというところだが、色が色なのでどうみても校庭の隅にある生物飼育用プールに生みつけられたカエルの卵・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/ea/18ab75f52a635f434c575a1a78cb4826_s.jpg)
戦後、日本は焼け野原の更地から脅威の復興を果たしたが、かの国は植民地支配から独立して急速に経済成長しているから、独特の歪があるように見える。道路、鉄道、水路など社会インフラがきちんと整備されないうちに車ばかりやたらに増え日本のように首都に人口が集中した結果、夏場のR134のような絶望的な渋滞が慢性的に起こっている。空港から「何時に着くか読めない」と言われたのはそのためである。自動車がこの調子だから、他のマレーシアなど東南アジアで見られるのと同様にやたら原付バイクが多く、さながら戦国武将の「魚鱗の陣」のようである。バスしか走ってはいけないレーンが設けられていたり、小さな原付バイクに大きな大人が3人くらい乗っていたり・・・
都心部は建設ラッシュで構想ビルが乱立しているが、古くからある日本家屋のような建物が下町よろしくひしめいており、一昔の「地上げ」を思わせるような風景が思い浮かべられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/10/73/20e7cec9fbd783fd9e27726016b8eccd_s.jpg)
料理で有名なのは「ナシゴレン」「ミーゴレン」「サテー」などだろう。「ナシ」は米、「ミー」は麺、「ゴレン」は炒めるという意味らしい。ホテルの朝食はその地域でも有名な「豪華絢爛世界の朝食」らしく、本国、欧米スタイルはもちろん、インド、ブラジル、韓国、日本など各国料理が(もどきっぽいが)揃っている。麺だけでもフォー、中華、ビーフンに数々の具をチョイスでき全種類食べるだけでお腹いっぱいになる。漢方ジュースまでバラエティがあり、2回の朝食でとても全部制覇できなかった・・・
典型的なこの国の料理は全部朝食で飽きるほど食べたから唯一のディナーはさらに高級料理を、と現地駐在の方が「宮廷料理」の店を手配してくれた。首脳会議などの時に日本の首相や各国の要人が訪れるという。
入店すると「ぐわーぁぁーん」と昔日テレでやっていた「ごちそうさま」のオープニングのように銅鑼が叩かれ、緑色の衣装を着た女性10名ほどがにこやかにテーブル席を案内してくれた。宮廷の給仕女をイメージしているのか?ココナッツミルクとグレープフルーツの効いた「南国野菜と生野菜の楽園風サラダ」から始まって「クドゥス風チキンスープもやし入り」胃に優しそうなはあっさり風味のあるメニューが続いた。隣の女性が「日本語のお品書きですね」と囁くので手にとって見ると「古代米の赤いご飯」「木の実の黒いご飯」「豆腐のフリッタースパイシー甘醤油」・・・・・「ね、ねえ、『手作り唐辛子ソース各種』ってヤツを除いても16種類あるよ。これ全部これから出てくるのか・・・宮廷料理って何時間もかけるのかな」「さあ。。。少しずつならイケそうですが、すごい皿が出てきましたねえ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/93/a8752bbeaf1cab651646804e039ac2c7_s.jpg)
我々の疑問はすぐに取り払われることになる。さっきの10名の女性が大皿に全部の料理を抱えて一人一人に一気に全料理サーブしてしまうのである。目の前の大きな皿はあっという間に10数種類の品で一杯になった。緑色の衣装の宮廷女人群はテーブルをぐるりと取り囲んで順番にスライドしながら全員の大皿に料理を配り終えると、「サゥアー、オゥターベイ、ヌァサーイネェェェェ」(さあ、お食べなさいね)みたいな歌を合唱して厨房に帰ってしまった。あまりにもあっけないコースである。「こりゃ、逆バイキングってやつかな。でも、お代わりはできそうもないな」ビンタンビールに白ワインをガブガブ飲みながら我々は上機嫌になっていった。
