熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新日本フィル第400回定期演奏会・・・シューマンV協とブラームス交響曲第4番

2006年04月15日 | クラシック音楽・オペラ
   昨夜、トリフォニー・ホールで、新日本フィルの第400回定期演奏会があり、出かけた。
   指揮はクリスティアン・アルミンク。途中で、当初予定していたヒンデミット作曲交響曲「画家マティス」を、急遽、ブラームスの「悲劇的序曲」と「交響曲第4番ホ短調」に変更しての演奏会であった。
   理由は良く分からないが、小澤征爾が指揮する予定であった5月定期公演が、小澤の病気でアルミンクに代わったのだが、そのプログラムがブラームスの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」と「交響曲第1番」であるから、これを意識してのブラームス選曲であろう。
   ウィーンで育ったアルミンクにとっては、ブラームスは骨の髄まで知り尽くした作曲家で、満を持してのブラームスで小澤の代役としてシーズンを締め括りたいのであろう。
   小澤征爾には、サイトーキネンを振った素晴しいブラームス交響曲全集が残っているので、是非、聴きたかったが、12月の定期公演まで待とう。

   少し早く会場に着いたので、2階のバーラウンジでコーヒーを飲んでいたら、アルミンクのプレコンサート・トークが始まった。
   少し、遅れて席に着いたので全部は聞けなかったが、プログラムのシューマンのヴァイオリン協奏曲について説明していた。
   休憩時間に、英字紙ヘラルド・トリビューンの朝日特約記事でアルミンクの特集が載っていて、このプレコンサート・トークについて書いてあり、アルミンクは聴衆が楽曲について知ることは必要なことだと思ってこの新日本フィルのコンサートでは意欲的にやっているのだと紹介していた。
   私は、開演ぎりぎりに入るので、今までに一度しか聞いた事がない。

   このHT紙にアルミンクについて面白い記事が出ていた。
   ウィーン音楽院の学生の時、ムジークフェラインザールでのカルロス・クライバーのリハーサルに潜り込んで座席の後に隠れて聴いていたこと。クライバーは立ち入り厳禁指令を出して居たが、学生がクライバーのリハーサルになると教室から居なくなるので指揮科の教授が苦情を言ったとか。
   アルミンクは大指揮者のリハーサルもさることながら、素晴しいウィーンの大演奏家に接する機会を楽しんだとも言う。
   また、父上がドイツ・グラマフォンだったので、カラヤンやショルティを知っていたと言う。

   ところで、シューマン晩年のヴァイオリン協奏曲を、ミュンヘン生まれのヴァイオリニスト・ヴィヴィアン・ハーグナーが演奏した。
   13歳で、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルとベルリン・フィルのジョイント・コンサートでソリストで演奏したと言うから大変な逸材。
ソリストとして室内楽奏者として多くの偉大な音楽家との共演を経験、煌びやかなキャリアのヴァイオリニストだが、演奏は非常にオーソドックス。
   アルミンクは、ブラームスはロマン派だが、この曲はフレンチ色の強いバロック調だと言って居たが、全編、何となく暗い陰鬱な雰囲気。澄んだ胸に響くハーグナーの素晴しいヴァイオリンの音色と新日本フィルの何となく柔らかくて暖かいような音色が救いだったが気の所為であろうか。

   この曲は、シューマンが晩年精神不安定になり演奏から引退し、妻クララやヨアヒムから譜面を公開に値せずと葬り去られて、実際に演奏されたのは1937年のナチス政権下のベルリンでのことだと言う。
   評価は区々で、まともに対応した大家は、シェリングとメニューヒンだけだと言うが、あまり演奏されない曲だと言う。
   しかし、ハーグナーの演奏が素晴しかった所為か、私には、嫌な感じは全くせず、素晴しいと思った。

   ブラームスの交響曲第4番は、フランソワ・サガンの『ブラームスはお好き』で有名な曲。
私は、クラシックは最初にベートーヴェンから入って、次に、ブラームスに行ったので、学生時代には、レコードを何回も回し4曲の交響曲とヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲等は聞き飽きるほど聴いた記憶があり、懐かしい。
   ところどころ、管のソロが不安定になるのが気になったが、しかし、大変な熱演で、アルミンクは、新日本フィルから素晴しいサウンドを引き出し、感動的なブラームスをプレゼントしてくれた。
   5月のヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番の演奏が今から楽しみである。
    
(追記)椿は、羽衣。

   
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写真展:プノンペンのゴミの山、そして、水俣の肖像

2006年04月14日 | 展覧会・展示会
   今、銀座のキヤノン・ギャラリーで、三留理男氏の「カンボジア 希望の川」展が開かれている。
   サブタイトルが「子供の詩」で、プノンペンのトレンサップ川にフリチンで遊ぶ子供達の屈託のない笑顔が印象的な写真展である。
   とうとうと流れる牧歌的な大河の流れが、悠揚せまらず、実に良い。

   しかし、その横に、煙にくすぶるゴミの山の中を、粗末な身なりの子供達が獲物を漁る姿が生々しい写真が並んでいる。
   少し前に問題を起こしたフィリピンのゴミの山と同じである。
   終戦直後の日本にも、そんな光景があったような気がする。

   トレンサップ川の支流のストン・ミァンチェイにこのゴミの山があり、一日に390トンのゴミが集まり、既に東京ドームの5個分。それが、40度の高温化でメタンガスが出て自然発火して燻っている。
   高温で、異臭が凄いのだが、人々が群れていて、子供達がゴミを漁っている。
   誰もが立ち入り自由のこのゴミの山、謂わば宝の山で、月に50~60ドルの収入になり、工場労働者の賃金と同じぐらい稼げるのだと言う。
   日本ならいざ知らず、貧しいカンボジアに、まともなゴミがあるとは思えないが、それでも、使用できるものはヴェトナムに輸出もされているのだと言う。

   三留氏のカメラの告発の威力は凄い。
   貧困と公害、人間の生活を蝕む悪が同居するこの現実、頭を抱えて考えざるを得ない。

   隣の部屋は、キヤノンのショウルームで、素晴しい製品がディスプレイされていて、魅力的なお嬢さんが優しく製品の説明をしてくれている別世界である。

   一方、同じ東銀座にあるニコン・サロンでは、桑原史成氏の「水俣の肖像―公式確認から半世紀の節目」展が開かれている。
   水俣を撮り続けて45年の桑原氏の何十年も前のモノクロ写真がビッシリ並んでいて、日本の公害行政を鋭く糾弾している。
   ユージン・スミスが、凄い水俣の写真を発表して世界を震撼させたが、桑原氏の写真はもっと日本人の生活と心情の奥を突いた凄い写真で、一枚一枚見ていて胸が詰まる。
   特に、成人を迎えた青少年達の痛々しい晴れ姿が堪らない。

   私には、水俣には思い出があり、学生時代に九州旅行の途中、水俣駅に着いたが、悪臭で堪らなかった。
   途中駅であったのでそのまま通過したが、あんな悪臭の中で、水俣の人が毎日生活しているのなど信じられなかったのを覚えている。

