「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

僕の「時刻表昭和史」?!

2020年11月22日 | フォト日記
先日借りて来た宮脇俊三さんの「時刻表昭和史」には昭和8年、7歳位からの旅の記憶が古い時刻表の抜粋と共に綴られています。
ずいぶん克明に書かれているのですが、僕が記憶している自分自身の列車に乗った旅は極めてあいまいで10歳、昭和35年位が1番古い記憶です。

それは父親の会社の慰安旅行で伊豆半島の伊東に行った記憶なのですが、横浜駅からデッキ付きの電気機関車が引く列車と、湘南電車の準急「たちばな」と言う言葉が頭に残っていて、多分ホームで見た列車と乗った列車が混じってしまったようです。



確実に記録に残っているのは、中学1年(1963年)ボルタ判と言うおもちゃのようなフィルムカメラで撮った写真です。
新幹線開通前の東海道線や、新幹線の車両基地見学の写真に混じって、常磐線佐貫へ行った時の鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線の車両が写っています。(写真左下、上は横浜駅、中段は新幹線鴨宮基地見学途中)

これは小学校の4、5年から母親に成田の新勝寺の初詣に連れて行かれた折り、帰りに常磐線の交流区間(取手以北)が見たくて1人で成田から藤代の先の佐貫まで行って帰った時の写真です。

この頃成田への旅行は恒例となっていて、横浜駅でシウマイ弁当を買って、上野からSLが引く普通列車で成田山新勝寺にお詣り、門前町で羊羹を買って、帰りは京成電鉄の特急「開運号」で帰ると言う物でした。
何度も行っているので、中学生になったのを機会に、帰りは子供が行きたい所に一人で行かせてくれたのでしょう。

手元にある1番古い時刻表(1965年)で見ると10時39分発でした。





ちなみに、借りて来た復刻版の戦後1947年を見ると、成田行きの列車が沢山出ているのですが、お詣りだけでなく、農家から野菜を仕入れて都心部に行商に来ている人が沢山居たのだと思います。





それにしても、どこかに出かける時、今と違ってネットで発車時刻を調べられないのだから、時刻表は家庭の必需品だったのかなぁ?
ともかくテレビも無い時代、時刻表が見知らぬ土地への夢を育んでくれた気がします。



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