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隣に座っていたのはずーっと前から知っている上司のそのまた上司にあたる人で、いつの間にかVIPになっていた。言葉少なくまた言うことは辛口だが、基本的には優しく社員みんなからは慕われている。これまで何年か周期?で職場を共にし常に彼はその職場の最高責任者だった。
「磯辺よ、お前とは4回目か。どういうわけなんだか、呼びもしないのによく来るな。」「そりゃー、必要だからでしょう。何ができるわけでもないけど。」「馬鹿だなお前。昔から『嫌いなヤツは近くに、気に入ったヤツは遠くに置く。』ってぇのが人事の極意なんだぞ」「純朴なボクでも真に受けない程度に歳は取りましたぜ」「お前なー、『純朴』って言葉の用法、明らかに間違ってるぞ・・・」
いい気になって飲んでいると、ピアノとサックスの生演奏が始まった。ゆっくりした曲だったが、よくよく聴いているとなんとサザンオールスターズ!次にボーカルに「木の実ナナ」みたいな女性が出てきて、「上を向いて歩こう」を歌い出した。日本人と言えば「スキヤキ」か?何と木の実ナナ似はテーブルに近寄ってきて端っこの人にマイクを差し出した。「ひとーぅり、ぼぉーっちのよーるー」(何か安っぽいディナーショーのようだ。各国首脳もこんなことやったんだろか)「リクエストしたらカラオケできるかもしれねえぞ。何歌う?」私はすかさず「大都会」と答えた。(声でないけど)
最終日は午前中、みっちりミーティングし施設見学させてもらった。昼食は初日のディナーでキャンセルしてしまった「パンチが効いておいしい」と聞くマレーシア料理の店だ。クレープをカリカリに揚げたようなお菓子と、ナンでもないパンケーキのような生地でまろやかなカレーを食べ、ちょっと甘酸っぱい味付けのカニ料理、鳥の唐揚げなど食事を皆で楽しんだ。仕事としては終了しているから、フライトの時間までちょっとした観光とショッピングに行くことになった。
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渋滞の影響で1か所しか立ち寄れないのを知った我々はイスティクラル・モスクという世界で3番目に大きいというイスラム寺院を訪れることにした。この国は世界最大のイスラム国だが、最大のモスクはやはりメッカにあるそうだ。靴を脱いで寺院に入れてもらうとちゃんと英語の案内係がついてきてくれる。
意外にあけっぴろげで、大きな音を立てなければ撮影もフリー、ガイドは事細かくこの大きなモスクのことを説明してくれた。エントランスには大きな液晶モニターがあり、ものすごい人だかりが中心の柱のようなものを歩いて回っている。ご存知宗教首都「メッカ」の現在時刻のリアル映像だそうだ。イスラム教徒は一生に一度はメッカを巡礼せねばならぬと聞く。いつもあのようにごった返しているようだが、いかにもITらしくて現代風だ。キリスト教や仏教ではこういうシーンはないだろな。このモスクは建物内で数万人、外の広場も入れると20万人もの教徒を収容できるという。その日はわずかの信徒しかいなかったが女性信徒が一列に並びひざまずく姿は荘厳そのものだった。
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礼拝堂の右側の文様はイスラムの唯一神「アッラー」を表し、左側はその伝道師「マホメット」を表すという。拝礼広場は一つのマスが一人分の長方形ですべて聖地メッカの方角を向いているという。大きな太鼓はラマダンの終わりを告げるモノで、これが鳴るとしばらく家族ぐるみで断食明けのどんちゃん騒ぎで盛り上がるという。モスク内の至るところに「メッカはこっちよ」という矢印が設けられている。巨大なモスク内でトイレに行きたくなり、しばらく彷徨って汗びっしょりになった末、ようやく皆と合流できてバスはショッピングモールに向かった。途中見えたのは独立記念塔「モナス」である。独立宣言がなされのが1945年8月17日、その2日前に日本がオランダを含む連合国軍に降伏し、念願の独立が反故になることを恐れたスカルノら民族主義者がジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で独立を宣言したそうだ。これは中々にずんと響く歴史的リンケージだと思う。