   確かにあの頃の公害はひどかった。阪神間に住んでいたので、良く尼崎に行ったが、黒い煤煙が降って来て洗濯物が黒くなるのが普通であった。
   昔、イギリスの友人が、自分の出たバーミンガムの高校の校歌に煙がもくもくと言う言葉を誇らしく歌っていたと言っていた。
   経済成長のみが人々を幸福にしてくれる、そう思って公害など環境破壊が自分達を死地に追い詰めつつあることを意識できなかったそんな悲しい時代が、ほんの少し前にあったのである。
   その後、イギリスの産業革命の発祥地ブラック・カントリーを訪れたが、まだ、古い産業革命当時の工場や遺跡が残っていた。しかし、規模が小さかったので、環境破壊と言う感じではなかった。
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ウィーン・フィル・サウンドのモーツアルト・・・トヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーン

2006年04月13日 | クラシック音楽・オペラ
   昨夜、池袋の東京芸術劇場で、トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーンの素晴しい演奏会があった。
   毎年、質の高い素晴しいウィーン・フィル・サウンドを奏でてくれるの、楽しみに出かけているのだが、今回は、東京では名古屋フィルとのジョイント・コンサートだけだったので、正直な所どうしょうかと迷っていた。
   しかし、後半の飯森範親指揮のR.シュトラウスの『アルプス交響曲』とアンコールのJ.シュトラウスの「雷鳴と稲妻」は、素晴しい演奏であった。
   大きなコンサートマスター・シュトイデの横で懸命に指揮棒を振る小さな飯森が素晴しく輝いて見える、縦横にオーケストラからダイナミックで華麗なサウンドを引き出す飯森の力量が素晴しい。

   もっとも、混成オーケストラと言っても、楽団員の3分の1、そして、各パートのトップやソロは、ウィーンからの音楽家であるから極めて水準が高いのだが、名古屋フィルの楽員も感化され引っ張られて素晴しいサウンドを奏でており、大編成のオーケストラが、フルサウンドでも実に良く歌っていて感激した。
   管のソロが素晴しく美しいのは勿論だが、それに、放列を敷いている打楽器群の演奏が又秀逸で、名古屋フィルの打楽器奏者が実に上手く呼応している。

   私は、アルプス交響曲を聞いたのは、ロンドンのバービカンで確かマイケル・ティルソン・トーマス指揮のロンドン交響楽団のコンサート一回きりだが、コンセルトヘボウやフィルハーモニアでもシュトラウスの曲を聞くことが多かったが、とにかく、大掛かりな編成のオーケストラの派手で華麗なサウンドの咆哮を楽しみに聞いていた。
   ハイティンクが、ロイヤル・オペラ管を振って「英雄の生涯」を演奏した時など、楽団員がオペラハウスの舞台に乗り切らずにボックス席にはみ出して演奏していた。

   前半は、ウィーンの音楽家だけの室内楽団の演奏で、フィガロの結婚序曲、ソプラノ森麻季とバリトン福島明也によるモーツアルトのオペラのアリア集、それに、セレナード第九番「ポストホルン」で、モーツアルト・イヤーを意識したのであろう、オール・モーツアルト・プロである。
   勿論、指揮者なしの演奏で、ウィーン・フィル関係の室内楽団は、コンサート・マスター中心が多い。
   ウィーン・フィルの場合でも、ロンドンのチクルスでアンコールにヨハン・シュトラウスのワルツを演奏した時も、ムーティは最後まで指揮台に居たが、別の日、レヴァインはタクトを振り下ろすとさっさと指揮台を降りて舞台の袖に消えてしまって、オーケストラだけで最後まで演奏したことがあった。
   もう、文句なしのウィーン・フィル・サウンドで、目を閉じて、懐かしいウィーンの風景や思い出を反芻しながら聞いていた。
   ポストホルン・セレナードは、7楽章と言うモーツアルトにしては大曲。とにかく、弦は勿論だが、ウィーンの管のサウンドがこれに輪をかけて素晴しく、弦と管の絶妙なかけあいが堪らない。
   6楽章の中間でウィーン・フィルのトランペット主席ハンス・ペーター・シューがすっくと立ちあがって、左手にトランペットを持ち代えて右手でポストホルンを摑んで口に当てて華麗にそして高らかに演奏する。

   ところで、二人のモーツアルトのアリアだが、森麻季は素晴しい歌声を披露してくれたが、スザンナとツェルリーナで一寸役不足、年の関係か伯爵夫人や夜の女王は無理なのであろうか。
   福島のバリトンは凄かった、ドン・ジョバンニのもっと本格的なパートをと思ったが、このオペラのアリア集は、フェスティバル的なコンサートの所為か、あまりにも初歩的なさわり集に終わってしまっているのが物足りなかった。

   いずれにしろ、トヨタのメセナの一環事業だが、素晴しい演奏会であった。
   しかし、結構安くて手ごろな料金だが空席が可なりあったのは何故であろうか。

(追記)椿は、岩根絞。
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トカイナカの春・・・華麗な枝垂れ源平桃

2006年04月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   近くの川面の水も温んできたのであろうか、鴨や白鷺の姿が消えて、燕が飛び交い始めた。
   土手道には、一面に土筆が顔を出していて、黄色いタンポポが彩りを添えている。
   数年前には河側の土手に一面に咲いていた菜の花が、いつの間にか消えてしまって、僅かに残った種が咲かせた花がちらほら。一昨年、トスカナ地方をバスで走った時、種が飛んで土手に咲いたヒマワリを見たが、雰囲気が似ている。

   子供の頃を過ごした宝塚の田舎には、春には雲雀が空高く舞い上がって囀っていたのであるが、千葉のトカイナカには、雲雀はいないのであろうか。
   もう一つの違いは、レンゲ草の花がないこと。関西にはレンゲが多く、肥料の変わりか水田になる前の畑には一面にピンクと緑の絨毯が敷き詰められたように咲いていて美しかった。
   石舞台と飛鳥寺を訪ねて明日香村を訪れた時、畑は一面のレンゲ草の花畑で、その素晴しさに感激したのを覚えている。

   田舎道を歩いていると、遠くの林の中から鶯のさえずりが聞こえてくる。
   農家の庭先や林の中に咲いている桜や桃の花が、薄曇の空気を通して、雲のように霞んで浮き上がっているのが風情があって良い。

   千葉も、船橋くらいまでは東京の延長だが、急速に開発の進んでいる北の千葉ニュータウンや成田に近い京成沿線などには、まだ、田舎の雰囲気が残っている、所謂、トカイナカであり、季節の変化を身近に感じることが出来る自然が残っている。
   今、千葉から北総にかけて、田舎道を車で走ると、農村地帯の民家や田畑、林などに花々が咲き乱れていて、それに、萌え始めた新緑がアクセントをつけた美しい風景を楽しむことが出来る。

   公園のソメイヨシノも、大嵐の後に満開を迎えてその後寒くなったので、まだ、満開に近く華やかさを保っている。
   八重桜も咲き始めたので、今年は、色々な種類の桜が同時に咲いていて、なかなか、面白い。
   モミジも若葉が萌え始めて、秋の紅葉とは一寸違った風情が中々良い。

   近くには、古くからの農家があって、大きな屋敷の周りの畑に連なる庭には、櫻や椿、桃やボケ等の花木が咲き誇っていて華やかである。
   何故か、この辺りは、立派な枝垂れの源平桃の木があっちこっちに植えられていて、今を盛りに咲いている。重い八重の花びらをビッシリ付けているので、梅や櫻と一寸違った華やかさがある。
   
