熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

平山郁夫著「ぶれない―骨太に、自分を耕す方法 」

2018年10月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   平山郁夫先生については、随分、本も読んだし絵画展にも出かけたし、それに、講演会でも貴重な話を聴いており、よく存じているので、人生の総決算との言うべき、或いは、白鳥の歌とも言うべき、未来の人々への遺言のようなこの貴重な本は、正に、感動と感銘の反芻であった。

   私は、奈良をしばしば訪れて、西ノ京の薬師寺や唐招提寺を訪ねるのだが、薬師寺玄奘三蔵院伽藍の平山郁夫画伯の手による大唐西域壁画を拝観した時には、広大な大広間にただ一人でもあった所為か、正に、三蔵法師の境地、
   感激の限りを尽くして、長くたたずんでいた。
   

   大唐西域壁画は、特別展の説明によると、
1976年(昭和51)に薬師寺・高田好胤管主(当時)の依頼により制作が決定。100回を超える現地取材を重ね、制作期間は20年以上に渡ります。2000年(平成12)の大晦日に薬師寺玄奘三蔵院において入魂の「開眼供養」が行われました。画面の全長は約37メートル。壁面13面に中国・長安からインド・ナーランダ寺院へ至る7場面が描かれ、場面中の時間は朝から夜へと推移してゆきます。
   第1画面「明けゆく長安大雁塔・中国」、第2画面「嘉峪関を行く・中国」、第3画面「高昌故城・中国」、
   口絵写真は、第4画面「西方浄土須弥山」、第5画面「バーミアン石窟・アフガニスタン」、第6画面「デカン高原の夕べ・インド」までで、第7画面「ナーランダの月・インド」
   仏教の原点を求めて、三蔵法師がインドへ向かった壮大な苦難の旅の軌跡を渾身の画筆に託して、平山画伯が描ききった凄い大作である。
  
   さて、何故、このブックレビューで、この「大唐西域壁画」から書き始めるかと言うことだが、これは、私自身が感動したと言うこととは別に、平山画伯の人生と画業の遍歴において、仏教と出会いに始まって、シルクロードへの傾斜が、極めて重要であったと言うことでもあるからである。
   30歳直前、人生これからという時に、広島で被爆した後遺症が再発して死の恐怖に直面して、絵画での行き詰まりに呻吟するなか、突如として天啓のように、脳裏に閃いたのは、過酷で苦しい砂漠を一人で旅してきた僧侶が、息絶え絶えで辿り着いたオアシスのイメージ。この旅僧のイメージを玄奘三蔵に託して、出来上がったのが「仏教伝来」で、これを契機にして、仏教が、平山郁夫の人生を賭けた生涯のテーマとなった。そして、仏教伝来の源流、日本文化の源流を歩いてみたいと言う思いが高揚して、シルクロードを幾度も踏破して、その終着駅とも言うべき「大唐西域壁画」の完成に至ったのである。
   
  
   この本で、平山郁夫は、何度も何度も、「教養」の重要性について語り続けている。
   大伯父である彫金の大家で美校(芸大)教授であった清水南山から、教養が何よりも大切だ教わったと言って、人生を通観した時に、人格形成は勿論のこと、人生の岐路に立った時に、その壁を破るために、最も役立つのが「教養」だと痛感し続けて来たと言う。
   言い換えれば、リベラル・アーツに対する知識なり幅広い知的好奇心をもって人生を生きているかどうかと言うことでもあろうが、欧米人は、例えば、シェイクスピアを国際社会でのいわば常識として身に付けているとして、ギリシャ、ローマ、ゲルマンなど民族の多様性を認め合う社会がそうさせるのであろうと言う。日本人も、もっと、「源氏物語」の雅びな世界も勉強すべきだと言うのである。
   このリベラル・アーツに対する日本人の異常な不足は、日本の場合には、教養部門である筈のたった4年間の大学に、教養軽視の専門部門が入り込んで最終学歴となっていて、欧米でのエリートは、大概、PhD やMBAなどの専門課程はプロフェッショナル大学院で学んで、修士ないし博士の学位を取得しているのに比べて、主に大学だけの日本人との学歴格差のなせる業であろうと思っている。
   私は、大学は日本なので、欧米の大学は分からないが、MBAの勉強などは、日本の大学教育の比ではない程猛烈に勉強するので、教養はどうかは別として、知識では太刀打ちできる筈はないと思っている。

   もう一つ、大伯父の教えは、「古典を読め」と言うこと。
   水墨画の雪舟も、「風神雷神図」の俵屋宗達も、先人たちの多くのものを教養として学び、「ぶれない自分」を作り上げたからで、単に様式やスタイルを学ぶのではなくて、先達の主張を学ぶことで、彼らの精神を受け継ぐことであり、また、膨大な本を読んだりして蓄積した歴史や仏教に関する知識が非常に役立ったと言う。
   興味深いのは、戦後の日本文化まで否定する風潮の中で、「時代遅れだ」「今時流行らない」と笑われながらも、日本画の優れた古典の模写に力を入れ、奈良の古社寺を巡って、仏像や工芸品を見て回り、本物だけが持つ迫力と激しさ、厳しさに圧倒され、強く胸を打たれて日本文化は決して西洋に負けるものではないと思ったと述懐している。
   これに関して面白いのは、初めてヨーロッパに行った時に、スイスの村の小さな教会の壁画に圧倒されて、ルネサンスの凄い力を実感して、「日本文化対ヨーロッパ文化」と言う考えを改めて、美術史だけではなく東洋や西洋の哲学などを幅広く学んだお陰で、中国やインドを含めて、「東洋文化対ヨーロッパ文化」と考えて元気が出たと言う。

   更なる大伯父の教えは、美術は勿論、芝居、バレエ、オーケストラなどジャンルを問わず、とにかく、一流のものを観、一流のものを聴き、それも、まだ若くて真っ新な状態の時に頭の中にたたみ込め、と言うこと。
   これは、刀鍛冶の修業は、本当の名刀しか見せないと言ったこととか、藤十郎が、武智鉄二に「一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」と言われて散髪屋でもクラブでも何でも超一流の所に行かされて全部払ってくれたと履歴書に書いているのなども、この言いである。
   何故か、この話になると、オペラやクラシックのファンで独身貴族の上司が、劇場には通うのだが、いつも、一番安い席のチケットを買い、常時極貧状態の私が、出来るだけ良い席のチケットを買い続けていたのを、どちらが良いのか悩んだことがあるのを思い出す。
   いずれにしろ、私が欧米で働いていた頃は、Japan as No.1の時代であったので、臆せずに、何でも、世界最高峰の文化文明にアクセスできたので、善き時代を経験できたと思っている。

   蛇足が長くなってしまって、折角の平山郁夫の名著のレビューとしてふさわしくなくなってしまったが、この本は、類書と違って、平山郁夫が、心血を注いで生き抜いてきた人生を、淡々と滋味深く語りながら、貴重な人生訓の多くが、珠玉のように鏤められていて、老いも若きも読むに値する本だと思う。
   
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