情報の非対称性を伴った市場の分析でノーベル賞を受賞したマイケル・スペンスだが、世銀からの年次総会で、基調講演「発展途上国における成長」を頼まれたのを機会に、世銀や途上国のプロたちを糾合して「成長開発委員会」を立ち上げて、その成果に基づいて書き上げたのが、この本だと言う。
先の世界的な金融危機後の世界経済の変質やアメリカ経済の現状分析など、マルチスピード化する今日の世界の展望は、非常に興味深くて刺激的だが、やはり、アメリカ人学者として、台頭著しい中国やインドなど新興国や発展途上国の発展についてどのように考えているのかが、私には興味があった。
市場、サプライチェーン、取引システムなど世界経済における情報分野が専門なので、この本でも、その方面の分析にかなり力を入れているのだが、
インターネット関連技術によって、長期的に最も影響を受けるのはどこかと言う議論で、時間と距離、両者に付随するコストの縮小、物理的距離の低下を考えれば、それは、国際市場やグローバルサプライチェーンであり、物理的な距離によって制約されて来た地域での情報やサービスへのアクセスであり、要するに、世界経済であり、とりわけ発展途上国であると言う指摘に共感を覚えた。
したがって、現在の途上国の高成長を可能にしたのは、知識移転と、世界経済における財、サービス、資本の流れに対する障壁の削減であり、これ程急速に成長することが出来た要因は、知識ギャップが大きかったこと、そして、国境を越える知識移転が急速に進んだことであるとする見解が、非常に明快であり、
要するに、BRIC'sなど新興国の急速な台頭は、ICT革命とグローバリゼーションの進展であるとする考え方を極めてシンプルに説いているのである。
尤も、それだけでは、中印の経済成長は説明できないので、当然、その高度成長を実現させた政治経済社会や歴史などバックグラウンドを掘り下げながら話を進めているのだが、実際に多くの当事者たちと直に会って得た生の実地調査に基づいておりながら、その比較的楽観的な未来展望に、新鮮な驚きを感じている。
中国の発展について、中国は、埋め込み型の知識の蓄積である無形資産を重視する、ハイペースで学習する社会であると言っており、知識ノウハウ・オリエンテッドな発展論を展開しているのが面白い。
小平は、開発と成長における最も重要な課題は、民間部門や政府のあらゆるレベルにおける学習であることを認識していた。
小平は、自分たちが市場経済を運営する方法を知らないこと、経験もアイデアもないことを良く分かっていたので、当時世銀の総裁であったロバート・マクナマラに、中国に来て、社会主義的市場経済への移行を支援してほしいと頼んだ。
世銀とは一切関わり合いもなかったし、投融資を頼んだわけでもなく、中国に欠けているのはノウハウであることを直感的に理解していたので、頼んだのは知識だった。
世銀の精鋭が中国側のパートナーと協力して、ジェイムス・トービンなどの世界中の学者や経験豊富な政策立案者を招聘し、市場経済が機能する仕組みやあるべき政策に関する講義を聞いて、市場経済に関する知識の輸入を促し始めた。と言うのである。
大なり小なり同じことを、ソ連もやったが、結果が雲泥の差なのは、国民性の所為か、その後の為政者に問題があったのか、興味深いところである。
知の勝利と言う点では、貧しくて膨大な後発部門を抱えておりながら、IT産業を主体にサービス部門が突出して発展を続けているインドの方が際立っている。
ビジネス・プロセス、専門性の高い医療、TV向けフィルム編集、先進国教師向けの採点代行、口下手政治家のスピーチ代筆と多岐に亘ったアウトソーシングなどだが、これは、インド経済におけるコンピュータと情報技術の潜在性を見抜いたラジブ・ガンジーの指揮のもとで始まった早い時期からの高等教育への重点投資の結果だと、スペンスは言う。
私は、その真因は、もっと前にあり、独立直後に、祖父のジャワハルラル・ネールが設立したIIT(インド工科大学)が、アメリカをはじめ、世界中に輩出した優秀なエンジニアやテクノクラート集団のなせる業だったと思っている。