   この口絵写真の源平桃は、その中でも、格別に大きく育った大木で、横幅10メートルを越えていて、林を抜けると急に眼前に現れるので、その豪華さにビックリする。
   生垣に囲まれた農家の庭に植えられているので、真正面から全景を見られないのが残念だが、反対側の孟宗竹の竹林から畑を通して遠望すると、後方遠くに、高層アパートが浮かび上がるのが少し無粋で面白くない。

   良いことなのかどうかは分からないが、最近、雉が棲んでいた近所の森がブルドーザーで壊され宅地に整地されてしまった。
   まだ、鶯が棲む林が残っており、わが庭にも色々な野鳥が訪れてくれるので、良しとしなければならないのかも知れないが、ドンドン自然が壊されて行くのが恐ろしい。

   
   
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メーカーのカスタマー・サービス

2006年04月09日 | 生活随想・趣味
   コンピューターやコンシューマー・エレクトロニクス関連でトラブルが起きると、各社のカスタマー・サービスに電話を架けてお世話になることが多い。
   大企業に所属していた時には、トラブルが起きても総て担当者におんぶに抱っこで処理出来たが、組織を離れてしまって総て自分で処理せねばならなると、困ることが多い。
   最初は専門家に頼っていたが、それもままならず、勉強も兼ねて、マニュアルや参考書を頼りに、カスタマーサービスに電話を架けて、少しづつ自分自身で対応するように努力してみた。

   特に、コンピューターについては、年を取ってからの独習なのだが、ITデバイドの境ではあったが、どうにか回数を重ねて行くにつれてコンピューターにも慣れてきて、専門用語、キイボードやプログラムなどパソコンの扱い方が少し分かるようになってきた。
   このカスタマーサービスと言っても、各社の、対応やサービスの質はまちまちで、最近では相当改善されて来ているが、以前には殆ど電話が架からずに大変な時間を要して、問題の解決に何回もコンタクトする必要のある時などは、苦労の連続であった。

   私の場合、パソコンはNEC,プロバイダはぷらら、光等電話関連はNTT、それに、Windows XPだからマイクロソフトで、大体電話で対応するのはこの4社である。
   しかし、マイクロソフトについては、NECの付属ソフトで純正ではないのでサービスが限定されるとかバカなことを言うので五ダマをはねている。
   電話回線については、元々NTT一本なので、その紹介でプロバイダもぷららにしたのだが、フレッツADSL,IP電話、それにグレイドアップ、ひかり電話等々、変更の度毎に器機が変わるので大変であったが、ひかり電話に変えた時にぷららのIP電話が繋がらずNTTの技術スタッフが苦労していた。
   とにかく、今のところは、大したトラブルなく、電話もパソコンも作動している。

   肝心のカスタマーサービスについては、対応してくれる担当者がベテランで技術に習熟しておれば良いのだが、一寸お待ち下さいと言ってマニュアルを読んでいるような人に当ると目も当てられないのだが、時には、二箇所に指示を仰いだりあるいは電話の指示を反芻して自分で解決することもある。
   電話を片手に担当者の指示を受けながらパソコンを操作して問題処理に当るのだが、いずれにしろ、問題は解決したりしなかったりではあるが、各社担当者の対応は、相対的に親切丁寧で、結構、根気良く付き合ってくれるのに感心している。
   時には、指示されるパソコンの操作の意味が分からずにキイボードを叩いたり画面をクリックしたりしているだけなのだが、どうにかパソコンを自分で操作出来るようになったのは、各社のカスタマーサービスの人々のお蔭だと思っている。

   ところで、TV,DVDレコーダー、プリンター、カメラ、無線LAN,家電等で、メーカーのカスタマーセンターにコンタクトすることがあるが、面白くないのは音声サービスで、サービスの種類によってプッシュボタンを何回も押さされて、その挙句、担当者に中々架からずに待たされる場合である。
   それに、TVやDVDレコーダー、或いは、パソコンなどは連結して使用しており密接な関係があるにも拘らず、自分の担当の機種のトラブル処理しか出来ない担当者が結構多くて困ることが多い。

   助かるのは、修理などでメーカーへ発送する場合に、パッキングを含めて往復郵送料を1500円程度で宅配してくれることである。
   しかし、世界最高の工業製品の国日本のコンシューマーエレクトロニクス製品等の故障はあまりにも多すぎると思うのだが、私の買う製品の当たりが悪いのであろうか。
   とにかく、ヒット商品を出す有名大メーカーの商品ほど故障率が高いような気がするが、消費者はネームバリューだけで買って、気にならないのであろうか。

   カスタマーサービスにコンタクトせずに、トラブルを買った大手家電販売店や量販店等に言えばすぐに新品と取り替えてくれる、と言うメーカーがあるのだが、それだけ不良品があるということか、あるいは、不良品が出るのは当たり前の話なのか。
   未成熟の製品の販売を急ぎすぎる所為か、そう言えば、生産中止に近くなって熟成した製品には故障が殆どないと言うのも頷ける話ではある。
   
   このカスタマーサービスだが、最初と最後に必ず担当者の名前を名乗るので日本人だと分かるが、最近では、このバックオフイスを大連など外国に置く企業が出てきていると言う。
   デルの場合、日本語の怪しい担当者が出てきて困ったと言っていた知人がいるが、アメリカなどの場合は、昔から、バックオフイスの殆どを英語を使うアジア等人件費の安い外国に置いている。

   日本の場合どうなるのか。買った店に直接コンタクトするのなら別だが、最近では、近所の電気店やカメラ店で商品を買うことが殆どなくなり量販店やネットショップで買うことが多くなると、気軽に店で相談できなくなった。
   メーカーへのコンタクトは、このカスタマー・センターへの電話以外にアプローチの仕様がない。この窓口の対応のサービス如何が、顧客の商品へのロイヤリティを決定するきっかけになる。
   私には、カスタマーサービスは、謂わば企業の窓口、顔であり、手を抜くと顧客のしっぺ返しは手ひどい筈だと思うがどうであろうか。
   

(追記)椿は、白羽衣。

   
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中村歌右衛門五年祭・四月大歌舞伎・・・口上そして「井伊大老」

2006年04月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   中村歌右衛門が逝ってもう5年、4月歌舞伎は、その追悼5年祭と、玉太郎の松江襲名、5代目玉太郎初舞台を祝した晴れやかな舞台である。
   豪華な口上も面白く、舞台に華を添えていた。

   菊五郎が、先代萩の政岡の稽古を付けて貰っていた時に、菊五郎が「何が何して何とやら」と言った所で間髪を入れずに「音羽屋」と相槌を入れ、「と言われるようにやるんですよ」言ったと言う逸話を披露していた。

   雀右衛門の口上は、何時もひやひやして聞いているのだが、今回も、歌右衛門と雀右衛門と取り違え。しかし、晩年は、何時も成駒屋と一座して途中休演の代役として控えていたくらいだから、万感の思いであろう、女形の芸は総て歌右衛門から学んだと言い、最後の病床でも立ち上がって教えてくれたのが嬉しかったと語っていた。
   歌右衛門の芸は学べても、本当の歌右衛門の芸は肉体と共に滅びてしまって永遠に戻らないのだと、どこかで雀右衛門が言っていたが、一番それを知っているのは雀右衛門その人であると思う。