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わずか4日間の強行日程だったが色々な意味で実に実りある行程だった。技術提携を進めているかの国の我が社にあたる企業のプレゼンに、太平洋・インド洋を中心とした大きな地図があり、「その勢力を拡大していくぜぃ」というような意味なのか中国大陸からは東へ、インドからは西へ、そしてかの国からは東へ、大きな矢印が描かれていた。人口で言えば世界第1位、2位、4位がアジアにいて、高度成長途上なのだから元気なわけだ。色んな勉強ができたし、社宅のお友達は3年間、よい国で経験をしたものだと思う。お土産やではこの国での名産というコーヒー4種類(トラジャ、マンデリン、ジャバ、バリ・キンタマンーニ)を購入し、いつもの通り息子へはナショナルチームのユニフォームをGETして帰国の途のついたのである。
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現地の日本法人のCEOと会合した後、雑談でこの国の色々なことを教えてもらった(実はこの辺の話が一番面白い)が、彼に言わせるとこの国は比較的日本人に好感を持っており、テクノロジーや文化などではある意味「憧れ」を持つところもあるそうだ。よい歴史ではないが、日本軍占領時には比較的穏健な政策をとっていたために「オランダからの解放」のようなイメージを持たれたという。確かに現地の人は人懐っこく日本人にも親切にしてくれるように見えた。「親日的」と言うのはあまりいい言葉と思わないが、台湾を訪れた時のような感じがした。ただ大きく文化が異なるのは、国民の80%がイスラム教徒で日に5回、礼拝のために市内には何やら「ほんにゃららぁー」みたいな声がスピーカーで鳴り響く。これは「お祈りを始めなさい」という合図らしい。
気温30℃以上の高温湿潤の熱帯地方だが女性は肌を隠し、酒は飲まないし豚肉は食べない。1日に5回お祈りの時間になると会議中だろうが何だろうが「ちょっと悪ぃっ」という感じで礼拝所まで行ってしまう。うまくしたもので、大体その時間になると「じゃ、ちょっとブレイクしますか」ということになるらしい。サーバールームやワーステのあるオペレーションルームでは皆、裸足で歩き回っている。オフィスには大抵礼拝する場所は設けられていて、お祈りする時は足を洗って裸足で入らなければならない。「ラマダン」という1ヶ月続く断食期間があり、日の出から日没までは水さえ口にしてはいけないという。今年は7月下旬に終了したが、この期間はバスやタクシーの運ちゃんもイライラして運転が荒くなり、工事作業などの生産性も著しく落ちるのだそうだ。
我々から見て不思議な面の多いイスラム教の戒律は、きちんと守られているが思っていたより比較的寛容のようだった。「女性とは握手してはいけない。合掌すること。左手でモノを渡すと撃ち殺される」昔、聞いていたので注意していたが、社長秘書も笑って手を差し出してきた。全員、スカーフみたいなものをまとっているが。「酒を飲んではいけない」宗教なので、会食や懇親会などはあまり設けないらしい。昔の口の悪い幹部などは「酒飲まない人達と宴会したって楽しくねえ」(ま、日本人の感覚で言っちゃーいけないよな)
外国人向けか、酒は高くとも市街のスーパーで売っているが豚肉は食べないのでどこでも手に入らない。その代わり鶏肉料理が発達していて「サテー」という焼鳥は有名だ。ブレイクタイムにはラマダン中に夜飲むという甘い抹茶ジュースのようなものを出された。胃にやさしく栄養価が高いという。タピオカミルクティーというところだが、色が色なのでどうみても校庭の隅にある生物飼育用プールに生みつけられたカエルの卵・・・
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戦後、日本は焼け野原の更地から脅威の復興を果たしたが、かの国は植民地支配から独立して急速に経済成長しているから、独特の歪があるように見える。道路、鉄道、水路など社会インフラがきちんと整備されないうちに車ばかりやたらに増え日本のように首都に人口が集中した結果、夏場のR134のような絶望的な渋滞が慢性的に起こっている。空港から「何時に着くか読めない」と言われたのはそのためである。自動車がこの調子だから、他のマレーシアなど東南アジアで見られるのと同様にやたら原付バイクが多く、さながら戦国武将の「魚鱗の陣」のようである。バスしか走ってはいけないレーンが設けられていたり、小さな原付バイクに大きな大人が3人くらい乗っていたり・・・
