熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立文楽劇場・・・「国性爺合戦」

2016年01月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この「国性爺合戦」は、昨年2月に、国立劇場で上演されたが、「千里が竹虎狩りの段」から「紅流しより獅子が城の段」まで二段目の後半から三段目までの部分だけだったが、今回は、初段の「大民御殿の段」から三段目までの通し狂言である。
   この後、
   神意を得た和藤内の妻・小むつが栴檀皇女を伴って平戸から中国松江に渡る。皇子を匿って山中にいた呉三桂と、鄭芝龍ともども、見える。敵兵に攻められるが、雲の掛橋の計略によって難を逃れる。とする四段目と、
   和藤内と甘輝が、呉三桂と竜馬ヶ原で再会し、韃靼攻略に南京城に向かった鄭芝龍の後を追って、南京城を攻め、敵を倒して、皇子を位につける。と言う五段目が続く。
   しかし、これらが、上演された記録がなくて、今回のような規模の通し狂言も、1984年7月以来初めてで、大半の公演は、三段目が主体である。

   尤も、この同じスケールの通し狂言が、平成22年11月に、歌舞伎バージョンで、国立劇場で上演されていて、
   和藤内(鄭成功)市川 團十郎、五常軍甘輝 中村 梅玉、錦祥女 坂田 藤十郎、老一官 市川 左團次、母渚 中村 東蔵 等の名優によって演じられている。
   松竹のように、「見取り」と言うアラカルト形式で、良いところを集めて細切れ上演するのとは違って、通し狂言を上演できると言うのは、やはり、国立劇場の良さであろうか。

  
   この浄瑠璃の主人公である、和藤内(鄭成功)が、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に日本の平戸で生まれて、中国に渡って大成功を遂げて偉人として尊敬されたと言うことは、事実だが、異母姉の夫・甘輝と同盟を結んで韃靼に闘いを挑んだと言うのは、近松の創作である。
   この浄瑠璃では、
   追放されて平戸に渡って老一官と称した明の元役人鄭芝龍が、日本妻を娶って生まれたのが和藤内で、
   逃亡を企てて日本の平戸に流れ着いた栴檀皇女から、民国が、韃靼王に滅ぼされたと聞いて、征伐のために、一官夫妻と和藤内が民国に渡る。
   鄭芝龍が2歳で明に残した娘が、五常軍甘輝の妻錦祥女となっているので、この伝手で、和藤内は、甘輝に加勢を願い出て、その同意を得て、「延平王国性爺鄭成功」の名を与えられ、討伐軍を立ち上げる。

   しかし、元々明の臣下であった甘輝は、鄭成功への加勢には同意するが、女の情に絆されて一太刀も交えずに寝返ったとすれば、末代までの恥辱だとして、錦祥女を殺そうとする。
   錦祥女は、甘輝の説得に成功すれば、城に流れる水路に白粉を、失敗すれば紅粉を流すと城外の和藤内に伝えてあったので、自分の胸に懐剣を刺して自らの血を水路に流す。
   交渉決裂と知った和藤内は、城内に入って甘輝と剣を抜いて戦おうとした時に、瀕死の状態の錦祥女が現れて、和藤内への加勢をかき口説き、これを知った一官の妻が、義娘を見殺しにしては日本人としての誇りが許さないと錦祥女の懐剣を取って自らも自害する。
   これを見た甘輝が、意を決して、和藤内を大将軍と仰ぎ鄭成功の名を与えるのである。
   この部分が、この近松門左衛門の浄瑠璃のクライマックスで、文楽のみならず、歌舞伎でも、名舞台として上演され続けているのである。

   ところで、従来多くの舞台が、和藤内たちが民国に渡って、千里が竹の虎狩りから始まるのに比べて、今回は、冒頭の舞台が中国で、中国オンリーの物語である民国の危機から始まり、民国皇女の漂着で始めて日本の芝居となっており、印象が新鮮であると同時に、何故、和藤内たちが、明朝再興のために中国に出かけて旗揚げするのかが分かって面白い。

   今回の舞台では、大夫と三味線では、異動があるのだが、人形の方は、甘輝が、玉男であるほかは変っておらず、錦祥女だけが、前回の清十郎に変わって、今回は、勘十郎が遣っている。
   衣装こそ中国の姿をしているが、実に、親子の情愛、姉弟の絆を感動的に人形を遣って語りかけており、観客の拍手を誘って爽やかである。
   老一官妻の勘壽が出色の出来で、老一官の玉輝もうまい。
   勿論、甘輝の玉男の威風堂々とした風格と貫禄、和藤内の幸助の颯爽とした偉丈夫、も感動的である。
   千歳大夫と富助、文字久大夫と藤蔵など、浄瑠璃と三味線が絶好調で、更に、観客の高揚感のボルテージを上げる。
   
   さて、実際の鄭成功は、5歳で父に伴われて中国に渡っており、新王朝となった清と戦ったが、父は抵抗無益と悟って清に降り、南京を目指すも敗退し、台湾に転進してオランダ軍を追放し、台湾では、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されていると言う。
   したがって、この浄瑠璃の「国性爺合戦」は、完全に近松門左衛門の創作であり、甘輝も錦祥女も実在しなければ、紅流しもない。

   橋本治が「浄瑠璃を読もう」の、『国性爺合戦』と直進する近松門左衛門と言う章で、この浄瑠璃では、父の老一官は方向性を示すだけで何もしない、甘輝との説得工作をするのは、錦祥女の義母に当たる和藤内の母(歌舞伎では渚)で、その日本人のバーさんが、「国性爺合戦」の中では、最も重要な役割を果たす人物となる。と書いている。
   勿論、近松が意図したのは、唐でもない和でもないハーフの英雄:和藤内を主人公にした日本精神発揚の物語を書いて聴衆にアピールしようと思ったのであるから、義理人情、忠君愛国を表出するためには、母こそ格好の登場人物だったのである。
   そうでないと、「千里が竹虎狩りの段」で、和藤内が、伊勢神宮のお守りを掲げると、猛虎がおとなしくなり、お守りを首にかけた虎が神通力を発揮して敵を退治すると言う奇想天外なストーリーを挿入するわけがない。

   当時は、鎖国の時代で、中国と言えども、殆どファンタジーの世界で、エキゾチックなこの浄瑠璃が受けたのであろう。
   通し狂言の良さは、どっぷりと、物語を、筋を通して楽しめることであろう。
   
   
   
コメント
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