   左團次の口上は何時も面白くて楽しみなのであるが、今回は、マージャンに誘われたが冷房のない真夏の対戦で、暑くてやり切れず許しを得て裸になったは良いが、「汚いおへそだねえ」と言われて、その後お呼びがなくなった、と言う話をしていた。
   客席が前列上手過ぎて、菊五郎や雀右衛門はすぐ側だが、下手端に座っていた藤十郎や又五郎の口上が良く聞こえなかったのが残念であった。
   とにかく、舞台で至芸を演じる千両役者が、いざ、芝居の台詞ではなく、自分で何かを自分の意思で話すとなると、全く内容が貧弱で、とちったり上手く話せない人がいるのは面白い現象である。

   ロンドンから帰ってから歌舞伎座に通い始めたので、私が、歌右衛門の舞台を観たのは、3回だけで、「弧城落月」の淀の方、「建礼門院」、そして、幸いにも歌舞伎座の本興行の最後となった「井伊大老」のお静の方、である。
   この最後の舞台も、最後の3回は、雀右衛門に代わったようであるが、身体が不自由になっていたのであろう、動きを極力切り詰めた、しかし、身体全体で訴えかける至芸に、なぜ、あんなに初々しく可愛い女を演じられるのか舌を巻いて観ていた。
   身体も心も思いのままに自由で、何でも出来る境涯ではなし得なかったような、ぎりぎりの所で舞台を務める為には、一切の無駄や余裕を切り落として、今まで蓄積してきた芸のエキスと本質だけが抽出されて表現される、総てを心に任せて心の赴くままに昇華された、そんな舞台であった。

   ところが、今回は、養子の魁春がお静で、もう、生身の女がムンムンする、一途に直弼を思い嫉妬に悶える、可愛くて健気な側室を、今様の舞台でも全く異質感のない現代的なお静を、実に上手く演じていた。

   直弼を演じるのは、歌右衛門の時も魁春の時も、中村吉右衛門であるが、実父白鸚の極め付きの舞台を再現できるのは吉右衛門しか居ないのであろう。
   安政の大獄後の風雲急を告げる政争の中で、開国を突きつけられて死に直面する直弼のほんの束の間の平和な小休止を描いたこの作品だが、理屈抜きで直弼のお静への思い入れと愛に溺れ慟哭したい気持ちが痛いほど分かる。
   現在でさえ、世界認識のなさで政治経済が翻弄されている状態であるから、鎖国中で世界との交流を絶っていた当時としては、日本の将来など判るわけがなく、直弼の苦渋は大変であったであろう。

   吉右衛門は、お静との対話の中で、揺れ動く心の襞を実に丁寧になぞりながら、大老ではない1人の人間に戻って感動を込めて演じている。
   演じられる舞台が静かで平穏であればあるほど、背後の激動の世相が浮彫りにされてきて、吉右衛門が、時には現実を、時には、懐かしい昔の彦根の埋木舎を彷彿とさせながら、虚と実を使い分け、ふっと吾に返るあたり、実に上手い。
   仙英禅師に死を覚悟していることを見抜かれ、お静にも知られていることを知ってからの直弼は、総ての迷いを捨てて心のそこからお静に溺れ恋焦がれる、それは、お静に象徴される母の懐への回帰かも知れない。

   何時も感心するのだが、今回もそうだが、準主役としての仙英を演じる富十郎の存在感は抜群である。
   小屏風の直弼の筆跡に険難の兆しがあるとお静に明かす、静かで凛とした佇まいとその風格が、吉右衛門と好一対であり、清清しい。

   老女雲の井の歌江、側役宇左衛門の吉三郎も存在感を感じさせる演技で、非常に良質の「井伊大老」で、歌右衛門への素晴しい追善の舞台となった。
   
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椿が咲き乱れています

2006年04月07日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
増田兄

前略 その後ご無沙汰しておりますが、お元気のことと存じます。
   暖かくなったかと思えば、また急に寒くなる、まったくすっきりと落着かない天気の毎日ですが、お蔭で寒い所為か、まだ、近所の公園の櫻は見ごろが続いております。

   今年も、いつもの年のように、春の到来を忘れずに庭の椿が一斉に咲き揃いました。
   椿によっては隔年咲きであったり、気候の変化でタイミングがずれたり、自然の摂理に従って入れ替わってはおりますが、九月頃から少しづつ咲き続けていた椿が、毎年、桜の季節になりますと一挙に咲き乱れます。
   まだ、蕾の固い椿が残っていますが、5月の末頃まで花の咲く椿もあります。

   さて、この椿の咲き乱れるのを待って、楽しみにしていた貴兄より頂いた貴重な御作品「焼締花器」に登場願い、早速、思い切り椿を生けてみました。
   作法が分からないので、とにかく、貴兄の花器が隠れるくらい花を挿しましたが、椿の彩りだけで十分と言うことで、アレンジの不恰好はお許し下さい。
   ずっしりと重い、そして、優雅な球形を描いて程よい口を開いた、この力強い荒い地肌の備前様の花瓶が、しっかりと椿の枝を抱きしめて、華麗な椿を泳がせ踊らせてくれているのです。
   
   昨年は、手術で2週間の入院生活の後帰宅した時に、主の居ない庭に咲き乱れていた椿をいとおしんで、この花器を使わせて頂いたのですが、あれから一年、生の不思議と自然の営みの豊かさに感激しながら、しみじみと花瓶の椿を眺めています。
   私にとっては、これから毎年、桜の季節には、貴兄に頂いたこの花器を取り出して、このように出番を待っている椿を思い切り飾って、生きることの大切さを噛み締める良いチャンスを頂いた、と思って感謝しております。

   何時も肝に銘じて感じているのですが、この美しい椿の花びらも、庭の石ころも、そして、私自身の身体も、この世の中の総ては、原子、分子の段階まで分解すれば総て同じ物質の集まり。そう考えれば、総て同じなのですよね。
   たまたま、沢山の分子たちが,(その分子が椿になっていても、石になっていても不思議ではない同じ分子なのに、)偶然に集まって私の身体を作り上げてくれているのですが、このことさえ不思議で仕方がない。
   しかし、それにもまして、たまたま形作られた私の身体に、私と言う意識を持った人間が生きている、意識はどうして何処から生まれて来たのか全く信じられないことですが、これは正に奇跡中の奇跡としか言いようがない、何時もそう思って生の不思議とその神秘さに畏敬の念を覚えて感激しております。

   明日は、お釈迦さまの誕生日。以前に、奈良の法華寺を訪れた時、庵主さまが、仏前に並べた茶碗に一輪づつ椿の花を浮かべて仏を荘厳されていましたが、椿は、丁度、お釈迦さまの誕生日頃に一番美しく咲く花ですから、喜ばれるのでしょうか。

   椿は、本来日本や中国の花木ですが、ポルトガル人と一緒に海を渡って、ヴェルディの椿姫の頃は、大変な人気でカメリア・ブームを捲き起こし、その後、欧米では、沢山の椿が、薔薇のように豪華な花に品種改良されています。
   国粋主義ではありませんが、この花器の椿は、意識して総て日本椿。日本でも、牡丹を意識したのか、随分豪華で美しい花を作出しています。
   花弁がすぐに落ちるので、一頃は忌み嫌われましたが、それもいとおしい花の命、私は、椿が一番素晴しい花木だと思って育てています。

