「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

今日は終戦記念日?

2016年08月15日 | フォト日記
オリンピックのニュースに比べて、なんと放送時間の少ないことか…、多摩川では花火が上がっている。ここでは花火が見えず、音だけ聞こえてくるから、まるで爆撃されてるような気がしてきた。終戦記念日に花火?、そんなものだろうな…?

4月の写真展に書いたキャプションを載せておこう!

10セント硬貨を五つ握り締め、ウドバーハジーへのシャトルバスを待っていた。何年も前から行きたいと思い、ガイドブックやホームページで何度も確認したバスだ。ダレス空港のDoor6 2Eのシャトルバス乗り場に12時にそのバスが来ることも去年行った人のブログで調べた。5分・10分・・・、ディパックを背負った若者も5・6人待って居る。その間に行き先に見覚えの無い大きな路線バスが2台、目の前で止まり誰も乗せず出て行った。

20分が経ったので、そばにいる誰かに聞こうと思ったけれど、誰も皆並ぶでもなく4・5メートルの間隔でスマホ片手に立って居るので、言葉をかけにくい。次に大きなバスが来たとき、スーツケースを持ったカップルが運転手に話しかけて乗って行った。それに続いてディパックの若者も乗って行った。「あれ、あのバスが行くのだろうか?」と思い、次に来た時運転手に聞いてみたら行くとのこと、料金は1.75ドルだった。
 最近システムが変わりワシントンDCに隣設する市の路線バスで行くようになったようだ。そんな事どこを調べても書いてなかった。外国には行ってみないと分からない事が沢山ある。

そんなこんなで30分以上ロスしてしまい、気をもみながら立っていたせいか、目的地に着いた途端それまでの疲れがどっと出てしまい、緊張感はかなり緩んでいた。広島に原爆を投下したエノラゲイを目にしても、実感は湧かない。何年も前から思い描いていたのに何の感慨も湧いて来ない。ただ銀色に輝くB29の機体の大きさと、着陸装置のない人間爆弾「桜花」の小ささだけが目に焼き付いている。
「この差はいったい何なんだ?!」
呆然と眺めていると二人組みの若者が話しかけて来た。近所に住んでいるアメリカ人らしい。ディックとレイと言っていた(気がする)。「この飛行機を見てどう思うか?」と聞かれたけれど、僕にはさっきのシャトルバス事件の方が遥かにショックだった。
「何にも…!、僕は2年前からここに来たいと思って、ルートを一生懸命調べたんだ!、なのにバスを待っていても調べたバスが全然来ないんだよ!」若者たちの表情が和らぎ笑顔になった。「あなたの家族はどうなんだ?」、「うーん、そう・・・、何と答えたら良いのだろう?」

子供の頃に聞いた母親の戦争体験を拙い英語で話しながら、単語が出て来ず言葉に詰まった時、何を思ったか若者の一人が僕の肩に手を回しポンポンと背中を叩いてくれた。感極まったと思ったのだろうか…?

 戦争末期に兵隊に取られた父親は戦争の話を一切しなかった。母親はB29による横浜空襲を経験して居る。焼夷弾が雨のように落ちる夜中、赤ん坊だった兄を背負って逃げまわったそうだ。その話の後は必ず「戦争なんてもう嫌だ!、あんな経験、二度としたくない!」
と吐き捨てるように言った。ベトナム戦争の映像が毎日のようにテレビから流れていた頃だ。兵士が飲むと言うアサヒやキリンの缶ビールを、山ほど積み込んでいる沖縄の輸送船の映像を見て「戦争特需」と言う言葉を知った。

そして最後に「うちの父ちゃんが戦争に行くくらいだから、日本は戦争に負けたんだ!」とも言った。大正生まれの母親はシニカルな一面を持っていた。その話を若者にしたかったのだけど、僕の英語能力ではとても難しく、「マイマザー…」と言っただけで言葉に詰まってしまったのだ。必然的に話はそこで終わり、心やさしい若者が肩に手を回してくれたと言う訳だ。

 ディックが「写真を撮ろうか?」と言ったのだけど、僕は自分の老いた姿を残したくないので「No,no!」と言ったのだけど、せっかく言ってくれたので、「じゃあ、一緒に撮ろう!」と通りかかった人にカメラを渡した。



コメント
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