超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

駅周辺にあった店

2015-06-20 09:48:50 | 昭和
子供の頃から何十年も利用してきた「茅ヶ崎駅」だが、何となく味のあったボロ駅舎が橋上駅になり「ルミネ」が入ってから約30年、駅ビルを全面改装するそうだ。そのことを知人が某SNSサイトに投稿したら、驚くほどのコメントが集まった。ルミネを職場とした人もいるらしいのだが、茅ヶ崎駅を利用してきた市民として駅周辺の「あそこにあれがあった、これがあった。あの店が好きだった・・・」パスタ屋からおもちゃ屋、ラーメン屋色んなジャンルの今昔物語がずらりと続いたのである。何か懐かしくなり「『茅ヶ崎駅を偲ぶ会』でもやるかい?」とかましたら、本当に実現しそうだから面白い。今のように遊ぶ施設だけでも有り余っている時代に比べ、選択肢があまりなかった頃駅やその周辺のお気に入りの店などには皆「思い入れ」があるようなのだ。今でもたまに利用することがあるが、南北どちらから見ても堂々たる駅舎で特に北口のペデストリアンデッキなどは素晴らしくお洒落に出来上がっている。しかし私もそうなのだが、小さな三角屋根にしょぼい看板が乗っかっていて、石でできた改札口で切符を着られる昔の南口を懐かしむ声が多い。「偲ぶ会」(別に無くなってはいないけど)が実現した時に思う存分語れるように、駅周辺について思い出す限りを綴っておこう。

  

実家に自家用車のなかった私は子供の頃からどこに行くにも「お出かけ」は列車であり、最寄は「茅ヶ崎駅」であった。幼い頃は父親の自転車の後ろに座ったり、バスを使ったり、たまにタクシーを呼ぶ贅沢もした。「湘南電車」と言われた東海道線の東京方面辻堂駅と大して距離は変わらなかったのだが当時辻堂へのバス路線がなかったことや、父親の職場が駅の方だったこともあり、圧倒的に茅ヶ崎駅を多く利用していた。高校になっても正規の通学ルートは茅ヶ崎-藤沢-小田急線となっていたため1年生の時は真面目にその経路で通っていた。中学を卒業したての時は違う進学先に通うクラスメートなどと駅で顔を合わせることもあり、何か新鮮な気分がしたものだ。しかし慣れてくると電車での通学というのは煩わしく時間のかかるもので、自然と自転車通学できるものはそちらの方へ流れて行ったようだ。私の学校は交通事故防止のためか、学校から一定の圏内に自宅のない生徒には自転車通学の許可が下りず、圏外だった私はモグリで近所の公園につなぐことになる。体力の有り余っていたこの時期は雨が降ろうが風が吹こうが約30分かけて自転車で往復していたので電車の利用という意味では少し駅からは遠ざかることになる。

しかし今でこそ湘南エリアとして知名度が上がり駅周辺だけでなく、海側にも山側にも色々なところに施設やお店ができてきたが、今と比べると当時は見事なくらいに何もないところで、一通りそろっているのは茅ヶ崎駅前だけだった。カラオケやゲーセンもない中高時代に部活のない休日などでぶらぶら歩きまわるとしたら、北口にあったダイクマの存在は圧倒的だった。生まれて半世紀ほどだが、これほどまで自分の好奇心を満たしてくれる「場所」はなかった。このサイトで書いた私の趣味・嗜みのうち読書を除くほぼ全ての原点が「ダイクマ」にあると言ってよい。ちょっと昔の「安かろう悪かろう」感は否めないが、とにかく「何でもあった」のである。先日書いたオーディオシリーズやラジカセ、その隣はレコード売り場などがあり、家電コーナーが広がっていた。プラモやフィギュアなど充実したおもちゃコーナーを飽かずに眺め回し、スポーツコーナーでは消耗品のサッカーのシューズなど何足買い足したか分からない。乗っていたチャリもダイクマ製(かならずしも良品ではない)だし、釣りコーナーには海川湖あらゆる道具がそろっていたし、天体望遠鏡コーナーも顕微鏡コーナー(ちょっと後になってからだが)あった。驚くべきことにカメラのコーナーにはネガフィルムの現像機や引き伸ばし機まであったのである。

  

40年前に10cm反射望遠鏡で撮ったネガフィルムはダイクマ製現像液で増感現像され、同じくダイクマ製白黒引伸ばし機で印画していた。一時期は私の部屋そのものが暗室だったのである。この時覚えた技術が後に研究室で数百枚にも及ぶ透過型電子顕微鏡像作成に活かされることになる。布団や衣類、家電製品などあまり立寄らないエリアもあったが、ペットのコーナーや小さいながらもゲームコーナーもあり、とにかく1日じゅう歩き回っていた。ヤマダ電機に上州屋とトイザラスを足したようなところで「行くだけで満足できる」というコストコファンのような心境であろうか。部活と受験勉強以外の時間は「ダイクマ」を抜きにして語れないほどだ。(まあ、とにかく暇だったんだなー)その頃は百貨店のように一通りのものがそろう大型店舗と言えば(ディスカウントだが)ダイクマと西友(その後丸岡屋)しかなかったのだ。老舗の「ショッピングセンター」というベタな店舗もあったが、老婦人ものの洋服屋と私が近寄れない「漬物屋」くらいしか印象がない・・・