   素晴しい春の到来を、貴兄の花器に生けた椿のムンムンする香りに包まれながら感じつつ、その喜びをお伝え致したくパソコンをたたいております。
   あらためて、花器のお礼を申し上げ、同時に、季節の変わり目、貴兄のご自愛をお祈り致したいと存じます。    早々  
   

   
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イノベーションと経営(10)・・・発明が生まれる時(その3)

2006年04月06日 | イノベーションと経営
   シュワルツはチャーチルの「成功は情熱を失わずに失敗から失敗へと突き進むことによって成し遂げられる」と言う言葉を引用して、EMBRACING FAILUREと言う章を設けている。
   失敗を糧にすると訳されているが、失敗を抱きしめる、失敗を機会として乗ずる、失敗に取り組む、そんな感じを総て包含した言葉であろうか。

   稀有な発明家アップルコンピューターⅡのスチーブ・ウォズニアックと携帯用小型透析器「ホームチョイス」やロボットのディーン・カーメンが会話の中で、「自分達の失敗を洗いざらい披露し、どんなに失敗を望んでいるかを得々と話し、実験室での数々の失敗と惨憺たる結果について自慢話をしていた」と言うのである。
   カーメンは、失敗すかも知れないと思うとかえって勇気が湧くと言っているが、発明家にとっては「失敗はやる気の源」なのであろう。

   一人用電動立ち乗り二輪車「セグウェイ」を開発したカーメンの会社DEKAでは、ミスを許す社風があるばかりではなく、独創的なアイデアに溢れた失敗に対して奨励制度を設けている。
   王子様に会うためには沢山カエルにキスしなければならないと言う童話にヒントを得て「カエル賞」と命名し、エンジニアに思い切った失敗を奨励しているのである。

   ところで、今日の日経の一面コラム「春秋」に、都庁から虎ノ門の官庁街に行くのにあらゆる交通機関の中で、一番早いのは自転車だったと書いてあったが、全人口の半分以上が住む都会地で、カーメンの「歩く4倍の速さで移動出来て、歩行者よりもほんの少し多めの場所しか取らないセグウェイ」は、素晴しい発明でありイノベーションではないであろうか。
   充電式のバッテリーをスターリングエンジンに変えるなど改良中のようだが、実用化すれば世の中が変わる。

   この失敗の重要性については、別な面からメジチ・インパクトのヨハンソンも触れている。
   画期的なイノベーターは、素晴しいモノを作り出しもするが、玉石混交、膨大な量のアイデアを生み出しもすると言うことである。
   例えば、演奏されるバッハやモーツアルト、ベートーヴェンの曲は全体の3分の1程度に過ぎないし、日の目を見たピカソの絵も極一部だし、アインシュタインの論文など殆ど引用さえされないと言うのである。

   UCDのD・サイモントンは、成功と多作との関係について、「イノベーターは、成功したから多くを生み出すのではなく、多くを生み出すから成功するのだ」と言っている。
   すなわち、量と質の間には相関関係があって、発明やイノベーションを生み出すためには、継続してアイデアを出し続けることが必須なのであろう。
   とにかく、失敗、失敗、失敗の連続で、あらゆる可能性を追求・模索しているうちに何時かは成功すると言うことであろう。
   
   クラシック音楽の作曲家が数多くの傑作を生み出した時期は、沢山の失敗作を生んだ時期でもあり、ある人が画期的なアイデアを生み出したからと言っても、同じ事をやってのける確率が高まる訳ではないと言う。
   要は、下世話な表現だが、「下手な鉄砲数打ちゃ当る」と言うことでもある。

   本論とは全く離れてしまうが、
   有名画家の作だからと言っても、駄作である確率も高いのだから、十分に吟味もせずに有難がって買う人はバカを見ると言うことも言えると言うことであろう。
   ネームヴァリューだけで価値を持つ世の中、考えて生きなければならないと言うことでもある。

(追記)椿は、ワイルド・ファイア
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イノベーションと経営(9)・・・発明が生まれる時(その2)

2006年04月05日 | イノベーションと経営
   「発明家の思考回路」には、大発明家としてエジソンの逸話が数知れず出てくる。
   その中で、面白いのは、いくら斬新で素晴しい発明であっても、喜ばれなくて総スカンを食うことがあると言う例である。
   時代に先駆けすぎて失敗する発明や技術がいくらでもあるが、その発明が、成功の期待できる発明かどうかと言うことは、イノベーションには極めて重要な要件なのである。

   エジソンの苦い経験は、マサチュセッツ州議会で議事の集計に手間取っているので、これを解決する為に電気投票記録機を製作した時のことで、こんなものは全く不要だと言って一蹴されてしまった。
   指名点呼投票の混乱と遅れに乗じて、その時間を利用して議論や駆け引き、引き伸ばし戦術や長演説等で反対派を懐柔したりする、少数派から唯一の駆け引きのチャンスを奪い、少数派の手足を縛って多数派に引き渡す暴挙だと言うのである。
   何か、産業革命時代の機械取り壊しのラダイツ運動を思い出すような話であるが、こんな例はいくらでもある。

   もう一つ、シュワルツが発明で重要だと強調するのは、パターン認識である。
   発明を生む素晴しいインスピレーションは、斬新かつ柔軟な発想から生まれると考えられがちだが、実は、過去の古い経験の蓄積、即ち、パターン認識が発想のツールとなる場合がある。

   これもエジソンの例であるが、エジソンは、自分で新聞を発行していた時の印刷機も、電信符号の再生装置を作った時も、シリンダーを使っていた。
   エジソンのお気に入りは、円筒形の回転式シリンダーと針だったのである。
   エジソンは、このシリンダーを活用して「話す機械」を発明して一躍有名になった。
   音の情報を記録する為に表面に溝のあるシリンダーを水平に設置して音の振動を記録し、その溝を別の針で読み取って音を再生する。
最初は鋼鉄製シリンダーに巻きつけた硬質蝋に、後に蝋円盤になったが、あの電話を発明したベルが先を越されて残念がった蓄音機である。
   余談だが、耳が殆ど聞こえなくなっていたエジソンは、音響機器に接続した金属板を歯で噛んで音を聴いたのだが、あの素晴しい交響曲第九番「合唱つき」を作曲したベートーヴェンと同じで、天才とはかくも偉大なのか、鬼気迫る話である。
   ロンドンに居た時、シティのギルドホールで、イブリン・グレニーの素晴しい木琴演奏を聴いたが、彼女も振動で音を聴いて演奏していた。もしや、あのベートーヴェンにも、このように聞こえていたのかも知れないと思って感激したのを覚えている。
   エジソンは、映写機を作る時も最初はシリンダーを使ったように、このシリンダーは、何度もエジソンの発明に活躍している。

