友人が「空中ブランコ」という本を貸してくれた。
奥田英明という人の著書で数年前「直木賞」を受賞した作品だそうだ。
文学の分野には色々な賞があり、野球の「MVP」や「沢村賞」のような受賞基準がどうもわからない。。。
しかし、なるほど賞を獲る作品とはこういうものか・・・というほど文学オンチの私にも何となくわかった気がした。
物語は短編集のようになており、ふとっちょの人懐っこい神経科医がそれぞれ色々な悩みをもつ人間の症状をどちらかというとハチャメチャなプロセスで見事に解決していくものだ。
あっさりと読み飛ばせるが、ちょっとした心の「ひっかかり」が色んな形で症状に出てしまう人間のデリケートな歯車を見事に描き出し奥深い味わいがある。
最初はいつの間にか姿勢が縮こまり、空中ブランコを飛べなくなってしまったサーカスの花形スター。
尖端恐怖症になってしまった、若手のやくざ屋さん。
学部長に出世した養父を持ち、将来を約束されたが養父のみえみえのカツラを剥ぎ取る衝動をがまんできなくなる若手医師。
ルーキーがマスコミに注目されているのが気になり、ボールを真っすぐに投げられなくなった10年目のスター三塁手。
執筆中の作品に登場する人物が過去に自分の作品で取り上げたことがあるような心配に支配され何も書けなくなったカリスマ的女流恋愛小説家。
特に少年時代から野球・サッカーとやってきた私には三塁手の話「ホットコーナー」が興味深かった。
その中で、神経科医は「コントロールって何なのか?」と患者である三塁手に問う。
神経科医はプロ野球選手がやてきたと、無邪気に喜んでキャッチボールを頼むが、普通に投げると何回やってもまともにボールがいかない。
しかし、野手のように左右にゴロを出してやると百発百中胸にくるのだ。
人間が野球のボールを思ったところに投げるとは実はすごいことなんだというのが面白い。
テニスでも卓球でもバッティングでもスイングはどうあれ、最終的にはインパクトの瞬間の問題だ。
サッカーも基本的には一緒だ。
しかし、野球は握ったボールを手首、肘、肩はもちろん、腰のひねりや膝の上げ、足の踏み込み、そして指先まで総動員して小さい的をめがけなければならない。
どこが調和を乱してもまともには投げられない。。。
息子甘辛は右利きで、今でこそ普通にボールを投げるが、幼稚園のとき初めてキャッチボールをしようとしたら、右足を上げた。。。
いつの間にか皆が投げるようなフォームになったんだ。
私は少し野球をバカにしたところがあった。
打つことは今でもできるし、守備だって年中ボールが来なければできないことはない。
何より野球はサッカーやバスケ他の球技とは違い、プレーに切れ目があってその都度休めるじゃないか。
しかし、このスポーツはどんな局面でも握ったボールを思ったところに命中させるという、これだけで奇跡とも言える技を競うスポーツなんだね。
ちょっとピッチャーよりだが、そう考えると目が覚める思いだ。
トップレベルのスポーツ選手ほど、心の動きがプレーに影響すると言われるがまさしくそんな話だった。
そして最後が実によい。
神経科医は原因を取り除ければよいと言った。
この場合は期待のイケメンルーキーが怪我やトラブルで戦列を離れてくれればよいと。。。
そして物語らしくそういう機会がやってきた。
そのルーキー他と一緒に酒を飲む機会があり、そのイケメンが大悪酔し、店の裏でやくざともめにもめているところを目撃してしまうのだ。
プロとしての自己責任の問題だ。巻き込まれれば自分にも危害が及ぶかもしれない。
三塁手はたまたま出くわした神経科医とタクシーで帰宅しようとするが、最後の最後でスポーツマンシップに目覚め、引き返して代わりに殴られ、その場を収めてやるのだ。
泥酔しているルーキーを担いで帰り帰宅する。
卑怯者にならずにすんだのだ。
最後に幼い子どものキャッチボールの相手をしてやるシーン。
- コントロールって何だろう。人はいつそれを身につけるようになるのだろう。-
- たぶん明確な解答などない。人間だけの、不思議な学習能力なのだ。-
こどもは最初とんでもない暴投を投げた。幼いのでしかたがない。
しかし何度かトライしてやまなりだがストライクを投げた子供に「おっ、凄いな」と一言。
子供が目を輝かせる。。。
この本、かなりお勧めだ。
同じ人の本や今まで、あまり興味が無かった「直木賞」シリーズも読んでみよう。