さて、中国経済につての著者の興味深い指摘が何点かあるのだが、
その一つは、先の世界的金融危機後に、中国も、公共投資など景気刺激策や他の緊急対策を行ったが、これらは恒久的な解決策にはならず、今後について、中国が賞味期限の過ぎた古いやり方、すなわち、投資や労働集約型輸出に集中する過去30年の戦略や政策に回帰するのではないかと言うこと、と、
短中期的な試練を前に、経済の強靭さに過剰な自信が芽生えていることへの強い懸念だと言う。
また、スペンスは、国内の成長と開発、世界経済との関わりに対して、中国は相互に関連するいくらかのリバランスの課題に直面しているとして、次のような指摘をしている。
ミクロ経済の大規模な再編に伴う「中所得の移行」、家計所得や消費水準の引き上げ、中産階級の迅速な拡大に向けたマクロ経済的変化、所得格差拡大への流れの阻止、投資に比べて極端に高い貯蓄の引き下げ、その結果としての経常黒字の削減、将来の成長に於けるエネルギー集約度・炭素集約度の抑制、
もう一つ興味深い指摘は、中国の状況は特異だとした、規模と世界経済への影響力の着実な増大に伴う国際的責任の受け入れだが、世界経済全体にとっては巨大な経済だが、一人当たりGDPが過去に置かれた超大国と比べてはるかに低い発展途上国だと言う問題点である。
本来なら貧しくて遅れた国内問題に集中することが許される段階だが、ただでさえ複雑な国内の成長・開発問題に加えて、国際的な影響力や責任を背負い込まざるを得なくなり、その結果、たよるべき知識や経験の蓄積も殆どない状態で、国内および国際的な政策の優先課題のバランスを取らなければならないと言うことである。
その他にも、中国に対する国際的な敵意の増大などについても触れているのだが、尖閣列島や南沙諸島での領土問題への足掻きや、西域・チベットなどでの少数民族への人権蹂躙なども、このあたりから考えると参考になろう。
さて、世界第二位の経済大国であった日本は、如何に、世界に冠たる大国として振る舞っていたのか、考えたのだが、どうも定かではないような気がする。
先の世界的な金融危機後の世界経済の変質やアメリカ経済の現状分析など、マルチスピード化する今日の世界の展望は、非常に興味深くて刺激的だが、やはり、アメリカ人学者として、台頭著しい中国やインドなど新興国や発展途上国の発展についてどのように考えているのかが、私には興味があった。
市場、サプライチェーン、取引システムなど世界経済における情報分野が専門なので、この本でも、その方面の分析にかなり力を入れているのだが、
インターネット関連技術によって、長期的に最も影響を受けるのはどこかと言う議論で、時間と距離、両者に付随するコストの縮小、物理的距離の低下を考えれば、それは、国際市場やグローバルサプライチェーンであり、物理的な距離によって制約されて来た地域での情報やサービスへのアクセスであり、要するに、世界経済であり、とりわけ発展途上国であると言う指摘に共感を覚えた。
したがって、現在の途上国の高成長を可能にしたのは、知識移転と、世界経済における財、サービス、資本の流れに対する障壁の削減であり、これ程急速に成長することが出来た要因は、知識ギャップが大きかったこと、そして、国境を越える知識移転が急速に進んだことであるとする見解が、非常に明快であり、
要するに、BRIC'sなど新興国の急速な台頭は、ICT革命とグローバリゼーションの進展であるとする考え方を極めてシンプルに説いているのである。
尤も、それだけでは、中印の経済成長は説明できないので、当然、その高度成長を実現させた政治経済社会や歴史などバックグラウンドを掘り下げながら話を進めているのだが、実際に多くの当事者たちと直に会って得た生の実地調査に基づいておりながら、その比較的楽観的な未来展望に、新鮮な驚きを感じている。