   話は飛ぶが、発明には、セレンディピティ(予期せぬ幸運)が大きな役割を果たすと考えているが、発明に繋がった過失やアクシデントは、相応しい時に、相応しい場所で、相応しい人に起こるのだと言う。
   凡人には、何にも感じないような風景を見て、詩人は詩情を感じて素晴しい歌を詠む、あの心境なのであろうか。養老先生の言う違いが分かる男が科学者であり発明家なのかも知れない。
   ノーベルは、実験中にガラスで指を切り傷口にコロジオンの軟膏を塗ったが、痛くて堪らない。しかし、このゲル状の物質が実験で特別なものに使えないかと分析して、揮発性のニトログリセリンとコロジオンを混合してゲル状のダイナマイトを作った。
   メストラルは、森の中を歩いてズボンにくっ付いたオナモミを見て、そのとげの先端が鍵状に小さく曲がっているのに気付いてナイロン製の面ファスナーを発明した。
   
   セレンディピティ、チャンス、幸運と不運、アクシデント、偶然の重なり――成功のヒミツは、このような気まぐれな出来事に深い意味を見出して最大限に活用して、それを自分の手で好機に変えてしまうこと。幸運はこうして引き寄せよ、と言うのである。
   
    MITのエジャートンは、「勤勉と忍耐力と注意深さ、そして型にはまらない発想が出会った時にこそ、科学者はしかるべき時にしかるべき場所でセレンディピティを見出す」と言う。
    先のパターン認識と比べて、同じなのは勤勉と忍耐力と注意深さだけ、とにかく、発明は、人並みはずれた忍従を科学者に課しているいるように思うのだが、これが楽しくて仕方がないと言う科学者がおられると聞く。

   誰でも発明家になれるとシュワルツは言うが、発明家とは、やはり、私には別世界に居る人のように思えて仕方がない。

(追記)椿は、崑崙黒。
   
   
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イノベーションと経営(8)・・・発明の生まれる時(その1)

2006年04月04日 | イノベーションと経営
   イノベーションの基になるのは、基礎科学から生まれるインヴェンション(発明)であるが、それでは、この大切なシーズである発明はどのようにして生まれるのであろうか。
   それを知りたくて、エヴァン・I・シュワルツの「発明家たちの思考回路 奇抜なアイデアを生み出す技術 JUICE :THE CREATIVE FUEL THAT DRIVES WORLD-CLASS INVENTORS」を読んだ。

   シュワルツは、「発明は必要の母」だと言う。
   優れた発明は、必要を満たす為に生まれたと考えられがちだが、本当は発明が先にあってそこから必要が創出される。電話も電気も飛行機も、発明される前には殆どの人は想像さえしなかったが、いざ世の中に生まれてみると人々の生活に欠かせないものとなった。
   発明家は、困難な課題を独創的な視点で捉え直すことで満たすべき必要を浮かび上がらせ、新しいものに変えてしまう。新しい可能性は発明家の頭の中ではぐくまれる、と言うのである。

   発明家の発明家たる所以は、人と違う考え方をしてみることに喜びを見出す才能であって、何かを創り出そうとする内なる衝動を持っている頭脳労働者である。
   発明家が可能性を創出しようとする原動力は、子供時代の経験や想像から生まれる。新しいものを創造するのは、知性ではなく、内的必然から働きかけてくる遊びの本能である。

   発明家は、ヒット商品のアイデアを最初に思いつく者ではなく、様々な分野からアイデアを集めて他人の思い描いたことを実現する者のことで、いくつもの異なる分野の発明家がチームになって互いに刺激しあうのが上手く行く。  
   自然も発明家で、医療、素材、人工知能の分野での驚異的な技術革新は、自然が生んだ仕組みのアナロジーにヒントを得ている。
   発明は、芸術の創造性と相通ずるところがある。科学的な筈の発明が、右脳の活躍とも言うべき芸術を生み出す人間の営みと相通ずる、と言うのである。
   
   これ等は、シュワルツが指摘する発明家についてのコメントの極一端であるが、これだけ読んだだけで、もう日本の教育が、如何に発明家を育む環境に程遠いかが分かって暗澹としてしまう。

   日本は昔から、読み書きソロバン、左脳を重視する教育は重視するが、幼少から秀でた才能を引き出す教育、或いは、豊かな発想を生み出す右脳教育は軽視してきた。
   数学が出来なければ数学を勉強させて総ての学科で平均点を上げる互換性の利く工業社会用のスペアパーツ人間ばかりを育成してきた。
   学ぶ喜びを、そして、創造する喜びを、日本の教育は子供達に教えなかったのである。
   日本の教育の基準から行けば、アインシュタインやチャーチル、マルコーニなどは右脳人間で子供の時は落ちこぼれであったので、埋もれてしまっていたであろう。
   
   科学や文化の総合性の必要を説くのは、先に紹介したメジチ・インパクトでヨハンソンが指摘した文化・文明の交差点理論。――「異なる文化、領域、学問が一ヶ所に収斂して百花繚乱、ぶつかり合い融合しあって新しい画期的なアイデアを生み出し、創造性が爆発したのがあのメジチ家が主導したルネッサンスのフィレンツェ」。発明・創造性・イノベーションを生み出すのは、異質な文化・文明がぶつかり合って鬩ぎ合い、このメジチ効果を生み出す「交差点」なのである。
   私がMBA教育を受けたウォートン・スクールでは、学問の乗り入れ自由で、ペンシルヴァニア大学のどの教科の授業の受講も自由であったし、専攻の異なるあらゆる分野の学生が同じクラスで席を並べて勉強していた。
   大体、学部と言う概念・認識がなく、スクールも大学によって異なっていて、学問はすべて学際。
   ところが、日本では依然明治時代からの学部区分が存在し、法学部と経済学部の交流さえままならず、況してや、理工学部や医学部、農学部等とは没交渉で乗り入れがない。
   折角の知の集積がありながら、東大や京大でも、総合大学の実は全く上がっていないと言う。

   偉大な日本の頭脳が、スポーツや芸術分野だけではなく、海外に流出している。
   アメリカが、いまだに活力があるのは、万難を排して世界中から優秀な頭脳を集めているからであり、科学者の相当数は外国生まれである。
   アベグレンが、学生の時に、シカゴ大学がイタリアからエンリコ・フェルミを略奪(?)して来た例をあげて、日本の経済の活性化の為には、日本も世界的な科学者や学者を招聘すべきであると提言していた。
   しかし、もっと大切なことは、日本の教育制度を根本的に見直して、日本人自身が、創造的かつ独創的なアイデアを生み出せる環境を創り出すことだと思っている。

(追記)椿は、ジョリーパー。
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イチローの愛国心

2006年04月03日 | 生活随想・趣味
   今回のWBCは、実力のなせる技とは言え、奇跡的にも運命の女神の微笑によって、日本が優勝したとも言える面もある。
   しかし、いずれにしろ、国際舞台での競争(Competition)について、色々なことを教えてくれる貴重な経験でもあった。

   最も重要な教訓は、神様の仕業かどうかは知らないが、有り得ないような偶然によって色々なことが発生して、時には運命が逆転してしまうことがあると言うこと。
   すなわち、多くの歴史の厳粛な事実は、偶々、何かの偶然による振り子の振れによって、推移してきたと言うことで、恐らく必然と言うことは有り得ないのではないかと言うことである。

   ところで、今回のWBCの推移を見ていて、強烈に印象に残っているのは、イチローの日本人としての振る舞いと言うか、言動を含めて示した行動の数々で、日本人としてのアイデンティティを強く感じさせたことである。