都心部は建設ラッシュで構想ビルが乱立しているが、古くからある日本家屋のような建物が下町よろしくひしめいており、一昔の「地上げ」を思わせるような風景が思い浮かべられる。
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料理で有名なのは「ナシゴレン」「ミーゴレン」「サテー」などだろう。「ナシ」は米、「ミー」は麺、「ゴレン」は炒めるという意味らしい。ホテルの朝食はその地域でも有名な「豪華絢爛世界の朝食」らしく、本国、欧米スタイルはもちろん、インド、ブラジル、韓国、日本など各国料理が(もどきっぽいが)揃っている。麺だけでもフォー、中華、ビーフンに数々の具をチョイスでき全種類食べるだけでお腹いっぱいになる。漢方ジュースまでバラエティがあり、2回の朝食でとても全部制覇できなかった・・・
典型的なこの国の料理は全部朝食で飽きるほど食べたから唯一のディナーはさらに高級料理を、と現地駐在の方が「宮廷料理」の店を手配してくれた。首脳会議などの時に日本の首相や各国の要人が訪れるという。
入店すると「ぐわーぁぁーん」と昔日テレでやっていた「ごちそうさま」のオープニングのように銅鑼が叩かれ、緑色の衣装を着た女性10名ほどがにこやかにテーブル席を案内してくれた。宮廷の給仕女をイメージしているのか?ココナッツミルクとグレープフルーツの効いた「南国野菜と生野菜の楽園風サラダ」から始まって「クドゥス風チキンスープもやし入り」胃に優しそうなはあっさり風味のあるメニューが続いた。隣の女性が「日本語のお品書きですね」と囁くので手にとって見ると「古代米の赤いご飯」「木の実の黒いご飯」「豆腐のフリッタースパイシー甘醤油」・・・・・「ね、ねえ、『手作り唐辛子ソース各種』ってヤツを除いても16種類あるよ。これ全部これから出てくるのか・・・宮廷料理って何時間もかけるのかな」「さあ。。。少しずつならイケそうですが、すごい皿が出てきましたねえ」
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我々の疑問はすぐに取り払われることになる。さっきの10名の女性が大皿に全部の料理を抱えて一人一人に一気に全料理サーブしてしまうのである。目の前の大きな皿はあっという間に10数種類の品で一杯になった。緑色の衣装の宮廷女人群はテーブルをぐるりと取り囲んで順番にスライドしながら全員の大皿に料理を配り終えると、「サゥアー、オゥターベイ、ヌァサーイネェェェェ」(さあ、お食べなさいね)みたいな歌を合唱して厨房に帰ってしまった。あまりにもあっけないコースである。「こりゃ、逆バイキングってやつかな。でも、お代わりはできそうもないな」ビンタンビールに白ワインをガブガブ飲みながら我々は上機嫌になっていった。
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隣に座っていたのはずーっと前から知っている上司のそのまた上司にあたる人で、いつの間にかVIPになっていた。言葉少なくまた言うことは辛口だが、基本的には優しく社員みんなからは慕われている。これまで何年か周期?で職場を共にし常に彼はその職場の最高責任者だった。
「磯辺よ、お前とは4回目か。どういうわけなんだか、呼びもしないのによく来るな。」「そりゃー、必要だからでしょう。何ができるわけでもないけど。」「馬鹿だなお前。昔から『嫌いなヤツは近くに、気に入ったヤツは遠くに置く。』ってぇのが人事の極意なんだぞ」「純朴なボクでも真に受けない程度に歳は取りましたぜ」「お前なー、『純朴』って言葉の用法、明らかに間違ってるぞ・・・」