中国の発展について、中国は、埋め込み型の知識の蓄積である無形資産を重視する、ハイペースで学習する社会であると言っており、知識ノウハウ・オリエンテッドな発展論を展開しているのが面白い。
小平は、開発と成長における最も重要な課題は、民間部門や政府のあらゆるレベルにおける学習であることを認識していた。
小平は、自分たちが市場経済を運営する方法を知らないこと、経験もアイデアもないことを良く分かっていたので、当時世銀の総裁であったロバート・マクナマラに、中国に来て、社会主義的市場経済への移行を支援してほしいと頼んだ。
世銀とは一切関わり合いもなかったし、投融資を頼んだわけでもなく、中国に欠けているのはノウハウであることを直感的に理解していたので、頼んだのは知識だった。
世銀の精鋭が中国側のパートナーと協力して、ジェイムス・トービンなどの世界中の学者や経験豊富な政策立案者を招聘し、市場経済が機能する仕組みやあるべき政策に関する講義を聞いて、市場経済に関する知識の輸入を促し始めた。と言うのである。
大なり小なり同じことを、ソ連もやったが、結果が雲泥の差なのは、国民性の所為か、その後の為政者に問題があったのか、興味深いところである。
知の勝利と言う点では、貧しくて膨大な後発部門を抱えておりながら、IT産業を主体にサービス部門が突出して発展を続けているインドの方が際立っている。
ビジネス・プロセス、専門性の高い医療、TV向けフィルム編集、先進国教師向けの採点代行、口下手政治家のスピーチ代筆と多岐に亘ったアウトソーシングなどだが、これは、インド経済におけるコンピュータと情報技術の潜在性を見抜いたラジブ・ガンジーの指揮のもとで始まった早い時期からの高等教育への重点投資の結果だと、スペンスは言う。
私は、その真因は、もっと前にあり、独立直後に、祖父のジャワハルラル・ネールが設立したIIT(インド工科大学)が、アメリカをはじめ、世界中に輩出した優秀なエンジニアやテクノクラート集団のなせる業だったと思っている。
さて、中国経済につての著者の興味深い指摘が何点かあるのだが、
その一つは、先の世界的金融危機後に、中国も、公共投資など景気刺激策や他の緊急対策を行ったが、これらは恒久的な解決策にはならず、今後について、中国が賞味期限の過ぎた古いやり方、すなわち、投資や労働集約型輸出に集中する過去30年の戦略や政策に回帰するのではないかと言うこと、と、
短中期的な試練を前に、経済の強靭さに過剰な自信が芽生えていることへの強い懸念だと言う。
また、スペンスは、国内の成長と開発、世界経済との関わりに対して、中国は相互に関連するいくらかのリバランスの課題に直面しているとして、次のような指摘をしている。
ミクロ経済の大規模な再編に伴う「中所得の移行」、家計所得や消費水準の引き上げ、中産階級の迅速な拡大に向けたマクロ経済的変化、所得格差拡大への流れの阻止、投資に比べて極端に高い貯蓄の引き下げ、その結果としての経常黒字の削減、将来の成長に於けるエネルギー集約度・炭素集約度の抑制、
もう一つ興味深い指摘は、中国の状況は特異だとした、規模と世界経済への影響力の着実な増大に伴う国際的責任の受け入れだが、世界経済全体にとっては巨大な経済だが、一人当たりGDPが過去に置かれた超大国と比べてはるかに低い発展途上国だと言う問題点である。
本来なら貧しくて遅れた国内問題に集中することが許される段階だが、ただでさえ複雑な国内の成長・開発問題に加えて、国際的な影響力や責任を背負い込まざるを得なくなり、その結果、たよるべき知識や経験の蓄積も殆どない状態で、国内および国際的な政策の優先課題のバランスを取らなければならないと言うことである。
その他にも、中国に対する国際的な敵意の増大などについても触れているのだが、尖閣列島や南沙諸島での領土問題への足掻きや、西域・チベットなどでの少数民族への人権蹂躙なども、このあたりから考えると参考になろう。
さて、世界第二位の経済大国であった日本は、如何に、世界に冠たる大国として振る舞っていたのか、考えたのだが、どうも定かではないような気がする。