   TVでイチローのインタヴューを見ていて、一番印象に残っているのは、優勝の翌日に言っていた言葉である。
   たしか、今度の日本チームは最高のチームでこのチームで一年大リーグでやってみたいと言った後で、アメリカでは10伝えるのに15説明しなければならないが、このチームでは2か3言えば伝わる、と言っていた。
   いくら実力者とは言え、イチローは、異文化国アメリカの中で、大変なカルチュア・ショックを経験しながら大変な苦労をしてきたのだなあと感に耐えなかったのである。

   言葉の問題もあろうが、まずアメリカと言う異文化の社会で生きて行く為には、日本の経済社会と全く違うアメリカの文化伝統は元より、価値観と生活習慣を理解してそれに慣れなければならない。
   その上に、アメリカの場合は、人種の坩堝で色々な歴史的民族的背景を背負った異邦人と遭遇せねばならず、これがまた大変で、単一民族で、単一の日本語を喋り、文化と伝統を共有し同じ価値観を共有しており、殆ど説明せずに理解し合える日本とは全く違う。

   イチローの場合は、これまで実績により実力で自分の存在価値をアピールして来た。
   特に、歴史上稀に見るリーディング・ヒッターとしての年間最多安打の記録を残した時点で、アメリカと言う異文化の中での重圧から開放されて自分自身に目覚めたと思っている。何も、恐くなくなったのである。
   次に、湧き起こるのは、当然、故国日本への熱き思いである。
   異国に居て、異文化の中で生活していると、何を置いても何時も思い出すのは故国日本のこと、懐かしい故郷や友たちのことで、それに、日本の文化や歴史や社会など、気付かなかった日本の良さが痛いほど分かってくる。

   イチローは、迷うことなく日本チームに合流して日本の国旗をバックに戦う決心をして喜び勇んで合宿に合流した。
   この中で、イチローは痛いほど自分の日本人としてのアイデンティティに感激し日本人であることの幸せと王監督やチームメイトとの生活の中で、今までになかった最高の幸せな団体生活・社会生活を送れたのだと思う。
   大リーグの実力を知っているイチローには、王監督に率いられる日本のチームは最高だったはずで、この思いが、対韓国戦でのイチローの発言に如実に示されている。
   ここで、それまで1人で孤独な戦いをして来たイチローに、心を通じ合える幸せな仲間達と共にチームで戦うことが如何に喜びであるかを感じさせたのだと思っている。

   WBCでは、リーグ編成で、アメリカは、大リーガーが目白押しのドミニカ、プエルトリコ、ヴェネズエラ、それに、実力NO.1のキューバを外して、御し易いと思った日本、韓国、カナダを自分達のリーグに入れる姑息な策略を取ったが、簡単に敗退して、マスコミから、これからベースボールと言うのではなく「ヤキュウ」と呼ぼうと揶揄されてしまった。
   審判の判定が問題になってアメリカに負けたが、オリンピックでも、日本選手が優勝すれば自分達に有利なようにルールを変えてしまう、フェアな筈の欧米が平気でアンフェアなことをする。
   そのような逆境の中で、異文化との遭遇に苦しみながら、スポーツでも芸術でも、そして仕事でも、日本人は外国で戦わなければならないのである。

   異国アメリカの大リーガーとして、イチローは人知れず大変な辛酸を舐め苦労に苦労を重ねて今日の自分を築いてきたので、イチローの頭には優勝以外にはなかったのではないかと思っている。
   韓国に対する発言に物議を醸したが、韓国チームが問題ではなく、あの時のイチローには優勝のための途中の躓きは許されなかったのであろう。

   優勝後のWBCについての主なアメリカの新聞の電子版を読んだが、たった大リーガーが2人の日本が勝ったことに一様に感心していた。
   ワシントンポストには、松井や城島が出なかったことに触れ、特に、松井がノーサンキューと言って辞退したことが日本で問題になっていると伝えていた。

   日本では大変なヒーローのように思われているが、松井にしろ城島にしろ、実力の世界アメリカ社会はそんなに甘いものではなく、まだ彼らの地歩は極めて脆弱であり、結果が悪くなれば何時でも放逐されて転落する、その瀬戸際で戦っているのであり、脇目を振っている余裕などないのである。
   従って、今回の日本チームへの不参加は、苦渋だが穏当な決断だったと思う。
   余談ながら、今回の日本チームへの大塚選手の参加は特筆に価すると思っている。

   世界屈指のマエストロの一人としてボストン交響楽団の正指揮者を10数年続けていた当時の小澤征爾でも、インタヴューで、机の淵に指を這わせながら、自分の地位はこの机の縁を歩いているようなもので勉強と精進を怠ると何時谷底に落ちるか分からないのだと言っていた。
   小澤征爾も、イチローも、ゆくゆくは、結局、日本に帰って来て、日本の為に後進の指導等日本で活躍するのは間違いないと、私は思っている。

   海外生活を14年もやると色々な経験をするが、野球音痴を覚悟で、自分の経験を通して、イチローの熱い思いに感激したので雑感を綴ってしまった。
   異文化に遭遇すればするほど、その挑戦が強烈であれば強烈であるほど、日本の良さに痛いほど感じ入って、日本人としてのアイデンティティに強烈に目覚める。
   
(追記)黒椿は、ナイトライダー。
   

   
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イノベーションと経営(7)・・・イノベーションはユーザーが創造

2006年04月02日 | イノベーションと経営
   MITスローン・スクールのイノベーション・マネジメントのエリック・フォン・ヒッペル教授が、DEMOCRATIZING INNOVATION(民主化するイノベーションの時代)と言う著書で興味深いイノベーション論を展開している。

   製品やサービスのイノベーションは作り手であるメーカーが作り出すものと考えられているが、実はそれだけではなく受け手であるユーザー自身もイノベーションを起こす。その能力と環境が益々増えている。著者は、この傾向をさしてイノベーションの民主化と言うのである。
   要するに、イノベーションは、メーカー自身の専売特許ではなくて、ユーザーが必要に応じて作り出すことが多くなってきたと言うことである。
   この場合のイノベーションは、製品の改良とか進化とかと言った意味であるが、ユーザーがメーカーから買った製品を、自分自身でドンドン改良したり進化させて付加価値を付けている。

   この民主化過程は、ソフトウエアだけではなくハードウエアでも生じており、コンピューターやITの不断の進歩に伴って、ユーザーの貢献度合いが益々高まって来ている。
   多くのユーザーが自ら設計することによって自分のニーズにピッタリ合った製品を作り出すことが益々容易になり、このユーザーによるイノベーションの社会的貢献は大きい、と言うのである。

   ユーザー・イノベーションの多くは、重要な市場動向に関して多数のユーザーに先行して、自らのニーズを充足させる高い効用のソリューションを見つけ出す「リード・ユーザー」によって引き起こされることが多い。
   ユーザーにとって、自分で作るか購入するかについては、エージェンシー・コストなどコスト要因が働くが、イノベーションや問題解決の喜び、イノベーションを通じての学びなどインセンティブもある。

   ユーザー・イノベーターは、自分にとっても最適であると同時に唯一の選択肢でもあり、自分の名声の高まり、伝播による正のネットワーク効果などを考えて、自分の開発したイノベーション情報を、殆ど総て、オープンソース、無料公開している。
   また、自分達の活動を組み合わせ、レバレッジを利かせる為に、協力関係を志向してメーカーを含めたイノベーション・コミュニティを作る。