いい気になって飲んでいると、ピアノとサックスの生演奏が始まった。ゆっくりした曲だったが、よくよく聴いているとなんとサザンオールスターズ!次にボーカルに「木の実ナナ」みたいな女性が出てきて、「上を向いて歩こう」を歌い出した。日本人と言えば「スキヤキ」か?何と木の実ナナ似はテーブルに近寄ってきて端っこの人にマイクを差し出した。「ひとーぅり、ぼぉーっちのよーるー」(何か安っぽいディナーショーのようだ。各国首脳もこんなことやったんだろか)「リクエストしたらカラオケできるかもしれねえぞ。何歌う?」私はすかさず「大都会」と答えた。(声でないけど)
最終日は午前中、みっちりミーティングし施設見学させてもらった。昼食は初日のディナーでキャンセルしてしまった「パンチが効いておいしい」と聞くマレーシア料理の店だ。クレープをカリカリに揚げたようなお菓子と、ナンでもないパンケーキのような生地でまろやかなカレーを食べ、ちょっと甘酸っぱい味付けのカニ料理、鳥の唐揚げなど食事を皆で楽しんだ。仕事としては終了しているから、フライトの時間までちょっとした観光とショッピングに行くことになった。
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渋滞の影響で1か所しか立ち寄れないのを知った我々はイスティクラル・モスクという世界で3番目に大きいというイスラム寺院を訪れることにした。この国は世界最大のイスラム国だが、最大のモスクはやはりメッカにあるそうだ。靴を脱いで寺院に入れてもらうとちゃんと英語の案内係がついてきてくれる。
意外にあけっぴろげで、大きな音を立てなければ撮影もフリー、ガイドは事細かくこの大きなモスクのことを説明してくれた。エントランスには大きな液晶モニターがあり、ものすごい人だかりが中心の柱のようなものを歩いて回っている。ご存知宗教首都「メッカ」の現在時刻のリアル映像だそうだ。イスラム教徒は一生に一度はメッカを巡礼せねばならぬと聞く。いつもあのようにごった返しているようだが、いかにもITらしくて現代風だ。キリスト教や仏教ではこういうシーンはないだろな。このモスクは建物内で数万人、外の広場も入れると20万人もの教徒を収容できるという。その日はわずかの信徒しかいなかったが女性信徒が一列に並びひざまずく姿は荘厳そのものだった。
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礼拝堂の右側の文様はイスラムの唯一神「アッラー」を表し、左側はその伝道師「マホメット」を表すという。拝礼広場は一つのマスが一人分の長方形ですべて聖地メッカの方角を向いているという。大きな太鼓はラマダンの終わりを告げるモノで、これが鳴るとしばらく家族ぐるみで断食明けのどんちゃん騒ぎで盛り上がるという。モスク内の至るところに「メッカはこっちよ」という矢印が設けられている。巨大なモスク内でトイレに行きたくなり、しばらく彷徨って汗びっしょりになった末、ようやく皆と合流できてバスはショッピングモールに向かった。途中見えたのは独立記念塔「モナス」である。独立宣言がなされのが1945年8月17日、その2日前に日本がオランダを含む連合国軍に降伏し、念願の独立が反故になることを恐れたスカルノら民族主義者がジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で独立を宣言したそうだ。これは中々にずんと響く歴史的リンケージだと思う。
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わずか4日間の強行日程だったが色々な意味で実に実りある行程だった。技術提携を進めているかの国の我が社にあたる企業のプレゼンに、太平洋・インド洋を中心とした大きな地図があり、「その勢力を拡大していくぜぃ」というような意味なのか中国大陸からは東へ、インドからは西へ、そしてかの国からは東へ、大きな矢印が描かれていた。人口で言えば世界第1位、2位、4位がアジアにいて、高度成長途上なのだから元気なわけだ。色んな勉強ができたし、社宅のお友達は3年間、よい国で経験をしたものだと思う。お土産やではこの国での名産というコーヒー4種類(トラジャ、マンデリン、ジャバ、バリ・キンタマンーニ)を購入し、いつもの通り息子へはナショナルチームのユニフォームをGETして帰国の途のついたのである。
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