超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

もういちど読む山川日本史

2012-06-18 14:33:29 | 書籍
高校の時、「入試に日本史を選択するなら『山川』で勉強すべし!」という定説があった。我が校は山川出版社の教科書を使用していなかったが、誰かがどこかから入手(書店で買えたんだっけ?)してきて、その独特な古臭いワインレッドの教科書を見せてもらったことがある。私は歴史が好きで色々な本を読み漁っていたが、それはいわゆる歴史小説という「好きな人物と物語」であって、史学という「時の流れを政治、社会、文化など色々なジャンルからシステマティックに学ぶ」ほど正直暇が無かったから(何せ理系なので)世界史だけを選択した。日本史は馴染みが深い分、教科書にも中々書いていない奥深い社会の文脈や政治的背景を語らなければならず、片手間でできるような記憶量ではなかったのに対し、世界史は範囲は広いが断片的でもわーっと丸覚えすればよかったからである。(担任が世界史担当だったということもある)

「試験にでる英単語」を初めとする英語はもちろん、数学、物理にも「受験に際してこれだけはやっておくべし!」という伝説の参考書は存在した。(正直、当時はさっぱり分からなかったが、皆がやっているので自分も持ってはいた)文科系科目についてはあまり知らないが「山川」だけは知っていた。どこかからそれを入手され、クラスメイトに見せてもらったその教科書はボロボロになるほど「読み込まれ」「線引きされ」使い込んであった。まるで一語一句覚えているようで「すげーっ」と感心したものだ。しかし教科書はやはり「教科書」で分かりやすくするための「参考書」とは異なるから、学校で使っていたモノと同じに見えてしまい「違いが分かる」までには至らなかった。だから「山川出版の日本史」などというのはただの「都市伝説」だと思っていたのである。

ところが最近になって、「社会人のための高校教科書、ブームだけではわからない、本物の歴史が読める本」というカバータイトルで「もういちど読む、山川日本史」という著書があるのを教えてもらって思わず購入してしまった。今頃にこういう本が出ているということは、あの伝説は本当だったのか?!
大学入試などという悪夢のような目的もなく、歴史検定などというぬるいモチベーションもないまま、パラパラと読み始めたが、社会人用にディティールを端折っているらしく、あっと言う間に「近世」まで読み進んでしまった。そりゃそうだよな、何せ「おーっ、こういうの習った!」と懐かしむだけで「覚える」必要がないからなー。日本史が必須教科だった高校を卒業して約30年・・・興味の的は「あれからどのように教科書の記述・解釈が変遷してきたか」である。(冥王星が惑星でなくなっていまったように)

章立ては全然変わっておらず、第1章は昔から「日本のあけぼの」である。人類の誕生からナウマン象の化石、縄文の竪穴式住居、そして土偶というパターンだ。北関東の県でも有名な石器を発掘した遺跡があるから今度見学に行ってみよう。弥生時代に農耕が進み、小さな「国」がたくさんできてやがて統一に向かうようになった。その過程で現れる有名な卑弥呼の「邪馬台国」は九州説と大和説がまだ決着していないらしい。時代的には「三国志」の後だと思うが、中国史があれだけ絵画やアイテム、物語が明確なのに(後付かもしれないが)日本はまだぼやーっとしていて当時のマイナーさがうかがえる。
やがて現れた中央政府は以前は「大和朝廷」と表記され習ったが、国名として「大和」という文字が使われだしたのが、もっと遅かったことから、最近では「ヤマト政権」と表記されるらしい。(初代の長は「沖田十三」か?!)実は勤務県には古墳が多いらしく以前八兵衛が連れて行ってくれた古墳があった。近所に別の古墳も見えたからやはりかなり盛んな土地だったようだ。

第3章古代国家になると蘇我馬子、聖徳太子などが登場する飛鳥時代である。これまた以前習った事柄とは少し変化が見られた。「聖徳太子」というのは生前には使われず、ずっと後になってから現れるようである。また厩戸王という名称が使われているようだし、あの1万円、5千円の旧紙幣の象はモデルが太子という確証がないことから「伝聖徳太子画像」と言われているそうだ。(伝何とか、というのは後にも登場する)聖徳太子が建立したとされている法隆寺はその目的、意味合い、伝えられる伝説など実に謎が多く、古文の教師から梅原猛という作家の「隠された十字架」という書物を紹介され、夢中になって読んだことがある。ご他聞に漏れず修学旅行で訪れたが、ギリシア神殿に通じるエンタシス柱など世界最古の本格木造建造物としてそのど迫力は圧巻だった。