   このようにユーザーが無料で公開するイノベーションが存在することは、社会福祉的にもプラスではあるが、現状の法体系は、知的財産の保護の観点等からもメーカー有利になっており、ユーザー・イノベーターを犠牲にしないような政策立案が必要である。

   ユーザーは、全員が自由に利用できる情報の集合体「情報コモンズ」を共同で構築し、現在は知的財産で保護されている情報の代わりに情報コモンズの情報を利用する。
   このようにしてユーザー・イノベーターは、無料公開された代用品を利用することによって知的財産法の制限の周辺で効果を上げている。
   この典型的な例は、マイクロソフトとリナックスの関係であろう。

   ソフトウエアとハードウエアの着実な進歩、イノベーション用の簡便なツールや部品が入手しやすくなっているという環境、そしてイノベーション・コモンズへのアクセスが着実に大きな広がりを見せている結果として、ユーザーが自らイノベーションを起こす能力は急激かつ急速に進歩している、と指摘する。
   イノベーションは、益々、民主化する、と言うことである。

   デジタル化の進行によって、最近では、まったくの小企業が部品を集めて薄型のデジタルTVを組み立てて破格の格安値段で販売している。
   また、自分好みの自分だけのパソコンを組み立てる講習会が開かれていて、高校生が自分用のパソコンを組み立てている。
   デルによるパソコンの革新的な販売戦略にビックリしたのは、ほんの少し前だが、自動車でも、カメラでも、何でも器用なユーザーは昔から自分で製品を改良して楽しんでいた。
   
   現実には、日本の工業製品の大半は、電気製品を筆頭に製品のバリエーションは豊かで選択肢は沢山あるように思われるが、大概、帯に短し襷に長しで、メーカーのお仕着せであり、満足できたためしがない。
   
   このヒッペルのデモクラタイジング・イノベーションは、メーカーに極めて重要な製品開発と営業販売に関する重要な示唆と戦略を与えている。
   ユーザーと如何に対するのか、ユーザー・イノベーションを企業戦略に如何に取り込むのか等々、メーカーは、ユーザーあっての製品及びサービスの販売であると言う原点に立ち返って経営戦略を打て、と言うことであろうか。
   
(追記)椿は、玉之浦
   

   
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民主党の迷走・・・マネジメントの欠如

2006年04月01日 | 政治・経済・社会
   民主党が、偽の送金メール事件の責任を取って、前原代表以下総退陣を決めた。
   若手グループの暴走の結果でありベテランに党の主導権を、と言う動きが起こっているようだが、問題の本質を無視した本末転倒の議論に、民主党の未来に暗雲をみた。

   今回の偽メールに振り回された最大の理由は、民主党には、巷の経済界で議論されているコーポレート・ガバナンス、即ち、民主党と言う組織を統治する機構・システムの不備で、代表を筆頭に民主党執行部に自党の組織を統治する能力が殆どなかったことによる。
   端的に言えば、危機管理は勿論のことマネジメント能力の完全なる欠如で、公党としての組織の体をなしていなかったと言うことであろう。
   普通にコーポレート・ガバナンスが働いている会社ならば、永田議員が質問に立つ前にブロックされ十分精査される筈で、こんな初歩的なミスは起こり得ない。
   前回の衆院選の大敗や岡田体制の崩壊も、初歩的なマーケットリサーチ論や経営戦略論等の経営学の基礎知識が多少さえあれば世相の風向きを読み得た筈で、避け得たことは間違いない。

   日本人にとっては経営の神様であるピーター・ドラッカーは、晩年は、コーポレーションの横暴に失望して資本主義の未来に見切りをつけて、ガール・スカウトや学校、教会等NPOやNGOなど本来は経営学など必要ないと思われている分野に、ボランティアとして経営を教えコンサルタントを行っていた。
   このような組織こそ、経営学の手法が有効であることを知悉していたのである。

   偽メール事件が些細なことだとは思わないが、日本のマスメディアもこの事件に翻弄されて過剰なほど執拗に報道を続けて、政治の空洞化と空転に貢献して来た。国民が喜ぶから報道したと言うかも知れないが、その責任は重い。
   竹中大臣が、今回の問題やライブドア問題などで日本中が狂奔して騒いでいるのを一番喜んでいるのは官僚であると、はき捨てるように言っていたが、4点セットなどの小泉政権の失政は免罪符を与えられた感じになってしまった。
   これから景気が上向けば、問題などみんな忘れてしまって、日本の政治も経済も社会も新しい方向に向かって浮かれ始める。

   民主党の統治についてであるが、自党さえマネッジ出来ないような公党がどうして日本国の統治など議論できるのか。
   CSRや党の社会的責任を含めて、一般企業のように、党を如何にマネジメントすれば公党としての責任を果たせるのか、一から経営学の管理手法を学ぶべきであり、一刻も早く有効な統治・管理システムを確立すべきである。
   これは、何も民主党だけではなく他の公党も同じである。

   少し前に酒類販売組合の年金基金の流用が問題になったことがある。
   このような業界団体や民間の多くの組織には、持ち回りの名誉職の役員が居るだけで、その維持管理・運営は事務局任せのようで、殆ど統治・管理システムが機能していないと聞くが、同じ様な不祥事は必ず起こり得る。
   もう一度、ドラッカー先生の教えに従って、何かを目的にして活動する組織や団体には統治・管理システムが必要であり、それがなければ不祥事の発生は必定であり組織としての体をなさないのであると言うことを肝に銘じて、経営学を学ぼうではないか。

   民主党の改革だが、百戦錬磨のベテラン議員が統治すれば良くなると考えるのは、歴史の針を逆に回すのと同じこと、何の改革にもならない。
   前述したように、今回の不祥事は、マネジメント体勢の欠如であって若手政治家の経験不足による不手際だけではない。
   次の総理が安倍官房長官であるならば、民主党が古参政治家による執行部体勢を立てれば、若さと清新な政治で改革と革新のお株を奪われてしまって民主党の明日は全く暗くなる。
   
   先の参議院選挙で民主党が勝ったのは、改革への強い方向性を国民に示したからで、逆に、今度の衆議院選挙で負けたのは、小泉自民党の方が革新的に見えたので先の無党派の改革志向派が寝返った為である。
   今でも、どちらかと言えば、自民党の方が革新的で強烈かつ改革政党のように見えてしまっている。
   アメリカ型弱肉強食の市場重視の資本主義政策に比重を置いている筈の小泉内閣に対して、経済界が比較的醒めた対応をしているのも、この所為かも知れない。

   老壮青と女性のバランスが大切だと能天気なことを言っているが、国民はバランスなど一切気になどしていない。
   改革、革新、何か本当にやってくれる清新な政治を求めているのである。
   日本国民は、古色蒼然とした何の新鮮味もない昔の名前で出ている政治家などには飽き飽きしていて、その拒絶反応は凄まじい。民主党も抵抗勢力淘汰に成功した自民党の上を行く改革をしない限り、国民の支持は得られない。
   どうする、民主党!
   元々寄り合い所帯の民主党だが、このままでは墓穴を掘るだけのような気がして仕方がない。

   
   

   
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