ダイクマの入口には小さなたい焼き屋(たこ焼き屋?)があり、向かいには「インテルナ・イトー」という謎の家具屋のようなものがあり、1階は立ち食い蕎麦屋でたしかかけそば1杯80円、お腹が空くとこれに薬味のネギをヤマのようにかけて食べていた。そしてゴジラシリーズにキングギドラが登場した時のように衝撃的だったのが、イトーヨーカドーの建設である。衣服や食料品、雑貨などが中心だったので実はあまり足を運んではいないが、最上階の本屋と我が家がアニバーサリーで使用したレストラン「ルアン」が入っていた。このレストランは最初ダイクマの大通り向かいの地下にあったいかにも「昭和のレストラン」だったのだが、いつの間にかなくなってしまった。そしていよいよボロかった茅ヶ崎駅舎が全面改装で橋上駅が建設され「駅ビル」としてルミネが登場するのである。元々開けていたのは北口でそれからもどんどん開発されていったが、私のすべての興味は「ダイクマ」に集結されていたのでさほど覚えている店がない・・・相模なのにスルガ銀行がなぜかあり、その奥に「下里模型」という小さな店でよくプラモデルを漁った。ショッピングセンターの前の商店街(エメロードというそうだ)を駅から歩くと、川口パーラーという果物屋、川上書店という本屋があり、その先の「フジヤ」という洋品店で学生服を調達することになっていた。その先、大踏切からの道路とのT字路真ん中に店内に滝がある「アポン」という喫茶があった。

橋上駅が完成するまでは線路を渡って南北行き来するには「大踏切」を上る必要があったが、この踏切には痛恨の思い出がある。スポーツ少年団として参加した大岡祭パレードの帰り、はしゃぎ過ぎて大踏切の螺旋階段から転げ落ちてしまい、額を7針も縫う大怪我となったのは確か小学5年のとき。何とその時ブッチャー顔負けに大流血しながら、後に登場する南口「雄三通り」に位置する伊藤外科医院まで「歩いて」いくのである。
駅の南口というのは北口と異なり「みなみマート」以外は大きな施設もなく、ちょろちょろと小さな店が連なっていたが中々侮れない名店が結構あった。特にラーメン屋はV9時代の巨人軍のラインナップのように個性的で美味しい店が軒を構えていた。私がこよなく愛した北京亭、都亭、サザンで有名なサッポロ軒(このあたりがクリーンナップ)、値段でいけば大龍、パイコーハンの来々軒、銀行員の悪友が頑強に進める栄華軒、深夜飲んだ帰りに寄るならタンポポ、せん・・・すべての店に共通なのは「店がショボくて目立たない」

  

ロータリーから海に向かう細い道沿い(どうも高砂通りと言うらしい)にコーヒーの「ジャマイカ」という店があり、母親がここで挽いてもらった豆をいつも購入していた。そのそばに「ジンギスカン」というそれは小さいお店があり文字通り焼肉屋なのだが、一皿100円くらいの信じられない安い肉を食わせた。(この店、恐るべきことにまだあるらしい・・・)その先に「ルアン」なき後、我が家のアニバーサリーレストランになった「松坂牛の店ジャルダン」に至る。300グラムの高級テンダーロインを4000円くらいで食える超お気に入りの店だったのだが、店主の放蕩癖が祟ったらしく潰れてしまった。さらに一本西よりのサザン通りにはスポーツ少年団のユニフォーム指定調達店「カワグチスポーツ」と長谷川書店が並んでいた。逆に一本東側の雄三通りはかなり海よりに有名な「サッポロ軒」があるくらいで目立った名店を知らないが、何と言っても「泣く子も黙る」伊藤外科病院があったのである。私が幼少から高校を卒業するくらいまで母親が事務の手伝いをしており、怪我だろうが風邪だろうがとにかく診てもらっていたが、このサイトに何度も登場しているから、再びの紹介は割愛しよう。

大型店舗に入っている店もあるかもしれないが、ここで登場したほとんどのお店はもうなくなってしまっているだろう。茅ヶ崎駅など来たこともない人には全くなんのことか分からないお話でもあったろう。しかし某SNSサイトの知人の投稿をきっかけに次々と懐かしコメントで盛り上がって行くのを見ていて地元の最寄駅というのはちょっと振るだけでも多くの人の思いを引き起こすものだと思った。通勤、通学、娯楽・・・最寄の駅というのは色々な面で我々とつながりがあるのだろう。今度カメラ片手に駅周辺を「ぶらタモリ」してみようかと思う。大昔から今も現存する全然気が付かなかったスポットや名店、また無くなってしまった店の史跡を追うのも「亦楽しからずや」である。

   


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2 コメント

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Unknown (小夏)
2015-06-23 11:22:11
濃くて味わい深いですねー♪ 
そう、本当に選択肢が少ない時代でしたね。でも今より駅前は流行っていました。CDに変わっていったレコード屋さんも〇〇ミュージック、品ぞろえ豊富な書店・・♪
師匠にとっての「ダイクマ」はなんてすごい影響力@@!その後の研究室でも役立つなんて素晴らしすぎます

ルアン、ジャルダン、、そういえばフランスちっくな店名がイカシテ(死語)いたのですね。甲冑を飾ったお店があったっけ^^
その時代のビルに入るとエレベーターが臭うし遅いですよね。一瞬でタイムスリップ(^_-)-☆

駅、、最後のお写真のような二代前の地元駅のをおぼろげながら覚えています。

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Unknown (磯辺太郎)
2015-06-23 19:34:40
小夏さま

やっぱり昭和って濃くて味わい深いですねえ。今は郊外型の施設もたくさんありますが、昔は駅の周りだけでした・・・レコード屋も決まった店がありましたね。
そーなんです。ボクのこれまではダイクマ抜きには語れないんです(笑)

フランス語チックなところがいかにも「昭和のレストラン」って感じで、「ビフテキ」なんてメニューも。
ははは。妙なにおいのするエレベーターありましたよね。
師匠のお家の最寄駅にもそういった思い出があるんでしょうか?悪友と語らうのは楽しいものでした。
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