「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

様々な8月15日

2010年08月15日 | フォト日記
終戦記念日とは今やテレビの箱の中にしか存在しないような印象がありましたが、実際にはどうなのでしょう?
終戦を体験した人とそうでない人で、その思いは雲泥の差があるような気がします。

僕にとっては何やら複雑な終戦記念日でした。僕自身テレビを見ながらでしか感じていない事なのですが、今日は午前中から日比谷公会堂の民団(在日本大韓民国民団)光復節中央記念式典にセパラム合唱団の一員として参加し、オーケストラをバックに(実際にはオケは前に居ましたが)3曲ほどを歌いました。

その前に1時間半ほど客席で式典を見ていました。最初の予定では1時間で終ると言う事でしたが、挨拶が長引いたようです。

来賓以外に日本人はあまり居ないようでしたが(僕らは貴重な日本人です)見た感じ政治的な集会では無く、韓国にとっては祖国が解放された記念日であり、それを祝う集会のようです。

式典では韓国語と日本語が半々に話され、プログラムを見ると在日の人の書いた文には韓国では見られなくなった漢字を多用した文章が載っていました。

僕らが歌った歌は韓国民謡『トラジ』、日本の童謡『ふるさと』と韓国の童謡『故郷の春(コヒャンエポム)のメドレー、オペラ『ラ・トラビアータから乾杯の歌』です。女性はオケの弦楽器も含めてチマ・チョゴリを着ていました。

韓国っぽい焼肉弁当(キムチは入ってなかった)を食べてから、今度は一転して炎天下を東京ビッグサイトに向いました。HAOのODA-SANが夏のコミケに同人誌を持って出店しているのです。

新橋から、ゆりかもめ(最初モノレールだと思っていた)に乗って下車駅が分からないのでiPhoneで検索し、若者が溢れる国際展示場前まで行き、3、40分ほど店番(?)をしながら(陣中見舞いは『辛ラーメン』)歓談、熱中症になる寸前に帰ってきました。

夜テレビを見ていると、日比谷公会堂が今年80周年で、戦時中でもN響(昔は日本故郷楽団)がベートーベンの第九を演奏していたという番組をやっていました。それを初めから知っていれば、写真でも撮ってきたのに・・・、何やら余裕の無い一日でした。

日韓併合100周年、日比谷公会堂は80周年、光復節65周年、そして僕はこの28日で60周年です。
コメント
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