奥田英明という人の著書で数年前「直木賞」を受賞した作品だそうだ。
文学の分野には色々な賞があり、野球の「MVP」や「沢村賞」のような受賞基準がどうもわからない。。。
しかし、なるほど賞を獲る作品とはこういうものか・・・というほど文学オンチの私にも何となくわかった気がした。
物語は短編集のようになており、ふとっちょの人懐っこい神経科医がそれぞれ色々な悩みをもつ人間の症状をどちらかというとハチャメチャなプロセスで見事に解決していくものだ。
あっさりと読み飛ばせるが、ちょっとした心の「ひっかかり」が色んな形で症状に出てしまう人間のデリケートな歯車を見事に描き出し奥深い味わいがある。
最初はいつの間にか姿勢が縮こまり、空中ブランコを飛べなくなってしまったサーカスの花形スター。
尖端恐怖症になってしまった、若手のやくざ屋さん。
学部長に出世した養父を持ち、将来を約束されたが養父のみえみえのカツラを剥ぎ取る衝動をがまんできなくなる若手医師。
ルーキーがマスコミに注目されているのが気になり、ボールを真っすぐに投げられなくなった10年目のスター三塁手。
執筆中の作品に登場する人物が過去に自分の作品で取り上げたことがあるような心配に支配され何も書けなくなったカリスマ的女流恋愛小説家。
特に少年時代から野球・サッカーとやってきた私には三塁手の話「ホットコーナー」が興味深かった。
その中で、神経科医は「コントロールって何なのか?」と患者である三塁手に問う。
神経科医はプロ野球選手がやてきたと、無邪気に喜んでキャッチボールを頼むが、普通に投げると何回やってもまともにボールがいかない。
しかし、野手のように左右にゴロを出してやると百発百中胸にくるのだ。
人間が野球のボールを思ったところに投げるとは実はすごいことなんだというのが面白い。
テニスでも卓球でもバッティングでもスイングはどうあれ、最終的にはインパクトの瞬間の問題だ。
サッカーも基本的には一緒だ。
しかし、野球は握ったボールを手首、肘、肩はもちろん、腰のひねりや膝の上げ、足の踏み込み、そして指先まで総動員して小さい的をめがけなければならない。
どこが調和を乱してもまともには投げられない。。。
息子甘辛は右利きで、今でこそ普通にボールを投げるが、幼稚園のとき初めてキャッチボールをしようとしたら、右足を上げた。。。
いつの間にか皆が投げるようなフォームになったんだ。
私は少し野球をバカにしたところがあった。
打つことは今でもできるし、守備だって年中ボールが来なければできないことはない。
何より野球はサッカーやバスケ他の球技とは違い、プレーに切れ目があってその都度休めるじゃないか。
しかし、このスポーツはどんな局面でも握ったボールを思ったところに命中させるという、これだけで奇跡とも言える技を競うスポーツなんだね。
ちょっとピッチャーよりだが、そう考えると目が覚める思いだ。
トップレベルのスポーツ選手ほど、心の動きがプレーに影響すると言われるがまさしくそんな話だった。
そして最後が実によい。
神経科医は原因を取り除ければよいと言った。
この場合は期待のイケメンルーキーが怪我やトラブルで戦列を離れてくれればよいと。。。
そして物語らしくそういう機会がやってきた。
そのルーキー他と一緒に酒を飲む機会があり、そのイケメンが大悪酔し、店の裏でやくざともめにもめているところを目撃してしまうのだ。
プロとしての自己責任の問題だ。巻き込まれれば自分にも危害が及ぶかもしれない。
三塁手はたまたま出くわした神経科医とタクシーで帰宅しようとするが、最後の最後でスポーツマンシップに目覚め、引き返して代わりに殴られ、その場を収めてやるのだ。
泥酔しているルーキーを担いで帰り帰宅する。
卑怯者にならずにすんだのだ。
最後に幼い子どものキャッチボールの相手をしてやるシーン。
- コントロールって何だろう。人はいつそれを身につけるようになるのだろう。-
- たぶん明確な解答などない。人間だけの、不思議な学習能力なのだ。-
こどもは最初とんでもない暴投を投げた。幼いのでしかたがない。
しかし何度かトライしてやまなりだがストライクを投げた子供に「おっ、凄いな」と一言。
子供が目を輝かせる。。。
この本、かなりお勧めだ。
同じ人の本や今まで、あまり興味が無かった「直木賞」シリーズも読んでみよう。