熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イノベーションと経営(8)・・・発明の生まれる時(その1)

2006年04月04日 | イノベーションと経営
   イノベーションの基になるのは、基礎科学から生まれるインヴェンション(発明)であるが、それでは、この大切なシーズである発明はどのようにして生まれるのであろうか。
   それを知りたくて、エヴァン・I・シュワルツの「発明家たちの思考回路 奇抜なアイデアを生み出す技術 JUICE :THE CREATIVE FUEL THAT DRIVES WORLD-CLASS INVENTORS」を読んだ。

   シュワルツは、「発明は必要の母」だと言う。
   優れた発明は、必要を満たす為に生まれたと考えられがちだが、本当は発明が先にあってそこから必要が創出される。電話も電気も飛行機も、発明される前には殆どの人は想像さえしなかったが、いざ世の中に生まれてみると人々の生活に欠かせないものとなった。
   発明家は、困難な課題を独創的な視点で捉え直すことで満たすべき必要を浮かび上がらせ、新しいものに変えてしまう。新しい可能性は発明家の頭の中ではぐくまれる、と言うのである。

   発明家の発明家たる所以は、人と違う考え方をしてみることに喜びを見出す才能であって、何かを創り出そうとする内なる衝動を持っている頭脳労働者である。
   発明家が可能性を創出しようとする原動力は、子供時代の経験や想像から生まれる。新しいものを創造するのは、知性ではなく、内的必然から働きかけてくる遊びの本能である。

   発明家は、ヒット商品のアイデアを最初に思いつく者ではなく、様々な分野からアイデアを集めて他人の思い描いたことを実現する者のことで、いくつもの異なる分野の発明家がチームになって互いに刺激しあうのが上手く行く。  
   自然も発明家で、医療、素材、人工知能の分野での驚異的な技術革新は、自然が生んだ仕組みのアナロジーにヒントを得ている。
   発明は、芸術の創造性と相通ずるところがある。科学的な筈の発明が、右脳の活躍とも言うべき芸術を生み出す人間の営みと相通ずる、と言うのである。
   
   これ等は、シュワルツが指摘する発明家についてのコメントの極一端であるが、これだけ読んだだけで、もう日本の教育が、如何に発明家を育む環境に程遠いかが分かって暗澹としてしまう。

   日本は昔から、読み書きソロバン、左脳を重視する教育は重視するが、幼少から秀でた才能を引き出す教育、或いは、豊かな発想を生み出す右脳教育は軽視してきた。
   数学が出来なければ数学を勉強させて総ての学科で平均点を上げる互換性の利く工業社会用のスペアパーツ人間ばかりを育成してきた。
   学ぶ喜びを、そして、創造する喜びを、日本の教育は子供達に教えなかったのである。
   日本の教育の基準から行けば、アインシュタインやチャーチル、マルコーニなどは右脳人間で子供の時は落ちこぼれであったので、埋もれてしまっていたであろう。
   
   科学や文化の総合性の必要を説くのは、先に紹介したメジチ・インパクトでヨハンソンが指摘した文化・文明の交差点理論。――「異なる文化、領域、学問が一ヶ所に収斂して百花繚乱、ぶつかり合い融合しあって新しい画期的なアイデアを生み出し、創造性が爆発したのがあのメジチ家が主導したルネッサンスのフィレンツェ」。発明・創造性・イノベーションを生み出すのは、異質な文化・文明がぶつかり合って鬩ぎ合い、このメジチ効果を生み出す「交差点」なのである。
   私がMBA教育を受けたウォートン・スクールでは、学問の乗り入れ自由で、ペンシルヴァニア大学のどの教科の授業の受講も自由であったし、専攻の異なるあらゆる分野の学生が同じクラスで席を並べて勉強していた。
   大体、学部と言う概念・認識がなく、スクールも大学によって異なっていて、学問はすべて学際。
   ところが、日本では依然明治時代からの学部区分が存在し、法学部と経済学部の交流さえままならず、況してや、理工学部や医学部、農学部等とは没交渉で乗り入れがない。
   折角の知の集積がありながら、東大や京大でも、総合大学の実は全く上がっていないと言う。

   偉大な日本の頭脳が、スポーツや芸術分野だけではなく、海外に流出している。
   アメリカが、いまだに活力があるのは、万難を排して世界中から優秀な頭脳を集めているからであり、科学者の相当数は外国生まれである。
   アベグレンが、学生の時に、シカゴ大学がイタリアからエンリコ・フェルミを略奪(?)して来た例をあげて、日本の経済の活性化の為には、日本も世界的な科学者や学者を招聘すべきであると提言していた。
   しかし、もっと大切なことは、日本の教育制度を根本的に見直して、日本人自身が、創造的かつ独創的なアイデアを生み出せる環境を創り出すことだと思っている。

(追記)椿は、ジョリーパー。
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