熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

アンソニー ギデンズ著「暴走する世界―グローバリゼーションは何をどう変えるのか 」

2019年07月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   20年前に出版されたアンソニー・ギデンズの講演を記事に起こした本。
   原題は、”Runaway World” How Globalisation is Rshaping Our Lives
   Runawayをどう取るかと言うことだが、訳者は、ギゼンズは「制御できなくなる」ことを意味しており、あるいは、「理解しにくい」とか、「とめどなく変化する」と言う意味も含まれると言う。
   いずれにしろ、グローバリゼーションが惹起した、多様化した「リスク」、「伝統」をめぐる戦い、変容を迫られる「家族」などの要因が作用して、コスモポリタンとファンダメンタルズとの相克のなかで、民主主義が危機に乗り上げており、その民主化が急務であると言う論旨であるから、グローバリゼーション下の世界が、暴走して制御できなくなっていると言うのが基本的な認識であろう。

   ギデンズは、現代最高峰の社会学者として著名なのだが、私など、大著「社会学」も、顕学のEU感を知りたくて、「揺れる大欧州」も買ったものの、いずれも積読で、中々アタックできないのだが、この本は、非常に簡潔で易しく、佐和教授の解説も適切で、小冊子ながら、結構勉強になった。

   さて、ギデンズの主張は次の通り。
   我々が住む現代の世界は、過去と比べて大きく異質であり、我々の歴史は一大転換期に差し掛かっている。
   20世紀の経済発展は、宗教やドグマの影響から逃れた合理主義の思想家、啓蒙主義者に啓発されて、近代西洋で育まれた科学、技術、そして合理的思考によってもたらされた。
   こうした考え方に従えば、科学技術の更なる進歩によって、世界を安定的かつ秩序だったものにする筈である。
   しかし、今日、我々が住む社会は、社会思想家の予言通りになったのではなく、制御可能が高まったと言うよりも、むしろ、制御する範囲が狭まり、「暴走する世界」に直面している。
   科学技術進歩は、両刃の剣で、地球温暖化(気候異変)のみならず、未曽有のリスクを生み出し、グローバリゼーションの齎す多様性は、科学技術のみにとどまらず、その他諸々のリスクと不確実性、特に、近年、グローバルな電子経済にまつわるリスクと不確実性を派生した。
   グローバリゼーションは、伝統的な生き様と文化を揺るがす圧力と緊張を醸成し、伝統的な家族は、危機にされされ、変容を遂げつつあり、この変容のテンポは加速される。
   宗教に関わる伝統の数々も一大転換を迫られる。21世紀の争点は、コスモポリタン的寛容とファンダメンタリズムの対立で、コスモポリタンは、グローバル化によって益々頻繁になる、生活様式を異にしたり思考様式を異にしたり人々との文化のふれあいと融合を好ましく思って歓迎するが、ファンダメンタリストは、これを、秩序破壊的忌々しきことと警戒する。
   文化の多様性を容認することと民主主義は表裏一体の関係にあり、民主主義の広まりがグローバリゼーション促してきたので、コスモポリタンが、ファンダメンタリストを抑え込むことを願うのは当然である。
   ところが、皮肉なことに、最も普遍的な民主主義の形態である議会制民主主義の限界をグローバリゼーションが煽り出した。
   今ある諸制度をより一層民主化するのは当然で、グローバル時代の要請にこたえるために、暴走する世界の民主化を推し進めなければならない。
   我々が、自らの歴史を創造する主体となろうとするのなら、暴走する世界を制御する術を会得することが必要不可欠である。

   ギデンズは、以上の見解を、グローバリズム、リスク、伝統、家族、民主主義の」5つの切り口でかなり丁寧に論じており、20年前、それも、20世紀末の見解でありながら、時代的なずれをほとんど感じさせない。
   議会制民主主義が暗礁に乗り上げているのは周知の事実で、先進国の政治経済社会の基本的骨組みである民主主義の基本のみならず、自由主義を旨とする市場経済の根幹をも揺るがしつつあることは、とりもなおさず、今日の世界情勢の危機的な現実と秩序の欠如した迷走状態を如実に物語っていて余りある。
   この問題については、アメリカのリベラル派の学者や識者のブックレビューや評論で、随分論じてきた。

   ファンダメンタリズムについては、歴史が新しく、19世紀末、アメリカのプロテスタントの宗派の信念、なかんずくダーウィンの進化論を受け入れない思想的立場を、ファンダメンタリストと呼称するようになったようである。
   現状のトランプ大統領の大票田福音派やイスラム原理主義など、ファンダメンタリズムの最たるものであろうが、大きな勢力を持って国際政治に対峙していることは、ギデンズの指摘する通りである。

   ギデンズは、”その如何ーー宗教的、エスニック、国家主義的、政治的ーーにかかわらず、ファンダメンタリズムには、疑義を呈すべきだ、と私は考える。それは暴力と紙一重であり、コスモポリタン的価値を蔑ろにしがちだからである。”と糾弾する。
   しかし、興味深いのは、”聖なるものが存在しない世界に、私たちは住まうことができるのかと問われれば、出来ないと考える。普遍的な価値の存在が、寛容と話し合いを実らせるために不可欠なことを、コスモポリタン主義者--私もその一人なのだがーーはもっと意識すべきである。”と、言っていることである。
   これまで、多くの本を読んでいて、この見解、すなわち、どんなに宗教にネガティな見解を持つ識者でも、殆どが、究極的には、OUR LIVESの拠り所として、GODなり宗教の価値を認めていると言う印象を持っている。

   
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