東大寺大仏などを初めとする仏教色の強い奈良時代を経て第4章律令国家となる。平安時代はだらーんと長い貴族の時代という印象があるが、政争に明け暮れた歴史(400年近くあればねー)ばかりで個人的にはあまり好みでない。しかし文化は優雅で平等院鳳凰堂などもう一度訪れたい名所のベスト5に入る。これも古文だったが「清少納言」と「紫式部」は同時代の女性で実は仲が悪く、お互いに内緒で相手の悪口を書いていた、というエピソードを記憶しているが、同様のことがこの本にも記述されていた。京都・奈良などは修学旅行で訪れる神社仏閣のオンパレードだが、歴史的な「予習」をしていくとこれほど魅力的なところはないのだろう。息子が先般行ってきたばかりだから、忘れないうちにもう一度おさらいするのも「あり」だろう。

第2部中世第5章は武家社会の形成で、以前は「源平の争乱」から始まっていたが近年では院政あたりからこの始まりとしているようだ。実はこの「院政」という言葉、もちろん我が社とは限らないが会社では結構使うのである。例えば一代で事業を起こしたワンマン社長、創業でなくても事業に大躍進をもたらした雇われ社長が、その職を去った後も「会長」や「顧問」などという意味不明の役員として権勢を欲しいままにするときなどだ。「平清盛」は初めて政権を手にした武家として大河ドラマでも注目されていたようだが、その視聴率の低迷は危機的らしい。。。清盛に元々歴史上はヒーローというイメージが少なかったのに加え、登場する宮中の公家が「気持ち悪すぎる」というのが番組を少し見た私の印象である。(視聴率の再起を期待するが)

源平の争乱を経て鎌倉幕府の登場だ。「イイクニつくろう鎌倉幕府」は実は「イイハコ作ろう」に変わりつつある、と聞いていたが山川日本史では1192年だった。(社会人向けだからか?!)別に説として対立しているわけではない。1185年に源頼朝が朝廷に全国へ守護・地頭を設置することを認めさせたのが実質上の支配と考えられるからのようだ。征夷大将軍任命は1192年で山川日本史は鎌倉幕府が「名実ともに」成立した、と記述している(うーむ。うまいかわし方をするものだ)
ちなみに先程も出てきたが、源頼朝像としてよく知られているあの「カクカクした」肖像画はえがかれた冠の様式、絹地の図面作例などから「時代が違う?!」という説と、モデルが足利直義だという説などがあり、通説が揺らいだ結果今では「伝源頼朝像」と表記されているそうだ。

ざっと読み進んだのはこのあたりまでだが、地理的に見ると日本を支配してきた政権は大体上方(京都・奈良・大阪を一緒にしてはダメか?!)、乱暴だがその後江戸になって今に至っている。江戸という土地は平坦性、水脈、交通の便もさらに風水上?も政権の拠点としては申し分に見える。しかし「鎌倉」というのは三方を山に囲まれ海を臨む地とは言え、他に比べて政権の拠点としてはどうも違和感があるのだ。街そのものは小さいし大きな港があるわけでもなく交通の便も悪い。鎌倉山などにあるのは古くからの豪邸が多く庶民と異なる雰囲気があるのだが、言い方を変えると山と坂ばかりで一人一台の乗用車(又は運転手)がないと不便で「住めない」のである。我が家を建てるときに鎌倉エリアも一応候補にはあったが、450坪の土地の90%が急斜面とかそんなのばっかりで、とても検討範囲に入らなかった。

京都大学を出たある著名人が若者の将来向けの対話本の中で「近所に金閣寺があったって行きゃぁしませんって」と言ったように、身近にあるとあらためてディープに予習して歴史を堪能してみようとは思わぬものだ。鎌倉というのはそういう意味と古都としての学習対象と流行が共存する実に興味深い場所だと感じる。なぜあのような土地が一定期間この国の政権の中心となったのか?その風水上の意味合いは?手始めに鎌倉五山でも研究してみるとするか・・・・(今は紫陽花の季節だしねー)